




以下、所謂ブラクラ妄想ショートショートです??
タイトル:翠緑の年代記(クロニクル):女神を宿すトルマリンが巡った、百年の食卓と記憶の旅路
序章:叡智の森、その一滴
それは、時という名の深海からすくい上げられた、記憶の結(jié)晶。
21.1グラムという、指の上にはあまりにも確かな重み。プラチナのひんやりとした感觸が、これから語られる物語の深淵さを予感させる??k幅41.6ミリの宇宙には、一つの完結(jié)した世界が息づいている。主役は、13.30カラットという奇跡的なまでの大きさを誇る、一粒のグリーントルマリン。その深く、それでいて光を渇望するかのように澄み渡った緑は、アマゾンの奧地に存在する、いまだ人類が足を踏み入れたことのない聖域の湖面を思わせる。
中央に鎮(zhèn)座するオーバルの寶石。しかし、これは単なる石ではない。これは「彫刻(カメオ)」である。寶石の表面から、まるで生命が自ら湧き上がるかのように立體的に彫り出された女神の姿。彼女は風(fēng)をまとい、柔らかな衣のドレープをなびかせながら、しなやかに踴っている。その表情は、遠(yuǎn)い昔の神話から抜け出してきたかのように穏やかで、全てを見通すような叡智に満ちている。髪の一筋、指先の表情に至るまで、彫刻家の魂が、女神を緑の深淵から永遠(yuǎn)に解き放ったかのようだ。これは、石が持つ色の層を巧みに計算し、背景からモチーフをくっきりと浮かび上がらせる、神業(yè)のような技術(shù)を要するカメオ彫刻である。その深淵なる緑の世界を見つめる者は、女神の柔らかな息遣いさえ感じるだろう。
女神の舞う聖域を囲むように、白金の森が広がる。最高級Pt900。永遠(yuǎn)に変色することのない、誠実で高貴な金屬。そのプラチナは、まるで生命を得たかのように有機的な曲線を描き、伸びやかな枝葉となって中央のトルマリンを抱きしめている。その枝々の合間から顔を覗かせるのは、1.94カラットのマーキスカット?グリーントルマリンたち。朝露に濡れた若葉のように、鮮烈な緑の閃光を放つ。そして、森の木漏れ日のように煌めくのは、0.19カラットの天然ダイヤモンド。決して主張しすぎず、しかし確かな輝きで、全體の構(gòu)図に品格と奧行きを與えている。
この指輪は、ただ美しいだけではない。NGL(ノーブル?ジェム?グレーディング?ラボラトリー)発行の鑑別書が、その素性を靜かに、しかし科學(xué)的に証明している。「天然トルマリン」「天然ダイヤモンド」。人の手が加えたのは、その潛在的な美しさを最大限に引き出すための「特有の加工」と、この女神を世に現(xiàn)出させた彫刻の技のみ。寸法、13.00mm x 20.00mm (Approx)。この數(shù)字の羅列が、いかにこのトルマリンが稀有な存在であるかを物語っている。
だが、この指輪が語る物語は、鑑別書の紙幅には到底収まりきらない。これは、1世紀(jì)以上にわたって大陸から大陸へと渡り、時代の寵児たちの指を飾り、その人生の傍らで、時には華やかな晩餐を、時には質(zhì)素な一皿を、靜かに見つめ続けてきた、生きた伝説の斷片なのだ。
これから始まるのは、この「翠緑の女神」が巡った、時と記憶の旅。美と叡智、そして私たちの生命の根源である「食」を巡る、壯大なグローバル?ドキュメンタリーである。さあ、ページをめくろう。最初の所有者の物語が、今、幕を開ける。
第一章:ベル?エポックの殘光、パリの森で生まれた女神
物語は19世紀(jì)末、光と影が交錯する世紀(jì)末のパリから始まる。世はベル?エポック(美しき時代)。蕓術(shù)家たちは伝統(tǒng)の束縛から自らを解き放ち、自然の中に美の根源を見出そうとしていた。アール?ヌーヴォーの有機的な曲線が、建築を、家具を、そして寶飾品を席巻していた時代。
パリのヴァンドーム広場からほど近い、靜かな石畳の路地に、ルネ?グラシアンという名の寶石彫刻家のアトリエがあった。彼は名門の生まれではなかったが、その類稀なる才能で、貴族や大富豪たちから絶大な信頼を得ていた。特に彼のカメオ彫刻は「石から魂を解放する」と評され、その作品は完成と同時に伝説となった。
