※絶版
フルカラー大型図録本、古備前図鑑。
鎌倉(cāng)時(shí)代から江戸時(shí)代初期にいたる、桃山茶陶など古備前焼の厳選された?jī)?yōu)品77點(diǎn)と亀山焼4點(diǎn)を収録。
時(shí)代別にあらゆる器形を網(wǎng)羅して、作風(fēng)の展開(kāi)のさまがわかるように整理分類(lèi)し、
水指、茶入、茶碗、花生、花入、などの茶道具から、大甕、甕、擂鉢、壷、手鉢、皿、小鉢、酒器、徳利など日常雑器にいたるまで網(wǎng)羅して収録。
フルカラー寫(xiě)真図版に加えて、巻末には全作品の寸法、サンギリ/桟切?緋襷/火襷?胡麻ほか景色などの見(jiàn)どころ、伝來(lái)など詳細(xì)に解説。年銘、在銘のものはその內(nèi)容を書(shū)き出し、窯印のあるものについては窯印/陶印の記號(hào)を作品解説ページ各作品のテキスト內(nèi)にその特徴を収録。
また、本文概説にはモノクロ寫(xiě)真も參考畫(huà)像として多數(shù)収録。
備前焼の発展過(guò)程(壺、擂鉢、甕)の斷面寫(xiě)真?參考作品寫(xiě)真図版、海揚(yáng)がり備前焼寫(xiě)真、年銘資料寫(xiě)真、類(lèi)似の形狀をもつ他窯の作品との比較寫(xiě)真など、
ほかに備前焼古窯の分布地図、作品名については、BIZEN WAREとして全作品に英文表記あり。
監(jiān)修は、
谷川徹三(昭和を代表する哲學(xué)者?國(guó)博物館次長(zhǎng)?法政大総長(zhǎng)等を歴任し、古今東西の思想?宗教?政治?文學(xué)?美術(shù)に及ぶ広範(fàn)な評(píng)論活動(dòng)を展開(kāi))
編集は、
林屋晴三(日本陶磁史、とくに茶陶の研究を進(jìn)めた東京國(guó)立博物館名譽(yù)館員。日々茶の湯を?qū)g踐した數(shù)寄者、東京國(guó)立博物館次長(zhǎng)、裏千家茶道資料館顧問(wèn)、頴川美術(shù)館理事長(zhǎng)、菊池寛実記念智美術(shù)館館長(zhǎng)などを歴任、博物館や美術(shù)館における展覧會(huì)活動(dòng)には終生関わった陶磁史研究の第一人者)
佐藤雅彥
日本の美術(shù)史家、陶磁器研究家。東洋美術(shù)史、中國(guó)、日本の陶磁史を研究。東京生まれ。慶應(yīng)義塾大學(xué)文學(xué)部蕓術(shù)學(xué)科卒。1951年大阪市立美術(shù)館學(xué)蕓員、學(xué)蕓課長(zhǎng)、1972年京都市立蕓術(shù)大學(xué)教授、1980年學(xué)長(zhǎng)。北海道立近代美術(shù)館館長(zhǎng)。
坪井清足
日本の考古學(xué)者。元奈良國(guó)立文化財(cái)研究所所長(zhǎng)、元元興寺文化財(cái)研究所所長(zhǎng)。勲三等旭日中綬章、文化功労者。大阪府出身。
楢崎彰一
昭和後期-平成時(shí)代の考古學(xué)者。名大教授、のち名古屋學(xué)院大教授。専攻は日本陶磁史。愛(ài)知県猿投山麓をはじめ?;亼?、越前などの古窯跡を調(diào)査?研究。55年第1回小山冨士夫記念賞功績(jī)褒賞。
論考テキスト、作品解説の執(zhí)筆者は、伊藤晃?上西節(jié)雄。
岡山県文化財(cái)保護(hù)主事、県內(nèi)の遺跡等発掘調(diào)査や文化財(cái)管理従事者の目線(xiàn)で、
