御存知!第二期Deep Purple 米國(guó)での成功第一歩 意欲的大傑作「Fireball」 Audio Fidelity社リマスターGold CD仕様限定盤(pán) 輸入盤(pán)中古でございます。
盤(pán)共に非常に狀態(tài)の良い中古でございます。
Audio Fidelity社は情報(bào)量重視で知られる現(xiàn)在主流の「フラットマスタリング方式」の先駆者で知られます。
非常にアナログ感が有り、良心的な音質(zhì)となっております。
そもそもCDにせよ、アナログ盤(pán)にせよ、ハイレゾにせよ、SACDにせよ、マスターテープの再現(xiàn)が非常に重要なテーマとなります。
現(xiàn)在では「アナログ盤(pán)が一番マスターテープを再現(xiàn)していたのではなかろうか?」との指摘がオーディオ?ファンから挙がり、
嘗ての名マスタリング?エンジニア故George Marino等が手掛けた當(dāng)時(shí)のアナログ盤(pán)が高値で取引される昨今ではございます。
されど、こちらにはスクラッチ?ノイズはございませんが.........................
內(nèi)容は言わずもがな。
ラインナップは名手揃いの第二期。
Ritchie Blackmore(G、後にRainbow、Blackmore's Night) 、故Jon Lord(Key、後にPaice,Ashton & Lord、Whitesnake他)、Ian Gillan(Vo、後にIan Gillan Band、Gillan、Black Sabbath)、
Roger Glover(G、後にプロデューサー業(yè)に転身、Rupert Hine、Spencer Davis Group、Rory Gallagher等々名作を手掛ける。その後にRainbowに加入)、
Ian Paice(Ds、後にPaice,Ashton & Lord、Whitesnake、Gary Moore Band)となります。
プロデュースはバンド自身。
サウンドエンジニアを兼ねていたMartin Birch(Derek Lawrence配下のエンジニアで後にWishbone Ash、Fleetwood Mac、Whitesnake、Iron Maiden等を手掛ける)、
Louis Austin(後にRory Gallagher、Judas Priest、MSG等手掛ける)、Alan O'Duffy(Rory Gallagher等手掛ける)がエンジニアとして起用となります。
1971年1月~ 3月英國(guó)ロンドン”De Lane Lea Studios”(1月:”Strange Kind of Woman””Mule”等録音、~3月:殘り楽曲等録音)、
6月同”O(jiān)lympic Studios”(英國(guó)盤(pán)収録”Demon's Eye”録音及びミキシング)での制作となります。
前作は英國(guó)/ヨーロッパ圏で大成功を収め、また米國(guó)ではチャートアクションは良くなかったものの後の成功の土臺(tái)となり、Ritchie Blackmoreが提唱するハードロック路線が固定化。
前々作の大幅な負(fù)債解消の為ツアーを熟し、その合間の制作でおまけに低予算という狀況の中での前作制作でプロデュースの中心として辣腕を振い、
音楽的にも性格的にも「火と油」の関係たる”Ian Gillan/Ritchie Blackmore”を大爆発させず自らの音楽才能で融合させるRoger Gloverの多大な貢獻(xiàn)が加わり、
ハードロック路線作曲貢獻(xiàn)の中心にBlackmoreと名を連ねるGillan/Glover新加入組の権限が増す事となります。
ツアー活動(dòng)を精力的に熟す中その合間を縫って次作制作に乗り出す事となりますが、制作にあたってレコード會(huì)社側(cè)から米國(guó)での成功を狙い、「音楽の幅を広げる、ポピュラー化を図る」という要望が出された感が有り、
それに長(zhǎng)けたGillan/Gloverの音楽個(gè)性が今作では重視される事となります.................................
また、故Jon Lordが指向するロック/オーケストラ路線はバンドでは行われなくなり、自身のソロ作として継続していく事となります.................