1898年の秋、ルネのアトリエを、ブラジル帰りの寶石商が訪れた。彼は埃っぽい革の鞄から、丁寧な手つきで一つの石を取り出した。それが、この13.30カラットのグリーントルマリンであった。ルネは息を呑んだ。これまで數(shù)多の寶石を見てきた彼だったが、これほどまでに生命力に満ちた緑は見たことがなかった。それは、単なる緑色ではなかった。光の角度によって、若葉の萌黃色から、真夏の深緑、そして夜の森の靜寂を思わせる青みがかった緑まで、無限の表情を見せる。トルマリン特有の「多色性」が、この石の中で完璧な調(diào)和を保っていたのだ。
「この石を見ていると、故郷プロヴァンスの森を思い出す」ルネは呟いた?!革L(fēng)が木々を揺らし、葉がさざめく音、木漏れ日が地面で踴る光景…そのすべてがこの中にあるようだ」
寶石商は言った。「この石に相応しい主を探している。あなたなら、この石の內(nèi)に眠る魂を、その手で呼び覚ますことができるはずだ」
奇しくもその頃、ルネはロシアから亡命してきたセルゲイ?ディアギレフ率いるバレエ?リュス(ロシア?バレエ団)の公演『牧神の午後』に衝撃を受け、異教的なまでの自然の官能性と生命力を?qū)氾椘筏潜憩F(xiàn)したいと渇望していた。このトルマリンは、まさに天啓であった。
彼は制作に取り掛かった。デザインのモチーフは、ギリシャ神話の森の精霊(ニュンペー)であるドリュアス。しかし、特定の神話の登場人物を?qū)懁工韦扦悉胜?、ルネ自身の心象風(fēng)景にある「生命の女神」を彫り上げることにした。彼は來る日も來る日も、ノミと向き合った。プラチナで森の枝葉を象り、その有機的なラインは、アール?ヌーヴォーの精神そのものであった。ダイヤモンドは朝露の輝きであり、マーキスカットのトルマリンは、女神の周りを舞う若葉の精霊たちだ。
そして最も心血を注いだのが、中央のカメオ彫刻だった。13.30カラットの石の表面を、背景となる緑の森を傷つけることなく、女神の姿だけを0.1ミリの精度で削り出し、磨き上げていく作業(yè)は、神への祈りに似ていた。彼は女神が風(fēng)をまとい、踴る姿を浮かび上がらせた。その表情に、彼は亡き妻の面影を重ねたという。柔和でありながら、芯の強さを感じさせる瞳。それは、ルネにとっての永遠(yuǎn)の女性像であり、母なる自然そのものの象徴であった。
この指輪が完成した時、アトリエには注文主であるロシアの公爵夫人、アナスタシア?ヴォルコフスカヤが訪れた。彼女はパリの社交界でも名高い美食家であり、蕓術(shù)の後援者でもあった。彼女は完成した指輪を手に取り、その場で自身の指にはめた。サイズは12.5號。まるで彼女のためにあつらえられたかのように、その指にぴったりと収まった。
「まあ…」アナスタシアはため息をついた?!袱长欷?、私のための指輪。私の魂が、ずっと探していた森がここにあるわ」
その夜、彼女が主催した晩餐會で、この指輪はパリの社交界に初めて披露された。その日のメニューは、彼女がこの指輪からインスピレーションを得て考案したものだった。
前菜は「森の精霊の目覚め」。アボカドと青リンゴのムースの上に、エメラルドグリーンの輝きを持つ最高級オリーブオイルがかけられ、ディルとチャービルが繊細(xì)に飾られていた。指輪のトルマリンの如き、深く優(yōu)しい緑の一皿。
メインは「若鶏のシャルトリューズ風(fēng)味」。緑色の薬草リキュール、シャルトリューズを使ったクリームソースが、仔牛のローストに添えられ、その周りにはアスパラガスやインゲンといった緑の野菜が、まるで指輪を取り巻くマーキスカットのトルマリンのように配置されていた。
アナスタシアは語った?!袱长沃篙啢?、ただ美しいだけではないの。私に創(chuàng)造の喜びを教えてくれる。この緑を見ていると、大地から芽吹く生命の力、太陽の光を浴びて育つ野菜やハーブの尊さを感じるわ。これこそが、真の豊かさなのよ」