主な寫(xiě)真や発掘資料をまじえて備前焼の時(shí)代區(qū)分や作風(fēng)、発展過(guò)程をわかりやすく解説。
実は江戸時(shí)代に既に年銘などの贋作が作られてきた備前焼を、
年代別の作風(fēng)の特徴、変遷などから真贋鑑定することにも役立つもの。
監(jiān)修者、責(zé)任編集者ともに昭和後期最高峰の內(nèi)容を誇り、加えて発掘調(diào)査に攜わった岡山県の専門(mén)家の手によるテキストは內(nèi)容充実、參考文獻(xiàn)としても多く引用されてきた一冊(cè)です。
美術(shù)館?博物館所蔵の在銘名物から、
めったにお目にかかることのできない個(gè)人蔵の銘品優(yōu)品を多數(shù)カラーで寫(xiě)真解説。
大型本のため、各作品の寫(xiě)真も大きく、細(xì)部まで見(jiàn)て楽しむことができる、
備前焼作家、陶蕓家、古備前、桃山茶陶、酒器、茶道具、侘び茶、骨董品愛(ài)好家等に必?cái)yの大変貴重な資料本です。
【目次】
作品 カラー寫(xiě)真図版
概説-焼締古陶の雄 伊藤晃 上西節(jié)雄 參考寫(xiě)真図版モノクロ(以下目次にはありませんが本文見(jiàn)出し)
備前焼の発生
備前焼の時(shí)代區(qū)分
備前焼の発展過(guò)程 壺
壺の口縁部形式の変遷と実物資料(斷面図寫(xiě)真含む寫(xiě)真)
若代出土遺物(寫(xiě)真、寸法、特徴)
備前焼の発展過(guò)程 擂鉢
擂鉢の口縁部形式の変遷と実物資料(斷面図寫(xiě)真含む寫(xiě)真)
備前焼の発展過(guò)程 甕
甕の口縁部形式の変遷と実物資料(斷面図寫(xiě)真含む寫(xiě)真)
年銘資料にみる大甕寸法の変遷グラフ
備前焼と他窯の作品(比較寫(xiě)真)
備前焼の茶陶
備前焼にみる年銘もの
年銘資料寫(xiě)真?表(年號(hào)?西暦?資料名?記銘位置?寄進(jìn)先?寄進(jìn)者または作者?所蔵者)
備前焼にみる海揚(yáng)り(海揚(yáng)がりの備前焼寫(xiě)真5點(diǎn))
備前焼略年表
備前古窯跡群分布図
作品解説 伊藤晃上 西節(jié)雄
やきもの風(fēng)土記 海に染った窯場(chǎng) 九原常雄?。ㄒ敛刻皆L(fǎng)記)
參考文獻(xiàn)
作品目録
英文梗概 English Abstract
英文目録 List of Plates
【凡例】
本巻には、鎌倉(cāng)時(shí)代から江戸時(shí)代初期(13世紀(jì)~17世紀(jì)初頭)を中心に、備前の作品77點(diǎn)77図と、亀山の作品4點(diǎn)、4図を収録した。
収録作品の配列は、時(shí)代別にあらゆる器形を網(wǎng)羅して、作風(fēng)の展開(kāi)のさまがわかるようにした。
作品には、原則として図版番號(hào)、名稱(chēng)、出土地、時(shí)代、寸法を付し、英文による名稱(chēng)を添えた。名稱(chēng)の読み方は作品解説においてふりがなをつけた。
所蔵については、公共あるいは私設(shè)の博物館、美術(shù)館等に屬するものは記職し、個(gè)人の場(chǎng)合はこれを省略した。
難解と思われる語(yǔ)、術(shù)語(yǔ)には。語(yǔ)の下に*をつけ、上欄に注を載せた。
巻末には英文による梗概、および図版目録を併載した。
