新裝普及版 大型図録本 黃瀬戸?瀬戸黒 作品集 寫(xiě)真集 解説 日本の陶磁 カラー107點(diǎn)150図
OLD SETO WARE YELLOW-SETO WARE SETO-BLACK WARE
責(zé)任編集 林屋晴三
監(jiān)修 谷川徹三?川端康成
扉題字 川端康成
中央公論社
1989年初版
89ページ
約34.5x26x1cm
作品寫(xiě)真図版フルカラー上質(zhì)紙
ビニールカバー付 帯付き、ソフトカバー
※絶版
フルカラー大型図録本、黃瀬戸?瀬戸黒。
室町時(shí)代後期から江戸時(shí)代初期にいたる、桃山茶陶を中心とした黃瀬戸?瀬戸黒の厳選された國(guó)內(nèi)最高峰の優(yōu)品をあつめて107點(diǎn)150図版を収録。
前半は桃山時(shí)代の典型的な作品をとりあげて鑑賞、後半では、時(shí)代を考慮しつつ各器種別に図版を配列。
「原色愛(ài)蔵版 黃瀬戸?瀬戸黒 日本の陶磁」と掲載作品は同一で、內(nèi)容を再編集?再構(gòu)成した新裝普及版。
黃色い釉薬をかけた黃瀬戸は向付や鉢などの高級(jí)食器類が主であり、瀬戸黒は半筒か筒形の黒和の茶碗にほぼ限定される。
志野や織部とともに桃山期の美濃陶を代表し、古瀬戸の流れをくむ日本的情緒あふれる作品である。
フルカラー寫(xiě)真に加えて、巻末には全作品の寸法、制作技法ほか景色などの見(jiàn)どころ、伝來(lái)、來(lái)歴など詳細(xì)な解説を収載。
作品名については、YELLOW-SETO WARE、SETO-BLACK WAREとして全作品に英文表記あり。
【監(jiān)修】
谷川徹三(昭和を代表する哲學(xué)者?國(guó)博物館次長(zhǎng)?法政大総長(zhǎng)等を歴任し、古今東西の思想?宗教?政治?文學(xué)?美術(shù)に及ぶ広範(fàn)な評(píng)論活動(dòng)を展開(kāi))
川端康成(小説家?文蕓評(píng)論家。大正から昭和の戦前?戦後にかけて活躍)
責(zé)任編集は
林屋晴三(日本陶磁史、とくに茶陶の研究を進(jìn)めた東京國(guó)立博物館名譽(yù)館員。日々茶の湯を?qū)g踐した數(shù)寄者、東京國(guó)立博物館次長(zhǎng)、裏千家茶道資料館顧問(wèn)、頴川美術(shù)館理事長(zhǎng)、菊池寛実記念智美術(shù)館館長(zhǎng)などを歴任、博物館や美術(shù)館における展覧會(huì)活動(dòng)には終生関わった陶磁史研究の第一人者)
監(jiān)修者、責(zé)任編集者ともに昭和後期最高峰の內(nèi)容を誇り、參考文獻(xiàn)としても多く引用されてきた一冊(cè)。
美術(shù)館?博物館所蔵などの在銘名物から、
めったにお目にかかることのできない個(gè)人蔵の銘品優(yōu)品を多數(shù)カラーで寫(xiě)真解説したもの。
大型本のため、各作品の寫(xiě)真も大きく、細(xì)部まで見(jiàn)て楽しむことができる、
陶蕓家、古瀬戸、桃山茶陶、酒器、茶道具、骨董品愛(ài)好家等に必?cái)yの大変貴重な資料本です。
【凡例】
*本巻では、室町時(shí)代後期から江戸時(shí)代初期にかけて焼造された黃瀬戸?瀬戸黒の作品107點(diǎn)をとりあげ、150図版を用いて責(zé)任編集者が図版構(gòu)成を行なった。
*黃瀬戸?瀬戸黒の各図版Iでは、桃山時(shí)代の典型的な作品をとりあげて鑑賞に供し、各図版IIでは、時(shí)代を考慮しつつ各器種別に図版を配列した。
*各図版II解説の執(zhí)筆には赤沼多佳が協(xié)力した。
