以下、所謂ブラクラ妄想ショートショートです??


 --- ### 紫苑の雫(しおんのしずく) **序章:紫苑の雫との出會(huì)い** 時(shí)計(jì)の針が午後三時(shí)を指すと、藤堂浩介の體內(nèi)時(shí)計(jì)は、もはや條件反射のように正確無(wú)比な孤獨(dú)を告げた。壁に掛かった古びた柱時(shí)計(jì)が、かつて栄華を誇った老人の咳払いのように、重々しく三つの鐘を鳴らす。その音は、ほんの三年前まで、妻?咲子が「あなた、お茶にしましょう」と書斎のドアをノックする合図だった。彼女の淹れてくれる深蒸し茶の香りと、クッキーの皿が立てる軽やかな音。それらがセットになっていた鐘の音は、今や部屋の靜寂を暴力的に引き裂き、その後に訪れる、より一層深い沈黙を際立たせるだけの、空虛な反響音に過(guò)ぎなかった。 浩介は六十八歳。三ヶ月前、四十年以上にわたりその身を捧げた建築設(shè)計(jì)事務(wù)所を、相談役という名の名譽(yù)職からも退き、完全に引退した。世間では「悠々自適の第二の人生」などと、使い古された美辭麗句で呼ばれるのだろう。だが、彼にとってそれは、役割という名の鎧を一枚殘らず剝ぎ取られ、時(shí)間という名の、果てしなく広がる砂漠に獨(dú)り放り出されたようなものだった。その広大な砂漠で、唯一彼を渇きから救ってくれるオアシスは、三年前に病で先立った妻の記憶だけだった。しかし、オアシスは蜃気樓のように儚く、手を伸ばせば消え、ただ喉の渇きを増幅させるだけの日々が続いていた。 咲子の三回忌を終えたのを機(jī)に、浩介は自らに課した最後のプロジェクトに取り掛かっていた。遺品整理。それは、彼女の息遣いが殘るものを一つずつ手放し、この家から彼女の気配を消し去っていく、胸を抉られるような作業(yè)だった。だが、いつまでもこうしてはいられないという焦燥感が、彼の重い腰を無(wú)理やり持ち上げさせていた。子供たちはそれぞれ家庭を持ち獨(dú)立している。このだだっ広い家で、過(guò)去の遺物に埋もれて朽ちていくのは、きっと咲子も望んでいないだろう。そう自分に言い聞かせながら。 クローゼットの奧、彼女が嫁入り道具として持ってきた年代物の桐の簞笥。一番下の、滅多に開けることのない引き出しを引くと、樟脳の懐かしい匂いがふわりと立ち上った。その匂いは、一瞬にして浩介を新婚時(shí)代へと引き戻す。ビロード張りの內(nèi)箱に守られるようにして、咲子が大切にしていた小さな寶石箱が鎮(zhèn)座していた。 それは彼女が二十歳の誕生日に、彼女の父親から贈(zèng)られたという、古風(fēng)な螺鈿細(xì)工の箱だった。蓋を開けると、真珠のイヤリング、結(jié)婚十年目に浩介が贈(zèng)ったささやかなゴールドの指輪、娘の入學(xué)式につけていったカメオのブローチ。そのどれもが、夫婦のささやかな、しかし確かな歴史を物語(yǔ)っていた。一つ一つを皺だらけの指でつまみ上げ、思い出の光にかざしていると、浩介の指が、ビロード張りの底に隠された、何やら硬い感觸の小さな紙包みに觸れた。 なんだろうか。こんなものがあったとは、今まで一度も気づかなかった。 古い和紙で丁寧に包まれたそれを、まるで発掘作業(yè)のように慎重に開いていく。中から現(xiàn)れたのは、息を呑むほどに深い、夜明け前の空の色を閉じ込めたような紫色のネックレスだった。大粒のアメジストが、一つ一つ熟練の職人によって丁寧にファセットカット(多面體カット)され、部屋の淡い光を受けるたびに、その內(nèi)部で幾重もの複雑な煌めきを放っている。連なる石はまるで神話に出てくる葡萄の房のようで、留め具に使われたスターリングシルバーが、華美になりすぎない上品な輝きを添えていた。浩介が見たこともない、明らかに高価そうな品だった。 紙包みの中には、もう一枚、四つ折りにされた小さなメモが挾まっていた。咲子の丸みを帯びた、萬(wàn)年筆で書かれた?jī)?yōu)しい文字がそこにはあった。 『紫苑の雫』 ただ、それだけが記されていた。紫苑の花の色をした、美しい雫。なんと彼女らしい、詩(shī)的で奧ゆかしい名前の付け方だろう。だが、それと同時(shí)に、浩介の心には巨大な疑問(wèn)符が渦巻いた。これは一體、何なのだ? 咲子がこんな高価なものをいつ手に入れたのか、全く心當(dāng)たりがない。誰(shuí)かに贈(zèng)るつもりだったのか。それとも、自分へのご褒美だったのか。だが、彼女は自分のためにこんな贅沢をするような人間ではなかった。服一枚買うにも値段を気にし、その分を家族の旅行や子供の學(xué)費(fèi)に回すような、慎ましやかな女性だった。 謎は、まるでネックレスのアメジストの色のように、深く、どこまでも深く浩介の心に沈んでいった。