備前古窯跡群分布図は、建設(shè)省國(guó)土地理院長(zhǎng)の承認(rèn)を得て、同院発行の五萬(wàn)分の一地形図を複製したものである。
資料提供?協(xié)力=鎌木義昌?葛原克人?河本清?竹內(nèi)順一?巽三郎?前田幹?間壁忠彥?間壁葭子?松下正司?三好基之?目賀道明?古田宏志?中村昭夫?熱海美術(shù)館?有田陶磁美術(shù)館?岡山県立博物館?岡山後楽園?五島美術(shù)館?東京國(guó)立博物館??;辛⑻帐|研究所?根津美術(shù)館?畠山記念館?備前古陶美術(shù)館?兵庫(kù)県陶蕓館?広島県草戸千軒町遺跡調(diào)査研究所?福山市立福山城博物館?安養(yǎng)寺?醫(yī)光院?亀山神社?歓喜光寺?願(yuàn)興寺?吉水院?靜円寺?千光寺?長(zhǎng)法寺?本法寺?萬(wàn)福寺?岡山県教育委員會(huì)?勝山町教育委員會(huì)?信楽町役場(chǎng)?田原町教育委員會(huì)?津山市教育委員會(huì)?日生町教育委員會(huì)
【概説】備前 より一部紹介
焼締古陶の雄 伊藤晃 上西節(jié)雄
備前焼の発生
備前焼については、今まで多くの先學(xué)によって研究がなされ、すでに語(yǔ)り盡された感が無(wú)きにしもあらずである。しかし、參考にされた資料のほとんどは、灰原を含む窯跡での表面採(cǎi)集?伝世品?海揚(yáng)がりのものが中心で、考古學(xué)的な學(xué)術(shù)調(diào)査によるものは、グイビが谷窯跡、合が淵窯跡、山陽(yáng)新幹線(xiàn)建設(shè)工事に伴う不老山西口?同東口窯跡*のみで、既発見(jiàn)窯跡數(shù)約100か所に比べれば皆無(wú)と言っても言いすぎではない。従って、層位學(xué)的?形式學(xué)的な編年は著手されはじめたばかりであり、まだ完成されているとは言いがたく、新発見(jiàn)の資料が出てきた場(chǎng)合、彌生式土器や須恵器のようには、厳密な時(shí)代判定ができにくい狀態(tài)にある。この小論では、諸先學(xué)の見(jiàn)解をふまえながら、少しでも新しい目で備前焼の諸問(wèn)題を見(jiàn)直すべく努力したい。
備前焼を語(yǔ)る場(chǎng)合、つい最近まで「中世六古窯」という言葉が常識(shí)的に使われていた。すなわち、瀬戸??;?越前?信楽?丹波?備前の六古窯である。しかし現(xiàn)在では、中世古窯は全國(guó)で二十?dāng)?shù)窯を數(shù)えるほどになり、研究が進(jìn)めば、もっと増えることが予想される。岡山県內(nèi)でも、備前焼の他に、周知の亀山焼(県南西都)ともう一つ、県北東部勝田郡勝央町付近で古代から中世にかけての古窯跡群が発見(jiàn)されている。これは、勝間田焼と呼ばれている。亀山焼は、須恵器系統(tǒng)のやきものであるが、次第に堅(jiān)緻さがなくなり、むしろ瓦質(zhì)に近く、その伝統(tǒng)は現(xiàn)在も大原焼として受け継がれている。また勝間田焼は、実態(tài)については詳しく把握されていないが、中世で消滅するその最後まで、須恵器と同系統(tǒng)の焼を持ち続けた青灰色の堅(jiān)緻なやきものである。岡山という地域における備前焼とこれらのやきものとの関係は、北陸における越前焼と珠洲焼との関係によく似た?jī)A向を持っている。