*図版には図版番號(hào)のほかに名稱(英文とも)、指定、所蔵者名、主な寸法、製作年代を付した。なお個(gè)人の所蔵者名は省略した。
撮影/尾見(jiàn)重治 栗原貞雄 小西晴美
【目次】
黃瀬戸図版I
黃瀬戸図版II
瀬戸黒図版I
瀬戸黒図版II
解説 林屋晴三
黃瀬戸?瀬戸黒概説
黃瀬戸図版I解説
黃瀬戸図版II解説
瀬戸黒図版I解説
瀬戸黒図版II解説
図版目録 list of plates
參考文獻(xiàn)
【各作品解説より一部紹介】
黃瀬戸図版I解説
1 黃瀬戸立鼓花入 銘旅枕 高さ21.4cm 口徑10.5an 底徑11.9cm
重要文化財(cái) 和泉市久保惣記念美術(shù)館
內(nèi)箱の側(cè)面にしたためられた「セトの 里うこ 花入」の書(shū)付は利休の筆と伝えられ、利休所持の黃瀬戸立鼓花入として、坂本周編の「中興名物記」にも収録されている名物道具である。立鼓は鼓胴を立てた姿に似ていることからの名稱で、口を立てた形を器にするという発想は中國(guó)の宋時(shí)代の陶磁にすでこあり、これら黃瀬戸の場(chǎng)合もそれをうけて、侘びの茶室での花入として、千利休が好みを示して焼造させたものではなかったかと考えられる。
胴が引き締まり囗部と裾の開(kāi)いた形は、床の間の花入としてふさわしいもので、その全面に透明性の黃釉がかかり、底には低い輪高臺(tái)がつけられ、全體にかかった黃釉はよく溶けているが高臺(tái)の周辺には火間や焦げが生じ、潤(rùn)いもあって味わいが深い。
中箱蓋裏には裏千家四世の仙叟が「瀬戸流鼓花入 旅枕利休所持 宗室(花押)」と書(shū)し、外箱には裏千家八世の ̄燈が「利休所持百會(huì)出 黃瀬戸旅枕花入 書(shū)付宗易筆 外箱 仙叟 江岑書(shū)付丸板添」と記していて、『利休百會(huì)記』の天正十九年正月二十五日朝の會(huì)に記されている「りゅうご花入」にあたるものと推定されている。さらに坂本周斎の箱書(shū)によれば、竹田道安を経て周斎の所持となったことがうかがわれる。
2 黃瀬戸旅枕花入高さ16.8cm口徑9.4㎝底徑9.4cm
桃山の美濃の茶陶には、茶碗、水指、鉢、向付などは數(shù)多いが、花入は極めて少ない。そうしたなかにあって、この旅枕の掛花入は作振りの優(yōu)れた茶味の深い名作として、美濃茶陶のなかでも特筆されるべきものである。口部をまるく、胴を四方にした掛花入で、囗縁はやや手づよく平らに、胴には轆轤目が緩やかにめぐり、平らな底に糸切の跡がくっきりと殘ってている。裾に、縦の篦目をつけて胴の作行きを引き締め、內(nèi)外ともに釉が厚くかかっているが、釉がかかって濃淡があり、ところどころに褐色の焦げが生じて味わい深い景をなしている。ことに底の釉膚の焦げの様相はひとしおのものがある。茶碗と花入の違いはあるが「朝比奈」と釉調(diào)、作振りにどこか共通したところがあり、あるいは同じ作人によるものかと推測(cè)されるが、両作とも黃瀬戸としては特異な存在である。
內(nèi)箱蓋表に「利休お好懸花生 黃瀬戸極上」と江戸前期、藤村庸軒時(shí)代の茶人山本退庵が書(shū)き付けているが、信じてしかるべき、いかにも利休の侘び茶にふさわしい花入である?!赋饶巍工摔锨ё诘─沃睍?shū)があることから推しても、どこか一連のものらしき感が深い。外箱の蓋表には銀粉字形で「黃瀬戸 花入 花宴」と記されているがその筆者はわからない。大萱で焼かれたものであろう。
3 黃瀬戸茶碗 銘朝比奈 商さ8.9cm 口徑13.0cm 高臺(tái)徑6.0cm
北陸大學(xué)
