HARASTESUKOTOASEYAHARUKATOOMANKOSHITAI

この映畫(huà)は“母もの”ならぬ“父もの" であって、父親役を志村喬が名演する。 ところが実年齢は長(zhǎng)谷川一夫と三歳し か違わず、このとき志村喬は四十歳で あった。やはり名演というほかない。 この映畫(huà)は當(dāng)初、サイレント時(shí)代か らの松竹蒲田の名匠?島津保次郎の戦 後第一作として企畫(huà)された。ところが 敗戦直後の九月一八日、島津保次郎が 急逝し、かわって豊田四郎が監(jiān)督した。 豊田四郎はかつて蒲田で島津保次郎に 師事した縁から、この仕事を引き受け たのである。敗戦直後にもかかわらず 豪華なセットが組まれているのは、も ともと島津大監(jiān)督のためであったかも しれない。
山根貞男のお楽しみゼミナール
舞臺(tái)」は、東寶の敗戦後三本目の 映畫(huà)で、一九四六年一月一七日に封切 られた。ということは、敗戦の年の末 から撮影されたのであろう。その時(shí)代 隨所にうかがえるが、長(zhǎng)谷 川一夫の戦後第一作がこのように現(xiàn)代 劇になったのも、占領(lǐng)軍が時(shí)代劇 止したからにちがいない。
長(zhǎng)谷川一夫は、敗戦の前年に三か月 だけ軍隊(duì)生活を送り、その後、八月一 五日まで、移動(dòng)劇団で慰問(wèn)公演を行なっ ていた。つまりこの「檜舞臺(tái)」のよう 劇団活動(dòng)に従事していたわけで、冒 頭すぐ、芝居はいいなあ。ぼくはやっ ぱり芝居の人間なんだ"と言うシーン
には、長(zhǎng)谷川一夫自身の熱情がこめら れていると思われる。
それにしても、この第一作で長(zhǎng) 谷川一夫が短髪の復(fù)員姿で登場(chǎng)しつつ、 ちゃんと女形まで見(jiàn)せるところは、 明 らかにファンへのサービスであって、 さすがといわざるをえない。 また、山 五十鈴と戀仲のくせに口喧嘩すると ころなども、戦中の何本もの共演作そ のままである。二人は、つぎの「或る 夜の殿様」でも名コンビぶりを見(jiàn)せる。 そうした意味からすれば、長(zhǎng)谷川一夫 映畫(huà)に関するかぎり、戦前戦中も 戦後も連続していたといえようか。そ こに、大スターの大スターたるゆえん
■キャスト
梅村曾太郎 長(zhǎng)谷川一夫 小松邦子 山田五十鈴 楢山曾助 志村喬 新井 河野秋武
文藝部長(zhǎng)大熊 照明係
大道具 演劇記者池內(nèi) 文郎の青年 新生産の 若手俳優(yōu)
由利 進(jìn)藤英太郎 加藤 深見(jiàn)泰三 山崎 田中春男 友田 江藤勇 雪子 清川玉枝 孝子 羽島敏子 淺田健三 小森 敏 岬 洋二 石田勘三郎 尾上榮二郎 三田國(guó)夫 冬木京三
長(zhǎng)橋 博
宮川五十鈴
浜田百合子
樽山秀子 山根壽子
■スタッフ
製作 筈見(jiàn)恒夫 腳本 八木隆一郎 監(jiān)督 豊田四郎 製作主任 杉江敏夫 撮影●立花幹也 調(diào)音 鈴木 勇 録音 根岸壽夫 照明 橫井總一 美術(shù) 松山 崇 編集 後藤敏男 特殊技術(shù) 円谷英一 音楽 鈴木靜一 演奏 ●東寶映畫(huà)管放豪 和楽 國(guó)光會(huì)出演 舞踴 藤間亀三郎
TND9476
昭和21年度作品
モノクロ
●本商品は保存版から最良の狀態(tài)で製作しておりますが、映畫(huà)公開(kāi)時(shí)より長(zhǎng)い年月を経ており
ますので、一部作品にはお見(jiàn)苦しい場(chǎng)面もございます。あしからずご了承下さい。

長(zhǎng)谷川一夫 山田五十鈴 山根壽子 志村喬 菅井一郎
腳本 八木隆一郎 音楽 鈴木靜一 監(jiān)督 豊田四郎
昭和24年度作品
母の形見(jiàn)舞扇?に秘められた思慕の情 長(zhǎng)谷川、五十鈴で贈(zèng)る戦後復(fù)活の感動(dòng)篇
曾太郎は劇団「新生座」の幹部役者だった。復(fù)員すると すぐ劇団が公演中の或る村を訪れ、戀人で女優(yōu)の邦子と 村長(zhǎng)の楢山に生死が分からない父親に一目逢いたい心情 を訴えて帰京する。 実は、楢山こそ本當(dāng)の父親だったが 何故か邦子も楢山も事情を知りながら黙秘した???
製作著作 東寶株式會(huì)社/〒100 東京都千代田區(qū)有楽町1-2-1 TEL. 03(3591)5044(代)
ご注意■このビデオテープのご利用は家庭內(nèi)での個(gè)人的視聴に限られの複製、改変は法律 放映、制作會(huì)社の許可なく...は禁じられています。
した」