それでは、備前焼の発生というものはいつからであろうか。(以下略)
備前焼の発展過(guò)程-壺
備前焼のなかで最も種類(lèi)が多く、用途の広かったのは、壺である。備前焼壺の最も古い形がどんなものであったかを語(yǔ)る場(chǎng)合、その起源となった平安時(shí)代末期の須忠器から考えてゆかなければならない。備前市伊部から南西に西大平山をひとつ越えた所に、邑久郡長(zhǎng)船町大字磯上小字油杉という村落がある。この村へ東から流れ込む小川を約一キロメートル遡ったあたりに、數(shù)年前放牧場(chǎng)が造成された。その時(shí)、數(shù)基の須恵器の窯跡が破壊された。地理的にみても、おそらく須恵器最後の形式と言ってよいものを焼いたその窯跡の出土品のなかに、備前焼最初期と思われる備前市伊部明神池畔の赤尾窯跡出土品と、ほとんど同形式の破片を見(jiàn)出すことができる。この形式のものを焼いた時(shí)期がI期であるが、この期の備前焼壺の完品をまだ実見(jiàn)したことはない??诳Fの外反したこの形式の壺は、次第に力強(qiáng)いものとなり、ずっと後に備前焼獨(dú)特の玉緑へと進(jìn)化してゆくのである。
I期からI期にかけて、壺は一般的に大型化し、また口縁の外反部だけをみても、厚く力強(qiáng)いものとなってゆく。I期の後半には玉縁も現(xiàn)れるようになる。この期の窯は.I期と同様、山麓に位置したものもあるが、ほとんどは合が淵窯やグイビが谷窯に代表されるように、谷筋の中腹やかなり高い地點(diǎn)まで移動(dòng)する。その理由としては、熊山の社寺勢(shì)力との一層の密著や、陶土?燃料を求めての移動(dòng)などが考えられる。
初めてこのグイビが谷窯跡を訪(fǎng)れて驚くのは(以下略)
備前焼の茶陶
室町時(shí)代後期まで、特殊な例を除いて主として壺?擂鉢?甕といった雑器を焼いていた備前焼が、侘茶の世界で取り上げられるようになり、武野紹鴎を先達(dá)とする堺の町衆(zhòng)茶人の影響も受け、その作風(fēng)は多彩になっていった?!禾焱跛挛輹?huì)記』天文十八年(1549)十二月十二日の條に「水こほし ひせん物」
とあるのは、備前焼の茶會(huì)記に現(xiàn)れる最も早い記事である。ただ、侘茶の世界が最初に取り上げたのは、茶道具として使用されることを念頭に置かないで作られた種壺?小甕?徳利の類(lèi)で、焼締による素樸で寂びた味わいが受けたのである。それでは、本格的に茶陶としての備前焼が焼かれるようになるのはいつ頃からか。あくまで推定の域を出ないが、備前焼筒花生の先行形態(tài)である弘治三年(1557)銘筒大花生(図33)-唯一の筒形仏花瓶1より少し後ではないだろうか。つまりV期の大窯発生以後である。この期になると、天下に名高い名器に伍して、備前焼が一流茶人の茶會(huì)に堂々と姿を見(jiàn)せていたことが、茶會(huì)記などでうかがえる。
大窯初期に焼かれた備前焼の多様さ?巧妙さ?力強(qiáng)さは、おそらく他のどのような古窯出身の窯にも負(fù)けないと思われる。當(dāng)時(shí)他窯で焼かれていた大抵の器形は、備前でも焼かれている。それには優(yōu)れた陶工の存在はもちろん、中央の嗜好をいち早く伝え、それに応じた作品を作らせる指導(dǎo)者としての茶人の存在、また成形しやすく焼味のすばらしい粘土や、燃料としての瀬戸內(nèi)特有の肥えた赤松を忘れることはできない。大甕?擂鉢?壺などの生活雑器類(lèi)の數(shù)量が依然として圧倒的ななかで、茶入?水指?花生?徳利?皿など、中央の茶人にもてはやされ、備前焼の名聲を高めた茶道共の優(yōu)品が焼かれてゆく。日常雑器としての中世の備前焼が示した機(jī)能上?品質(zhì)上の優(yōu)位性があってはじめて、桃山期の備前焼茶道具に対する聲価がもたらされたものと考えられる。
