15代
萩焼き 坂倉(cāng)新兵衛(wèi)作(深川本窯) 御物袋入

萩焼とは
文祿?慶長(zhǎng)の役後の江戸時(shí)代初期、毛利藩の保護(hù)のもとで李敬(坂高麗左衛(wèi)門)と李勺光(坂倉(cāng)新兵衛(wèi))の李朝の陶工達(dá)により現(xiàn)在の山口県萩市松本に開窯され、後に長(zhǎng)門市深川等に伝えられる。
萩茶碗は、日本人の侘び茶にかない、萩の七バケといわれ、茶人に愛された。
主原料である山口県內(nèi)防府市大道産の白色粘土との相性が良かった。
現(xiàn)在も松本萩?深川萩と伝承されている。

【深川萩焼】
坂倉(cāng)家は深川御用窯(深川萩)の名門です。
6代藤左衛(wèi)門の時(shí)に「坂倉(cāng)」姓に改姓する
【初代  李勺光】
【2代 山村新兵衛(wèi)光政】生年不詳~1658年(明暦4)
【3代 山村平四郎光俊】生年不詳~1709年(寶永6)
【4代 山村彌兵衛(wèi)光信】生年不詳~1724年(享保9)
【5代 山村源次郎光長(zhǎng)】生年不詳~1760年(寶暦10)
【6代 坂倉(cāng)藤左衛(wèi)門】生年不詳~1770年(明和7)
【7代 坂倉(cāng)五郎左衛(wèi)門】生年不詳~1792年(寛政4)
【8代 坂倉(cāng)半平】生年不詳~1822年(文政5)
【9代 坂倉(cāng)平助】生年不詳~1850年(嘉永3)
【10代 坂倉(cāng)九郎衛(wèi)門】生年不詳~1857年(安政4)
【11代 坂倉(cāng)新兵衛(wèi)】生年不詳~1897年(明治30)
【12代 坂倉(cāng)新兵衛(wèi)(本名 平吉)】1881年(明治14)~1960年(昭和35)
1881年明治14年 11代新兵衛(wèi)の長(zhǎng)男として山口県に生
1897年明治30年 12代坂倉(cāng)新兵衛(wèi)を襲名
1898年明治31年 萩焼宗家9代坂高麗左衛(wèi)門に師事して萩焼再興を志す。
1899年明治32年 修行の余暇を利用して萩漢學(xué)塾に學(xué)び、吉田松陰の兄?杉民治に茶道の手解きを受ける
1905年明治38年 山口県長(zhǎng)門市深川湯本の自家に築窯して獨(dú)立する
1910年明治43年 関西府県連合共進(jìn)會(huì)で受賞する
1913年大正02年 山口県知事より萩焼販路調(diào)査を委囑され、香川県高松市久保町の海徳寺にて萩焼陶器展を開催しました。
1919年大正08年 茶陶としての技術(shù)を更に高める為に表千家12代惺斎宗左に師事しました。惺斎宗左の知遇を得て御好み窯の許しを受け、御好み道具制作の御下命を受けました。
1922年大正11年 平和博覧會(huì)美術(shù)館部で受賞、1926年昭和元年、聖徳太子奉讃會(huì)美術(shù)展で総裁久邇宮賞を受賞する。
1932年昭和07年 山口県立深川高等女學(xué)校茶道教授を囑託される。
1943年昭和18年 萩焼における工蕓技術(shù)保存資格者として指定を受。
1947年昭和22年 美術(shù)陶器認(rèn)定委員に就任する。
1948年昭和23年 萩焼美術(shù)陶蕓協(xié)會(huì)會(huì)長(zhǎng)に就任。
 惺斎宗左亡き後は表千家13代即中斎宗左に師事して亂飾相伝を許されました。
1954年昭和29年 千家同門會(huì)山口県支部顧問に推挙され、長(zhǎng)門湯本振興會(huì)長(zhǎng)に推挙されました。
1956年昭和31年 山口県指定無形文化財(cái)に認(rèn)定される。
1957年昭和32年 日本工蕓會(huì)正會(huì)員となる。
 文化財(cái)保護(hù)委員會(huì)より記録作成等の措置を構(gòu)ずべき無形文化財(cái)として選択を受けました。
1960年昭和35年 長(zhǎng)門市ロータリークラブ會(huì)長(zhǎng)に就任しました。
1966年昭和41年 茶碗が文化財(cái)保護(hù)委員會(huì)に買い上げられました。
 明治期に入ると萩焼は藩の庇護(hù)を失って急速に衰退しましたが、10代三輪休雪と萩焼復(fù)興に盡力して絶大な業(yè)績(jī)を殘し、萩焼中興の祖とも仰がれています。
【13代 坂倉(cāng)新兵衛(wèi)(本名 光太郎)】生年不詳~1945年(昭和20)
 戦死した為に13代坂倉(cāng)新兵衛(wèi)を追贈(zèng)された。
【14代坂倉(cāng)新兵衛(wèi)(本名 治平)】(1917~1975)昭和時(shí)代後期の陶蕓家
1917年大正06年2月28日山口県生れ
 12代坂倉(cāng)新兵衛(wèi)の3男
 長(zhǎng)兄(13代追贈(zèng))の戦死で家業(yè)につき,昭和35年父の死で14代を継承
 日本現(xiàn)代陶蕓展や日本伝統(tǒng)工蕓展などに入選
1972年昭和47年 山口県指定無形文化財(cái)保持者となった
1975年昭和50年4月17日死去。58歳。
【15代 坂倉(cāng)新兵衛(wèi)(本名 正治)】
1949年昭和24年生まれ
1974年昭和49年 東京蕓術(shù)大學(xué)大學(xué)院陶蕓専攻を修了後、父が體調(diào)を崩した為に歐米への留學(xué)を諦めて帰郷しました。帰郷當(dāng)時(shí)の父は入退院を繰り返す生活を過ごしており、父から學(xué)んだ期間は実質(zhì)で半年程と短かった為に師事という感覚ではありませんでした。
1978年昭和53年 15代 坂倉(cāng)新兵衛(wèi)を襲名
1981年昭和56年 NHK山口放送局賞を受賞
1983年昭和58年 朝日新聞社賞を受賞する。
1984年昭和59年 日本工蕓會(huì)正會(huì)員
2004年平成16年 山口県選奨(蕓術(shù)文化功労)受賞


サイズ:約直徑12.8×高8.1cm
作者:15代 坂倉(cāng)新兵衛(wèi)作(深川本窯)
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【15代 (本名 正治)】
昭和24年生まれ
1974年昭和49年 東京蕓術(shù)大學(xué)大學(xué)院陶蕓専攻を修了後、父が體調(diào)を崩した為に歐米への留學(xué)を諦めて帰郷しました。帰郷當(dāng)時(shí)の父は入退院を繰り返す生活を過ごしており、父から學(xué)んだ期間は実質(zhì)で半年程と短かった為に師事という感覚ではありませんでした。
昭和53年 15代 坂倉(cāng)新兵衛(wèi)を襲名
昭和56年 NHK山口放送局賞を受賞
昭和58年 朝日新聞社賞を受賞する。
昭和59年 日本工蕓會(huì)正會(huì)員
平成16年 山口県選奨(蕓術(shù)文化功労)受賞
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付屬品:御物袋入
箱:木箱
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