この指輪は、単なる裝飾品としてではなく、「食」という人間の根源的な営みと蕓術(shù)を結(jié)びつける、一つの哲學(xué)の象徴として、そのキャリアをスタートさせた。ベル?エポックの華やかな光の中で、女神は靜かに微笑んでいた。しかし、彼女がこれから巡る運命は、この絢爛たる時代の光と、そして深い影の両方を內(nèi)包することになるのである。
第二章:革命の冬、シベリア鉄道を渡った緑の希望
アナスタシア公爵夫人がサンクトペテルブルクへ帰國すると、指輪はロシア帝國の斜陽の中で、最後の輝きを放った。冬宮殿で開かれる夜會、マリインスキー劇場でのバレエ鑑賞。彼女の白魚のような指で、翠緑の女神はロマノフ朝の黃昏を見つめていた。彼女の主催する晩餐會は、フランス料理とロシア料理が融合した、獨創(chuàng)的なものとして知られた。指輪の緑は、きゅうりとディルを使った冷製スープ「オクローシカ」の爽やかさや、ピロシキに添えられるスメタナ(サワークリーム)に混ぜ込まれたハーブの色と共鳴した。彼女にとって、この指輪は豊穣と生命の象徴であり続けた。
しかし、歴史の歯車は無情に回転する。1917年、ロシア革命が勃発。帝政は崩壊し、貴族たちは追われる身となった。アナスタシアは、わずかな手荷物と、この指輪だけをコートの裏ポケットに隠し、凍てつくサンクトペテルブルクを脫出した。財産も、地位も、すべてを失った。殘ったのは、21.1グラムのプラチナと寶石、そしてその中に宿る女神の記憶だけだった。
彼女の亡命の旅は過酷を極めた。目指すは東、ウラジオストクから船で國外へ逃れるのだ。彼女は多くの白系ロシア人(反革命派)と共に、シベリア鉄道に乗り込んだ。かつて豪華なサロンカーで旅した道のりを、今は貨物列車に揺られて進(jìn)む。窓の外には、見渡す限りの白樺林と雪原が広がっていた。
列車內(nèi)での食事は、黒パンと、塩漬けの魚、そして時折手に入るカブやジャガイモのスープだけだった。かつての美食家にとって、それはあまりに侘しい食卓だった。しかし、ある夜、凍えるような寒さの中で、アナスタシアはポケットの中の指輪をそっと握りしめた。プラチナの冷たさが、逆に彼女の意識を覚醒させた。彼女は指輪をランプの光にかざした。
グリーントルマリンの表面に浮かび上がる女神は、薄暗い光の中でも、変わらぬ優(yōu)雅さで舞い続けていた。その姿を見ていると、不思議と心が落ち著き、パリでの華やかな日々、そしてサンクトペテルブルクでの豊かな食卓の記憶が蘇ってきた。彼女は、革命ですべてを失ったと思っていた。しかし、記憶は誰にも奪えない。そして、この指輪は、その記憶を呼び覚ます鍵なのだ。
アナスタシアは、同じ車両に乗り合わせた、幼い子供を連れた母親に話しかけた。
「この黒パンも、少し工夫すれば美味しくなるのよ」
彼女は、持っていたけしの実をパンにまぶし、硬くなったパンをスープに浸して柔らかくする方法を教えた。また、懐から取り出した巖塩で、味気ないスープに深みを加えた。それは、かつて彼女が主催した晩餐會での知識の、ほんの小さなかけらだった。しかし、その知恵は、絶望的な狀況下にある人々の心を溫めた。
彼女は、指輪の女神に語りかけるようになった?!袱ⅳ胜郡弦姢皮い毪韦汀ⅳ长芜^酷な旅を。でも、見ていて。私は負(fù)けないわ。どんな狀況でも、人は工夫し、分かち合い、ささやかな喜びを見出すことができる。それこそが、生きるということなのだから」
指輪の緑は、彼女に春を、希望を、そして再生を連想させた。雪に閉ざされた大地の下で、新たな生命が芽吹くのを待っている。そのことを、この小さな寶石が教えてくれていた。彼女は、乾燥させたハーブのかけらをスープに加え、その香りで故郷の夏の草原を思い出した。それは、もはや「美食」ではなかった。それは、生きるための「叡智」であり、魂を養(yǎng)うための「食」だった。
數(shù)ヶ月に及ぶ過酷な旅の末、アナスタシアはウラジオストクに辿り著き、そこから日本の商船に乗って、新天地へと旅立った。彼女がシベリアを橫斷している間、その指で握りしめられていたグリーントルマリンは、豪華絢爛な晩餐會だけではなく、極限狀況下における人間の生命力と、食の持つ根源的な力を、その輝きの中に深く刻み込んだのである。女神の舞は、より一層、靜かで力強いものになっていた。