桃山時(shí)代は、中世より続いた備前焼が、社會(huì)的な需要増により飛躍的に発展した時(shí)期である。それは備前焼史上最大の器形を誇り、また窯內(nèi)で最も広い場(chǎng)所を占めたあの大甕の多くに、「御誂也」と彫られているのを見(jiàn)てもわかる。(以下略)
備前焼にみる年銘もの
陶磁器の研究にはいろいろな方法があるが、年銘による方法もその一つである。とくに伽前焼には他窯に比べて年銘のある作品が多く、しかも各時(shí)代にわたっているので、時(shí)代判定の基準(zhǔn)資料として研究者間で重視されてきた。それらの成形方法?土味?焼味などを丹念に調(diào)べることにより、備前焼の歴史を知ることができ、ひいては他窯の同型の製品にも応用できるわけである。備前焼に年銘ものが多いのは、花瓶?壺?狛犬のように、社寺へ奉納するために作られたり、大奧や茶陶の一部に需要者側(cè)からの注文で作られたものがあることにもよる。
ところが後世、作品を古く見(jiàn)せる目的で古い年銘を書(shū)き込んだ贋作が、江戸時(shí)代中期から大正時(shí)代にかけてかなり作られている。贋作は、水指?花生などのような市場(chǎng)価値の高い茶陶に多く、年銘も天文?天正の桃山期前半のものが多い。従って年銘資料を見(jiàn)る場(chǎng)合、次のような點(diǎn)に注意して真?zhèn)韦蚺卸à筏胜堡欷肖胜椁胜?。備前焼の形式編年および他窯製品との比較、土味?焼味、筆で紙に書(shū)かれたものとは多少異るがその書(shū)體、內(nèi)容-たとえば干支と年號(hào)の合致もしくは改元前後の年銘の月日の確認(rèn)などである。また書(shū)かれている場(chǎng)所は、特定なものを除いて胴か底である。その比率は(以下略)
備前焼にみる海揚(yáng)り
岡山県玉野市宇野沖合に浮ぶ直島(香川県)北側(cè)の海底に沈んでいた難破船から、1919年(大正8年)と1940年(昭和15年)。それぞれ數(shù)変にわたり多くの備前焼が潛水夫によって引き揚(yáng)げられた。器種は擂鉢?片口?大皿?八寸皿?お預(yù)け徳利?鶴首徳利?芋徳利?蕪徳利などで、數(shù)にして200~300點(diǎn)にのぼると言われている。この時(shí)揚(yáng)げられた作品のなかには、現(xiàn)在茶道具として大変価値の高いものも多いが、もともとは初期伊萬(wàn)里などと同様、すべて生活雑器として生れたものであった。しかし大窯以前の作品に比べると格段に洗練され、器形も多様になっている。発見(jiàn)の様子からみて。この一セットの作品群のなかに當(dāng)時(shí)における″古備前″が含まれていた可能性は少なく、同時(shí)期の、場(chǎng)合によっては同じ窯出しの製品であった可能性が非常に強(qiáng)い。一緒に揚(yáng)げられた大甕の形式からみて、慶長(zhǎng)頃のものであると推測(cè)され、その結(jié)果、桃山備前をより詳細(xì)に時(shí)代區(qū)分することができるようになった。