現(xiàn)存している黃瀬戸茶碗中の白眉とされている?!鸽y波」など一連の茶碗が本來(lái)向付であったとすれば、そうした評(píng)価は當(dāng)然のことかもしれない。轆轤びきした後、手捏ね風(fēng)に箟取りした作行きは力強(qiáng)く、しかも作為が強(qiáng)く働いている。ことに高臺(tái)はすこぶる豪快で、高臺(tái)內(nèi)の箟目は勁く、高臺(tái)脇の箟使いもよくきいている。ほぼ直線的に立ち上がった胴は囗縁でやや端反りぎみになり、胴には橫に一本胴筋がめぐらされ、腰の一部に面取りふうの箟目がつけられている。見(jiàn)込はほぼ中央にまるく淺い茶溜りがあり、平らな見(jiàn)込は瀬戸黒茶碗と似た作行きである。釉は高臺(tái)際までずっぽりとかかっているが、外側(cè)の釉がかりは內(nèi)側(cè)に比して薄く、そのために囗まわりと裾から高臺(tái)にかけて暗褐色に焦げ、內(nèi)面の釉はやや厚く濃い黃味の油揚(yáng)膚狀に焼き上がり、外側(cè)の一部に光沢のある釉なだれがあらわれている。雄勁でしかも侘びた趣の深い茶碗で、その力感にちなんで千宗旦が高臺(tái)脇に「アサイナ」の銘を朱漆で直書(shū)したのであろう、もちろん勇者朝比奈三郎義秀に因んでのものである。
內(nèi)箱蓋表の「アサイナ 茶碗 宗旦」の筆者は不詳だが、蓋裏の「宗旦號(hào)朝比奈 左(花押)」の書(shū)付は江岑宗左の筆である。宗旦所持として千家に伝わったのであろうが、後に三井八郎右衛(wèi)門(mén)家の蔵となり、近年まで同家に伝來(lái)した。これも大萱の作であろう。
4 黃瀬戸茶碗 銘難波 高さ7.2cm 口徑11.7cm 高臺(tái)徑8.0cm
低く大きい高臺(tái)は茶碗のものではなく、本來(lái)向付として生まれたものと思われる。やや薄手に均斉のとれた姿に轆轤成形され、手捏ね風(fēng)に作った「朝比奈」や志野茶碗などとはまったく異なった作行きである。腰に面取り箟をめぐらし、胴に胴紐をつけているが、茶碗の姿をよく引き締めている。胴紐の上に花唐草文を前後二方に線彫りし、全體にずっぽりと黃瀬戸釉を厚くかけ、文様の上には緑の膽礬を點(diǎn)じている。釉膚はいかにもしっとりとした油揚(yáng)膚をなし、緑の膽礬も地釉にじっとりとくい込んで、鮮やかな青緑色に焼き上がっている。この種の黃瀬戸油揚(yáng)手茶碗中第一の名作として聲価の高いのは、そうした釉膚の美しさによるのであろう。高臺(tái)內(nèi)に置跡(輪トチン)のまるい輪が殘り、その部分が味わい深く焦げている。また、腰から裾にかけても釉むらや焦げがあらわれて景をなしている。
內(nèi)箱の蓋表に「難波 瀬戸 茶碗」の轡付があるが筆者は不詳。かつて益田鈍翁の愛(ài)蔵品で、第二次大戦後、現(xiàn)所持者の蔵となった。大萱の窯下窯の作であろう。
5 賞瀬戸茶碗 高さ7.6cm 口徑11.2cm 高臺(tái)徑7.5cm
「難波」と雙璧をなすものとして聲価の高い茶碗である。戸田露吟の『後學(xué)集』に「黃瀬戸筒 二所青 二所黃 黃瀬戸之內(nèi)第一類元長(zhǎng)田 今三井」とあって、露吟の活躍した明治前期にすでに茶碗として用いられ、聲価の高いものであったらしい。腰から直線的に立ち上がり、口部にかけてややすぼまり、まるい口縁は少し端反りぎみである。低く大きい高臺(tái)が削り出されているが、全體に作振りは薄く端正であり、一本めぐらされた胴紐が単調(diào)な筒形をよく引き締め、胴紐の上に線彫りされた四弁の花唐草が華やいだ雰囲気をもたらしている。全體にかかった黃瀬戸釉は「難波」ほど厚くはないようだが、たっぷりとかけられた膽礬は裾に流れ、まことに鮮やかである。見(jiàn)込の釉がかりは外側(cè)よりやや厚く、深めの黃色に焼き上がっている。高臺(tái)內(nèi)に輪形の置跡があり、その辺りにほんのりとした褐色の焦げを見(jiàn)せている。