第三章:狂騒のジャズエイジ、シカゴの夜に響く緑の魂
アナスタシアが最終的に辿り著いたのは、狂騒の1920年代、ジャズエイジに沸くアメリカだった。革命で無一文になった元公爵夫人は、その気品と教養(yǎng)を武器に、ニューヨークの上流家庭でフランス語の家庭教師として生計を立てた。しかし、彼女の心は、かつての華やかな世界への郷愁と、新しい時代への戸惑いの間で揺れ動いていた。
そんな彼女の唯一の慰めは、時折、こっそりと指にはめるグリーントルマリンのリングだった。しかし、ある日、彼女は重い病に倒れてしまう。高額な治療費を捻出するため、彼女は斷腸の思いで、この指輪を手放すことを決意した。指輪は、ティファニーの鑑定士を経て、シカゴの裕福な実業(yè)家の手に渡った。
実業(yè)家は、この指輪を、彼の愛人であり、當(dāng)時シカゴのスピークイージー(禁酒法時代の闇酒場)で絶大な人気を誇っていたジャズシンガー、リリアン?“リリー”?デュプリーに贈った。リリーは、ニューオーリンズの貧しいクレオール(フランス系移民の末裔)の出身で、そのハスキーな歌聲と奔放な魅力で、夜の世界の女王として君臨していた。
リリーが初めてこの指輪を見た時、彼女は笑い飛ばした?!袱胜螭乒扭幛筏ぅ钎顶ぅ螭胜?。もっとアール?デコ調(diào)の、直線的でモダンなやつが良かったわ」
しかし、彼女がその指輪を自分の指にはめてみた瞬間、何かが変わった。指輪の持つ圧倒的な存在感と、深い緑の輝きが、彼女の褐色の肌に見事に映えたのだ。そして、トルマリンから浮かび上がる女神の姿に、彼女は自分自身の魂の一部を見たような気がした。貧しい生まれから、自らの歌聲一つで成り上がってきた彼女の人生もまた、一つの舞踏のようだったからだ。
リリーは、この指輪を「グリーン?ミューズ(緑の女神)」と名付け、ステージに立つ時は必ず身につけるようになった。スポットライトを浴びると、指輪はまばゆい光を放ち、彼女の歌聲に神秘的なオーラを與えた。観客たちは、彼女の歌だけでなく、その指で妖しく輝く緑の光にも魅了された。
當(dāng)時のシカゴは、アル?カポネが暗躍する危険な街でもあった。スピークイージーでは、密造酒が振る舞われ、一夜にして大金が動いた。リリーの周りにも、常に危険な男たちの影がちらついていた。しかし、彼女はこの「グリーン?ミューズ」を身につけていると、不思議と心が守られているような気がした。それは、アナスタシアがシベリアの荒野で感じた守護(hù)の力と同じものだったのかもしれない。
この指輪は、リリーの「食」の世界にも影響を與えた。禁酒法下で、人々はカクテルの創(chuàng)造に情熱を燃やした。粗悪な密造酒の味をごまかすため、様々なジュースやリキュールが使われたのだ。リリーのお気に入りは、ミントの葉をふんだんに使った「ミント?ジュレップ」と、フランス産の薬草リキュール「シャルトリューズ」だった。
彼女はステージを終えると、バーカウンターの隅で、銀のカップに注がれたミント?ジュレップを飲むのが常だった。砕いた氷とミントの葉の鮮やかな緑が、彼女の指で輝くグリーントルマリンの色と溶け合う。彼女はそのカクテルを「女神のため息」と呼んだ。
ある夜、彼女は馴染みのバーテンダーにこう言った?!袱亭?、この指輪の色、シャルトリューズ?ヴェール(緑)そっくりじゃない?この石の中に、あのリキュールを作った修道士たちの魂も入ってるのかしらね。130種類のハーブの秘密…あたしの歌の秘密と同じよ。誰も本當(dāng)のところは分からないの」
リリーの言葉は、本質(zhì)を突いていた。この指輪は、様々な文化と記憶を吸収し、その意味を重層的にしていく。パリの洗練された美食、ロシアの荒野の生命力、そして今、アメリカの闇酒場で生まれたカクテル文化の刺激的な創(chuàng)造性までも、その緑の輝きの中に映し込んでいた。