また海揚(yáng)りの作品には、お預(yù)け徳利?鶴首徳利?芋徳利?大皿?八寸皿?片口など、伝世資料にはほとんどみられなかった獨(dú)特の器形のものがあり、それが発見(jiàn)されるまでは、そうした作品があることさえも知られていなかったほどで、その意味からも備前焼の歴史を塗り替える大事件であったと言える。もちろん、この種の備前焼は、日常雑器として大量に作られ、粗末に扱われたものであるので、海揚(yáng)りは単にこの時(shí)に限らず、それ以前以後あるいはこれからもかなり(以下略)
?。▍⒖讥猊违韺?xiě)真畫(huà)像)
海揚(yáng)りの鶴首徳利
海揚(yáng)りの火入
海揚(yáng)りの辣韮徳利
海揚(yáng)りの芋徳利
海揚(yáng)りの蕪徳利
あとがき より
江戸時(shí)代初期以降の備前焼は、有田、瀬戸、京都などの施釉陶磁器にその販路を狹められながらも、細(xì)工ものなどに新しい分野を開(kāi)発し、他の中世窯業(yè)地が廃絶してゆくなかで、備前池田藩に保護(hù)されながら生産活動(dòng)を続ける。南?北?西大窯は、江戸時(shí)代末期までその生命を保ったが、江戸時(shí)代末期から明治時(shí)代にいたって、藩の保護(hù)もなくなり、遂に煙も途絶えた。しかし。大窯を少し小型にした天保窯?明治窯また個(gè)人窯などで、數(shù)々の努力がなされ、生産活動(dòng)が続けられた。戦後、民蕓、茶陶などの復(fù)古ムードに支えられた備前焼は飛躍的に活気を得て、金重陶陽(yáng)、藤原啓の人間國(guó)寶を生み出している。現(xiàn)在、他の窯場(chǎng)では見(jiàn)ることができない200名を越える作家、12軒の窯元が製作を続けている。
なお、參考文獻(xiàn)は、巻末に掲げてあるが、桂又三郎、林屋晴三、間壁忠彥、楢崎彰一諸氏の文獻(xiàn)によるところが大である。また、資料採(cǎi)集などに當(dāng)っては、備前焼愛(ài)好家諸氏はもとより研究者諸氏等々の協(xié)力を得た。
【執(zhí)筆者紹介】
伊藤晃(いとう?あきら)
1944年(昭和19年)、三重県に生れる。
立命館大學(xué)文學(xué)部史學(xué)科卒業(yè)。兵庫(kù)県教育委員會(huì)、名古屋大學(xué)文學(xué)部考古學(xué)研究室を経て、現(xiàn)在、岡山県教育委員會(huì)文化課文化財(cái)保護(hù)主事。同県內(nèi)の上東遺跡、備前國(guó)分寺跡などの発掘調(diào)査に従事。
論文「?jìng)淝皣?guó)分寺」(仏教蕓術(shù)第一〇〇號(hào)所収)
上西節(jié)雄(うえにし?せつお)
1948年(昭和23年)、岡山県に生れる。
立命館大學(xué)文學(xué)部地理學(xué)科卒業(yè)。
岡山県立博物館學(xué)蕓員を経て、現(xiàn)在、岡山県史編纂室勤務(wù)。東洋陶磁學(xué)會(huì)會(huì)員。
【作品解説】より一部紹介
寸法、制作年代、作風(fēng)やその見(jiàn)どころ、伝來(lái)などの詳しい解説。
窯印のあるものは、「○」などテキストに手書(shū)きでその窯印や、箆描きなどその特徴を掲載。
年銘や彫銘は文字に起こして掲載しています。
備前 花生 銘殘?jiān)?
