貴重な遺作展「金山康喜」限定1000部、見返しに金山氏の父のサインがあります 金山康喜遺作展委員會編で若くして亡くなられた金山康喜を惜しむように巻末には著名な方が文章を寄せています。 箱にはスレ等がありますが本自體は綺麗です。カバーがフィルムなのですが経年によるスレ等があります。また見返しに金山康喜の実の父親がケンジとサインを墨で書いています。 「金山康喜」金山康喜遺作展委員會編 1960 求龍?zhí)弥谱鳌?6.5x36cm 昭和35年刊 カラー7含む54図版に寄文(今泉篤男、田村泰次郎、蘆原英了、船戸洪、佐野繁次郎、藤田嗣治、芹沢光治良、野見山暁治、田淵安一、石原竜一)  金山康喜(かなやまやすき)は、1926年(大正15)に大阪で生まれ、舊制富山高校に入學(xué)、美術(shù)部で油絵を描く。 その後、東京帝國大學(xué)経済學(xué)部、同大學(xué)院で學(xué)ぶかたわら、豬熊弦一郎主宰の純粋美術(shù)研究所に入り油絵を制作、新制作派協(xié)會展に出品し新作家賞を受賞するなど將來を囑望されていた。 1951年(昭和26)経済學(xué)を?qū)Wぶためにフランスに渡り、ソルボンヌ大學(xué)法學(xué)部に入學(xué)。経済學(xué)の本の翻訳などしな がらも油絵の制作に精力を注ぎ、パリの展覧會にしばしば出品している。 1953年(昭和28)のアンデパンダンに出品した作品はフランス國買い上げとなる。ビュフェやカルズーらのグループ展にも出品し當(dāng)時のパリの畫壇では気鋭の若手畫家として期待されはじめていた。 1958年(昭和33)に日本に帰國し、翌年3月、銀座の畫 廊で個展を開催し、新進(jìn)の具象畫家として紹介されるが、6月に急逝。若き才能ある畫家の死(33歳)は各方面から惜しまれ、1960年に金山康喜の油絵の特徴は、透明感のあるブルー遺作展が開かれた。 系の色彩を主調(diào)とし、畫面全體には詩的な哀感が漂う。抽象畫が主流を占めつつあった時代に、絵畫の在り方を問い直しうる具象畫家の一人として大いに期待された矢先の死であった。 本展覧會では、殘された作品を可能な限り網(wǎng)羅することによって、1950年代に揺れ動いた戦後日本美術(shù)の方向にひとつの指針を示そうとした畫家金山康喜の全體像を紹介するものです。