箱蓋表の「黃瀬戸 茶碗」の書(shū)付は泰山三井保之助翁の筆である。
【黃瀬戸?瀬戸黒概説】より一部紹介
黃瀬戸
桃山時(shí)代の美濃の窯業(yè)地は、現(xiàn)在の目で見(jiàn)てもまことに華々しい多彩な展開(kāi)をしたものだと思う。そしてその軌跡を考察するとき、技術(shù)とか作風(fēng)とかいうものは、漸進(jìn)的に向上していくものではなく、なにか外的な刺激が加わると急速に上昇して様相を一変するものであることを知る。天正年間から文祿、慶長(zhǎng)年間にかけての美濃の陶業(yè)は、まさにそうした時(shí)期であったといえ、永祿から天正年間にかけて戦國(guó)の世が収束されたのに呼応するかのように、従來(lái)の技術(shù)を基盤(pán)としつつ、侘びの茶の世界の需要と結(jié)びついた新しい陶風(fēng)が、永祿年間頃から次第に活況を呈し、天正年間後期から文祿、慶長(zhǎng)にかけて大いに開(kāi)花したのであった。そうした美濃の代表的な陶蕓であった志野、黃瀬戸、瀬戸黒、織部のなかで、黃瀬戸と瀬戸黒は鎌倉(cāng)、室町時(shí)代以來(lái)の瀬戸、美濃の陶業(yè)の伝統(tǒng)的な技法の上に咲いた新感覚のやきものであった。
白い釉膚に濃く淡く赤い焦げの生じた志野は、情趣豊かな日本の風(fēng)土が生んだ獨(dú)特のやきものであったが、それにもまして、しっとりとした釉膚に軽いタッチの彫文様をつけ、わずかに緑色の膽礬を點(diǎn)じた黃瀬戸には、ほのぼのとした日本的な味わい深さが感じられる。志野は室町時(shí)代の後期にあらわれた新技術(shù)であったが、黃瀬戸釉は鎌倉(cāng)時(shí)代以來(lái)の古瀬戸灰釉の流れを汲む釉で、それが次第に改良されて桃山時(shí)代のいわゆる油揚(yáng)手の黃瀬戸が生まれたわけである。
美濃では室町時(shí)代以來(lái)、古瀬戸の灰釉と同じような透明性の釉のかかった、素直な轆轤びきの中國(guó)の青磁を倣った茶碗や、大小の皿などが多く焼かれていたが、その後鬼板を化粧した上に灰釉のかかったものが焼かれるようになり、それらの釉にさらに工夫を加えて天正末から文祿頃にかけて獨(dú)特の質(zhì)感の油揚(yáng)膚の黃瀬戸が大萱の窯下窯などの窯で完成したと推測(cè)されている。
それら桃山時(shí)代獨(dú)特の黃瀬戸の最盛期は天正年間(1573-92)から慶長(zhǎng)(1596-1615)の前期にかけてであったと考えられ、やはり志野や瀬戸黒と同じく窖窯で生産された。桃山の黃瀬戸の先駆をなす作品はやはり天文(1532-55)から永祿年間(1558頃、室町後期にはじまったと考えられ、その頃の作品と推定されるものに、茶人北向道陳(1504-62)の好みという伝承のある茶碗(図26)が知られている。轆櫨成形され腰のまるい、丸碗と半筒を折衷したような形式の茶碗である。素地の上に美濃地方で産出する鬼板を施しその上に灰釉をかけた黃瀬戸であり、これと同じ釉調(diào)の天目茶碗がやはり伝世しているので、一時(shí)期このような釉調(diào)の黃瀬戸が盛んに焼かれたことが考えられる。(以下略)
【図版目録】より一部紹介 銘、寸法、指定(重要無(wú)形文化財(cái)?shù)龋?、所蔵先、英文記載
黃瀬戸 YELLOW?SETO WARE
黃瀬戸立鼓花入 銘旅枕 重要文化財(cái) 和泉市久保惣記念美術(shù)館
Ki (yellow) Seto drum?shaped flower vase, known as "Tabimakura"
Height 21.4cm Kubosou Memorial Museum of Art, Izumi City