さて今作。
前作に引き続きバンドのセルフ?プロデュースでございますが、前作同様強(qiáng)烈な個(gè)性揃いの中で驚く程の音楽性や楽曲の纏まりを見(jiàn)せているもの。
更にはレコード會(huì)社要望の「音楽性の間口を広げる、ポピュラー化」が為されており、前作よりもコンパクト化や簡(jiǎn)素化が為されており、”Gillan/Glover”の音楽性が重視されている感が窺えるものでございます。
精力的なツアー活動(dòng)の合間の制作で短期集中制作ではございますが、ツアーで新曲を試行し聴衆(zhòng)の反応を窺いさらにアレンジを加えて行き録音時(shí)には微調(diào)整を殘すのみという感。
ライヴ?バンドとしての実績(jī)から、ライヴ感重視という制作の感がございます(前作制作程ではないにせよ安普請(qǐng)制作の感も..........)。
Ian Gillan曰く「気に入ってはいるが、作品収録は失敗」との評(píng)価でありながらも、後々にライヴで取り上げる事となる異色感強(qiáng)いCountry/Trad色濃い名曲”Anyone's Daughter”。
御遊び感覚で創(chuàng)作したものの、(前作で成功への道筋が出來(lái)ていたとは言えど)米國(guó)進(jìn)出を狙い収録された感のある楽曲ではございますが、
作品のアクセントや音楽性を広げ、飽きを來(lái)させない役を果たしている感がございます。
間口を広げた事で逆に散漫になりがちな音楽性を魅力として転換し作品に統(tǒng)一感を出しており、プロデューサーとして名を成す事となるRoger Gloverの客観性や冷靜さが伺えるものでございます............................
名手Ritchie Blackmore曰く「気に入っていない」等との発言や、”In Rock””Machine Head”という大傑作に挾まれ狹い思いをしている今作。
(「Blackmore原理主義、レインボウ國(guó)、様式美戦線」の皆様の評(píng)価も加わり、でございますが...................)
後々のRitchie Blackmoreの再脫退、名手Steve Morse(現(xiàn)Dixie Dregs/Steve Morse Band、ex-Kansas他)加入後のツアーでは今作からの選曲が多く見(jiàn)られており、
Blackmore主導(dǎo)からGillan/Glover主導(dǎo)へと音楽性が変化した事が窺えるものでございますが、リズム面や音楽性の幅に対する好みの違いが感じられるものでもございます。
また「HM/HR」というよりも「ロック」「(60年代後半~70年代前半期)アート?ロック代表作」という感。
リズム面もあれこれと工夫が為されているもので、加入には”Lord/Blackmore/Paice”より技術(shù)面で難色を示されていたRoger Gloverの向上が聴かれるもの。
フレーズも非常に良いもので後に指摘される事となる「プロデューサー感覚のベース演奏」の片鱗が窺えるものでございます。
リリース後は大好評(píng)。
前作を遙かに凌ぐチャート?アクション/セールスとなり、制作前から始まったツアーは更に好評(píng)を呼ぶ事となります。
米國(guó)でも前作を遙かに凌ぐもの。
バンドは順風(fēng)満帆となります..................
されどこの成功の裏側(cè)で、「Deep Purpleのハード?ロック化提唱は私」という自負(fù)を持つ名手Ritchie Blackmoreと、「Deep Purple成功の立役者」の自負(fù)を持つIan Gillanとの対立が徐々に露呈していく事となります.......................
「自分のソロ演奏の後ろであれこれと叩かれる事が嫌だった」と後に結(jié)成の自身のリーダー?バンド「レインボウ」で同僚の名手故Cozy Powellを揶揄していた名手Ritchie Blackmore。
リズム面をリズム隊(duì)に依存する感がある名手でございます。
(.......「ソロは素晴らしいが、リズム面は弱かった」とは、後のレインボウ同僚名手故Ronnie James Dio)
リズム面の凝り方やそれに伴う楽曲展開(kāi)が自身の好みに合わず、次作後や再結(jié)成後のライヴで選曲が”Strange Kind of Woman”含め1~2曲となった感がございます。
リズム面や音楽性で重しとなっていた名手Ritchie Blackmore脫退で「新生Deep Purple」と化した再結(jié)成Deep Purple。
名手Joe Satrianiを経て、創(chuàng)作の多彩さと高品質(zhì)、リズム感等々技術(shù)面でも最高峰の一人である名手Steve Morse加入で様々な創(chuàng)作面を含めた自由を得たという感がございます。
HM/HR以前に「Deep Purpleはロック?バンドであり、六十年代後半から七十年代前半のアート?ロック?ブームから出現(xiàn)した音楽性である」という原點(diǎn)回帰と、
現(xiàn)在を創(chuàng)作で生きるバンドとしての立場(chǎng)に立ち戻った感がございます。
(ツアー選曲を含め)バンドの今作への評(píng)価の変化はそれを物語(yǔ)る感がございます.........................................................
この機(jī)會(huì)に是非。