高さ23.0cm
口徑11.4cm
底徑12.8cm
16~17世紀(jì)
矢筈口の縁が砕かれているが、備前の花生や水指にはしばしばみられることである。器胎は鮮やかな赤褐色で、焼成時(shí)に半分程度が灰に埋れていたと思われ、灰黒色の棧切となっているが、大きな赤い抜け肌があってアクセントを添えている。くびれの部分の梅鉢風(fēng)の刻印は、大変珍しい窯印である。ややかしいだ曲線(xiàn)が何とも言えないなまめかしさを漂わせて、心に殘る名品である。
備前 耳付花生 銘福耳
高さ25.2cm
口徑14.2cm
底徑13.8㎝
16~17世紀(jì)
口部が引き締められ、そこから下向きに左右二個(gè)の垂耳が付けられている。やや裾拡りの端正な姿に、これもまた落ち著いた灰黒色の焦げが袈裟狀に現(xiàn)れ、柔かくねっとりとした焼味で、縦橫の箟彫りも厭味がない。窯印は胴裾に「窯?。ē匹攻趣耸謺?shū)きで記載)」と印刻され、表裏の肩に鈎付穴の痕が殘っている。京都矢?jìng)}家の伝來(lái)と言われる優(yōu)品である。
【作品目録】より一部紹介
備前 壺
13世紀(jì) 高さ20.0cm 岡山県立博物館
備前 沈線(xiàn)文壺
13世紀(jì) 高さ31.5cm 備前古陶美術(shù)館
備前 沈線(xiàn)文壺 福山市草戸千軒町遺跡出土
13世紀(jì) 高さ35.0cm(以下制作年代?寸法略)
備前 沈線(xiàn)文壺 岡山市足守出土
備前 櫛目文壺 岡山県勝山町若代出土
備前 四耳壺 福(文)安元年(1444)銘 千光寺 備前 櫛月波狀文壺
備前 三耳壺 長(zhǎng)祿四年(1460)銘
備前 四耳壺 文明十二年(1480)銘
備前 四耳壺 岡山県立博物館
備前 四耳壺 天正十八年(1590)銘 岡山後楽園
備前 壺 天文二十三年(1554)銘
備前 櫛目波狀文壺 慶長(zhǎng)十五年(1610)銘
備前 緋襷四耳壺
備前 四耳壺
備前 櫛目波狀文片口壺 高知県伊野町出土 東京國(guó)立博物館
備前 刻文片口壺
備前 刻文片口壺 鳥(niǎo)取県河原町釜口出土 東京國(guó)立博物館
備前 刻文片口壺
備前 刻文片口小壺 岡山県勝山町若代出土 勝山町中央公民館
備前 刻文片口壺 岡山県勝山町若代出土
備前 擂鉢
備前 擂鉢
備前 擂鉢 岡山県立博物館
備前 大甕 岡山県立博物館
備前 大甕 福山城博物館
備前 大甕 元亀二年(1571)銘 岡山県立博物館
備前 甕 永正十四年(1517)銘 本法寺
備前 甕
備前 緋襷甕
備前 花瓶 永正九年(1512)銘 靜円寺
備前 花瓶 永祿十二年(1596)銘 靜円寺
備前 筒大花生 弘治三年(1557)銘 重要文化財(cái)
備前 筒花生
備前 擂座花生
備前 花生 銘殘?jiān)?
備前 耳付花生 銘福耳
備前 耳付花生 銘太郎庵
備前 四方花生
備前 三角花生
備前 砧形花生 畠山記念館
備前 鬼桶水指
備前 耳付水指
備前 耳付水指 銘破家
備前 矢筈口水指 岡山県立博物館
備前 矢筈口水指
備前 緋襷種壺水指
備前 緋襷棒先水指
備前 烏帽子形水指 寛永二十一年(1644)銘
備前 杳茶碗 銘 只今 岡山後楽園
備前 茶碗
備前 沓茶碗
備前 丸壺茶入 銘 走井
備前 肩衝茶入 銘 さび助
備前 緋襷肩衝茶入 銘 福神
備前 徳利
備前 緋襷大徳利 根津美術(shù)館
備前 緋襷大徳利 岡山県立博物館
備前 徳利 畠山記念館
備前 緋襷徳利 畠山記念館
備前 徳利
備前 徳利
備前 緋襷徳利
備前 瓢形徳利
備前 徳利
備前 緋襷徳利
備前 緋襷大皿 藤田美術(shù)館
備前 緋襷大皿 岡山県立博物館
備前 透文大鉢
備前 半月形手鉢 岡山県立博物館
備前 額鉢 岡山県立博物館
備前 平片口 岡山県立博物館
備前 銚子
備前 緋襷汁注
備前 湯桶 岡山県立博物館
備前 透文釣燈籠 元和五年(1619)銘
備前 透文貓重箱 元和七年(1621)銘
亀山焼 甕 岡山県芳井町出土
亀山 擂鉢 岡山県建部町高井谷出土 東京國(guó)立博物館
亀山 大甕 津山市黒沢山萬(wàn)福寺裏山出土 萬(wàn)福寺
亀山 大甕 福山市本莊出土 福山城博物館