Registered as Important Cultural Property
黃瀬戸旅枕花入
Yellow Seto flower vase of tabimakura ("traveler's pillow") type
Height 16.8cm
黃瀬戸茶碗 銘朝比奈 北陸大學(xué)
Yellow Seto tea bowl, known as "Asahina”
Mouth diameter 13.0cm Hokuriku University
黃瀬戸茶碗 銘難波
Yellow Seto tea bowl, known as "Mamba"
Mouth diameter 11.7cm
(以下作品名のみ)
黃瀬戸茶碗
黃瀬戸茶碗 畠山記念館
黃瀬戸茶碗
伯庵茶碗 銘 宗節(jié)
黃瀬戸菊文香合 萬(wàn)野美術(shù)館
黃瀬戸寶珠香合 根津美術(shù)館
黃瀬戸根太香合
黃瀬戸曹蒲文輪花鉢
黃瀬戸大根文輪花鉢 重要文化財(cái) 萬(wàn)野美術(shù)館
黃瀬戸花文輪花鉢 藤田美術(shù)館
黃瀬戸福字文鉢渦木美術(shù)館
黃瀬戸菊菖蒲文輪花鉢
黃瀬戸菊鈕蓋付向付
黃瀬戸向付 藤田美術(shù)館
黃瀬戸草花文向付 畠山記念館
瀬戸黃釉茶碗
瀬戸黃天目茶碗
瀬戸黃天目茶碗
瀬戸菊花天目茶碗
黃瀬戸茶碗
黃瀬戸茶碗
黃瀬戸茶碗
変り黃瀬戸茶碗 梅沢記念館
黃瀬戸平鉢
黃瀬戸立鼓花入 銘 ひろい子 五島美術(shù)館
黃瀬戸立鼓花入
黃瀬戸立鼓水指
黃瀬戸獅子香爐 根津美術(shù)館
黃瀬戸獅子香爐 梅沢記念館
黃瀬戸香爐
黃瀬戸桐文香爐
黃瀬戸香爐
黃瀬戸香合
黃瀬戸寶珠香合
黃瀬戸根太香合
黃瀬戸根太香合
黃瀬戸寶珠香合 石川県立美術(shù)館
黃瀬戸根太香合
黃瀬戸竹蓋置
黃瀬戸竹蓋置
黃瀬戸竹蓋置
黃瀬戸花文茶碗 北村美術(shù)館
黃瀬戸悔花文茶碗 銘 萬(wàn)歳
黃瀬戸梅花文茶碗
黃瀬戸梅花文胴紐茶碗
黃瀬戸梅花文胴紐茶碗
黃瀬戸梅花唐草文鉢
黃瀬戸梅花唐草文鉢
黃瀬戸梅花唐草文鉢
黃瀬戸菊形鉢 畠山記念館
黃瀬戸菊菖蒲文輪花鉢
黃瀬戸草花文輪花鉢
黃瀬戸丁子唐草文鉢?。停希撩佬g(shù)館
黃瀬戸丁子唐草文鉢
黃瀬戸丁子唐草文鉢底
黃瀬戸梅樹(shù)文鉢 MOA美術(shù)館
黃瀬戸梅樹(shù)文鉢
黃瀬戸梅樹(shù)文鉢
黃瀬戸梅樹(shù)文鉢
黃瀬戸梅樹(shù)文鉢
黃瀬戸花文鉢
黃瀬戸桜花文向付 根津美術(shù)館
黃瀬戸菖蒲文平鉢 東京國(guó)立博物館
黃瀬戸曹蒲文臺(tái)鉢 梅沢記念館
黃瀬戸六角豬口 東京國(guó)立博物館
黃瀬戸輪花豬口
黃瀬戸六角豬口
黃瀬戸六角豬口
黃瀬戸六角豬口
黃瀬戸盃
黃瀬戸盃
瀬戸伯庵茶碗 銘 冬木 五島美術(shù)館
瀬戸伯庵茶碗 銘 朽木 五島美術(shù)館
瀬戸伯庵茶碗 銘 土岐 藤田美術(shù)館
黃瀬戸茶碗 銘 山路
絵瀬戸菊唐草文茶碗
瀬戸黒SETO?BLACKWARE
瀬戸黒茶碗 銘 小原木
瀬戸黒茶碗 銘 小原女
瀬戸黒茶碗 銘 ワラヤ
瀬戸黒茶碗 銘 冬の夜
瀬戸黒茶碗 銘 日松 萬(wàn)野美術(shù)館
瀬戸黒茶碗 銘 有明
瀬戸黒茶碗
瀬戸天目茶碗 東京國(guó)立博物館
瀬戸黒茶碗 藤田美術(shù)館
瀬戸黒茶碗
瀬戸黒茶碗
瀬戸黒茶碗
瀬戸黒茶碗 銘 山里
瀬戸黒茶碗 銘 スル墨
瀬戸黒茶碗 銘 武悪 東京國(guó)立博物館
瀬戸黒茶碗 銘 玄海
瀬戸黒茶碗 梅沢記念館
瀬戸黒茶碗
瀬戸黒茶碗
織部黒茶碗
織部黒茶碗
織部黒茶碗 銘 松島
瀬戸黒茶碗 銘 三番叟
利休瀬戸茶碗 銘 萬(wàn)歳
瀬戸茶碗 なごや焼
瀬戸六角豬口
瀬戸六角豬口 東京國(guó)立博物館