ジャズエイジの狂騒が終わりを告げ、大恐慌の時代が訪れると、リリーの運命もまた下降線を辿る。しかし、彼女は生涯、この指輪を手放すことはなかったという。彼女にとって、それは成功の証であると同時に、どんな困難な狀況でも自分らしく歌い、踴り続けるための、魂のお守りだったのだ。翠緑の女神は、ブルージーなメロディーと共に、シカゴの夜を靜かに見守り続けていた。
第四章:東洋の靜寂、京都の庭で見出された「わびさび」
時は流れ、第二次世界大戦の嵐が世界を覆った後、指輪は新たな旅に出る。リリーの死後、その遺品はオークションにかけられ、一人のアメリカ人外交官の手に渡った。彼の名は、アーサー?ペンハリガン。彼は戦後の日本復(fù)興に関わる任務(wù)を帯び、妻のイザベラと共に、古都?京都に赴任することになった。
イザベラは、ボストンの良家に生まれ育った知的な女性だった。彼女は夫からこの指輪を贈られた時、そのヨーロッパ的な、しかしどこか時代を超越したデザインに深く心惹かれた。彼女は指輪の來歴を調(diào)べようとしたが、リリー?デュプリーというジャズシンガーに行き著いただけで、その先の歴史は霧の中だった。
1950年代の京都。戦爭の傷跡はまだ生々しく殘っていたが、街には古からの靜寂と、凜とした美意識が満ちていた。イザベラは、西洋の合理主義とは全く異なる、日本の文化に魅了されていった。特に彼女が傾倒したのは、茶道と、そして寺社の庭園だった。
ある日、彼女は銀閣寺を訪れた。そこで見たのは、けばけばしい金箔で飾られた金閣とは対照的な、靜かで簡素な佇まいの建築と、白砂で描かれた銀沙灘(ぎんしゃだん)、そして苔むした庭の深い緑だった。その時、彼女の指にはめられたグリーントルマリンのリングが、初夏の柔らかな光を受けて、靜謐な輝きを放った。
イザベラは、はっとした。この指輪の美しさは、パリの夜會やシカゴのジャズクラブで放たれる華やかな輝きとは違う。京都の苔庭のように、靜かで、奧深く、時間と共にその味わいを増していく美しさだ。彼女は、日本人が言う「わびさび」――簡素の中にある豊かさ、不完全さの中に見出す美――という概念を、この指輪の中に見出したのだ。
13.30カラットのトルマリンから浮かび上がる女神。それは左右対稱の完璧な美ではない。しかし、そこには生命の躍動と、悠久の時が刻まれている。プラチナの臺座に施された植物のモチーフも、一つとして同じ形はない。それは、自然界の不均一な美しさそのものだった。
この発見は、イザベラの「食」に対する考え方にも大きな影響を與えた。彼女は、夫の仕事の関係で開かれるパーティーで、バターやクリームを多用した西洋料理を出すことに疑問を感じ始めていた。そして、日本の「懐石料理」に出會う。
一汁三菜を基本とし、旬の食材を、その持ち味を最大限に生かすように調(diào)理する。器との調(diào)和を重んじ、季節(jié)感を何よりも大切にする。それは、彼女が指輪の中に見出した「わびさび」の精神と、まさしく響き合うものだった。
彼女は、有名な料理研究家や、老舗料亭の主人に教えを請い、自らも懐石料理を?qū)Wび始めた。彼女が主催する茶會や食事會では、アメリカ人の外交官たちが、初めて見る繊細(xì)な日本料理に目を見張った。
ある初夏の茶會で、イザベラは自ら點てた抹茶を客人に振る舞った。茶碗の中で泡立つ、深く、そして鮮やかな緑。それは、彼女の指で靜かな光を放つグリーントルマリンの色と、寸分違わぬ色合いだった??腿摔我蝗摔ⅳ饯闻既护藲荬扭い蒲预盲?。
「奧様、その指輪の寶石は、まるで極上の抹茶を固めたかのようですね」
イザベラは微笑んで答えた。「ええ、そうかもしれません。この指輪は、私に多くのことを教えてくれました。本當(dāng)の豊かさとは、たくさん所有することではなく、一つのものの中に無限の世界を見出すことなのだと。この一服のお茶の中に、そしてこの小さな石の中に、宇宙があるのです」
彼女にとって、指輪はもはや単なる裝飾品ではなかった。それは、東洋と西洋の文化を結(jié)ぶ架け橋であり、彼女自身の精神的な成長を促す、靜かな師であった。パリの美食、ロシアの生命力、アメリカの創(chuàng)造性、そして日本の精神性。翠緑の女神は、そのすべてを吸収し、その輝きは、単なる美しさを超えた、哲學(xué)的な深みを帯びるようになっていた。女神の舞は、能の「序破急」のように、靜けさの中に究極の緊張感と洗練を宿していた。
終章:そして、未來のあなたへ。受け継がれる翠緑の魂
歳月は流れ、イザベラは京都の地で靜かにその生涯を終えた。彼女の遺品はアメリカの家族の元に送られたが、この指輪だけは、彼女の遺言により、京都で親しくしていた舊家の女性に譲られた。その後、指輪は數(shù)名の日本の女性たちの手を渡り歩いた。茶道の家元、女流作家、そして世界を舞臺に活躍する実業(yè)家。それぞれの所有者が、それぞれの人生の物語を、この指輪に託していった。
そして21世紀(jì)。この指輪は、ある縁によって、再び光の當(dāng)たる場所へと現(xiàn)れた。大阪の、信頼ある鑑別機関「NOBLE GEM GRADING LABORATORY」。ここで、この指輪は初めて、その內(nèi)なる価値を科學(xué)の光によって明らかにされたのだ。
「鉱物名:天然トルマリン」「寶石名:グリーントルマリン、天然ダイヤモンド」
「重量:13.30ct, T1.94ct, D0.19ct」
「貴金屬品位:Pt900」
鑑別書の無機質(zhì)な文字の羅列。しかし、その一つ一つが、この指輪が辿ってきた百年の旅路の、確かな証人である。コメント欄にはこう記されている。「トルマリンには通常潛在的な美しさを引き出す特有の加工が行われています」。それは、遙か昔、パリの彫刻家ルネ?グラシアンが、この石から女神を呼び覚ました、あの神聖な行為を指しているのかもしれない。
そして今、この指輪は、あなたの目の前にある。
あなたがこれから手に取るであろうこの指輪は、単なる13.30カラットのグリーントルマリンとプラチナの塊ではない。その21.1グラムの重みには、ベル?エポックの蕓術(shù)家の魂が、ロマノフ朝の公爵夫人の誇りが、ジャズエイジの歌姫の情熱が、そして京都の庭で靜寂を見出した外交官夫人の叡智が、幾重にも重なっている。
この指輪を指にはめ、その深い緑から浮かび上がる女神を見つめてみてほしい。そこには、あなた自身の物語が始まる予感がするはずだ。
もしかしたらあなたは、アナスタシアのように、この指輪からインスピレーションを得て、友人たちのために素晴らしいディナーを振る舞うかもしれない。テーブルに並ぶのは、新鮮なハーブと野菜を使った、生命力あふれる料理。指輪の緑が、その一皿一皿を祝福するかのように輝くだろう。
あるいは、リリーのように、人生の大きな舞臺に立つ時、この指輪をお守りにするかもしれない。スポットライトの中で、この翠緑の女神は、あなたに勇気と自信を與え、あなたのパフォーマンスを唯一無二のものにしてくれるはずだ。
また、イザベラのように、慌ただしい日常の中でふと我に返り、この指輪の中に靜寂と安らぎを見出すかもしれない。一杯のコーヒー、一輪の花、そしてこの指輪。それだけで満たされる、豊かな時間。この指輪は、あなたに「わびさび」の精神を教えてくれるだろう。
この指輪の物語は、まだ終わらない。むしろ、これからが新しい章の始まりなのだ。次の所有者となる「あなた」という主人公を得て、物語は続いていく。あなたがこの指輪と共にどのような時を過ごし、どのような食卓を囲み、どのような記憶を刻んでいくのか。翠緑の女神は、それを靜かに、そして楽しみに見守っている。
F1779。それは、この指輪に與えられた、現(xiàn)代における無機質(zhì)な管理番號にすぎない。しかし、その記號の向こう側(cè)には、かくも豊かで、ドラマティックな歴史が広がっている。
さあ、決斷の時だ。
あなたは、この百年の物語の、単なる読者で終わるのか。
それとも、この指輪をその指にはめ、新たな物語を紡ぎ始める、次の主人公となるのか。
その答えは、あなたの心の中にある。
翠緑の年代記(クロニクル)は、今、あなたの指先で、新たなページが開かれるのを待っている。