その日は、それ以上何も手につかなかった。夜になり、浩介は書斎の機(jī)の引き出しにそれを仕舞おうとした。だが、アメジストの冷たく滑らかな感觸が指先に伝わると、奇妙な衝動(dòng)に駆られた。まるで石が彼に何かを囁きかけてくるような、抗いがたい引力があったのだ。 寢室のベッドに入り、サイドテーブルに置いたネックレスを、ぼんやりと眺める。窓から差し込む月光が、アメジストの內(nèi)部に淡い光の柱を幾本も燈している。その神秘的な輝きに見入っているうち、浩介はふと、自分でも突飛だと思うようなことを思いついた。この美しい石を、少しでも肌に觸れさせていたい。首にかけるのは、さすがに気恥ずかしい。彼はそっとネックレスを手に取ると、長(zhǎng)年連れ添った腕時(shí)計(jì)を外した左手首に、二重に巻き付けてみた。ひんやりとした石の感觸が、とくとくと脈打つ血管に心地よかった。 「紫苑の雫、か……。咲子、お前は俺に、何を伝えたかったんだ……」 呟きは、靜まり返った寢室の空気に吸い込まれて消えた。やがて、規(guī)則正しい寢息が部屋を満たし始める。浩介は、ここ數(shù)ヶ月で最も深い眠りの海へと、ゆっくりと沈んでいった。手首に巻かれた紫色の石が、月光を浴びて、一際妖しい光を放ったことには、もちろん気づくはずもなかった。 **第一章:最初の航海 - 結(jié)婚十周年の夜** 意識(shí)が浮上する感覚は、まるで深い水の底から、光の差す水面を目指してゆっくりと泳ぎ上がるようだった。だが、目を開けた先に広がっていたのは、見慣れた寢室の染み一つない白い天井ではなかった。もっと高く、そして微かにヤニの匂いが染みついた、懐かしい天井。それは、三十年前に住んでいた、手狹なマンションの書斎の天井だった。 「……なんだ、ここは?」 浩介は混亂しながら身を起こした。身體が、信じられないほど軽い。ここ數(shù)年、彼を悩ませていた腰の鈍痛も、階段を上るたびに軋む膝の痛みも、噓のように消え去っている。視線を落とすと、そこには老人のそれではない、節(jié)くれだってはいるが、まだ張りがあり、力強(qiáng)い三十代後半の男の手があった。壁の姿見に映った自分は、紛れもなく若い頃の自分だった。髪は黒々として豊かで、目にはまだ野心と、それを上回る慢性的な疲労の色が混在している。 狀況が飲み込めないまま、機(jī)の上の卓上カレンダーに目が釘付けになった。 『10月25日』 結(jié)婚十周年記念日。 記憶の分厚い扉が、錆びついた蝶番の悲鳴のような音を立てて開かれる。そうだ、この日は、藤堂浩介の人生における數(shù)々の後悔の中でも、特に色濃く、棘のように刺さり続けている一日だった。彼は當(dāng)時(shí)、社運(yùn)を賭けた大規(guī)模再開発プロジェクトの設(shè)計(jì)コンペの最終局面を迎えていた。まさに正念場(chǎng)。その日の夜、咲子と二人で、彼女が結(jié)婚前から「いつか行ってみたいわ」と雑誌の切り抜きを大切に持っていた、港の見えるフレンチレストランを予約していた。しかし、プレゼンテーションの根幹を揺るがす構(gòu)造計(jì)算のミスが、提出期限の直前になって発覚したのだ。浩介は部下と共に、血眼になって修正作業(yè)に追われた。 『ごめん、少し遅れる。先に始めていてくれ』 そう一本、事務(wù)的な電話を入れたきり、彼は仕事という名の戦場(chǎng)に沒頭した。時(shí)計(jì)の針が深夜を回り、ようやく作業(yè)を終えてタクシーを飛ばしてレストランに駆けつけた時(shí)、そこには、ポツンと一人、冷めきってソースの浮いた料理の前で、ただひたすらに待ち続ける咲子の姿があった。彼女は浩介を責(zé)めなかった。ただ、寂しそうに微笑んで、「お疲れ様。大変だったのね」と言っただけだった。その、あまりにも健気な笑顔が、どれほど彼の胸を罪悪感で締め付け続けてきたことか。 「違う……今回は、絶対に違うんだ……」 六十八歳の意識(shí)を持つ浩介は、衝動(dòng)的に椅子から立ち上がった。壁の時(shí)計(jì)はまだ午後七時(shí)を指している。予約は七時(shí)半。今からなら、まだ十分に間に合う。彼は若い頃の自分の身體を、まるで借り物の機(jī)械のように操り、機(jī)の上に山と積まれた図面を脇に押しやった。 「藤堂さん、まだ問(wèn)題箇所が……!」 若い部下の制止する聲が背後から飛んでくる。過(guò)去の自分なら、間違いなく「黙って手を動(dòng)かせ! 寢る時(shí)間はないと思え!」と、鬼のような形相で怒鳴りつけていただろう。だが、今の浩介は違った。 「すまない。後のことは、君たちに任せる。もし責(zé)任問(wèn)題になったら、全て私が被る」彼は振り返り、驚愕している部下たちの顔を一人一人見つめて言った?!附袢栅?、私にとって、この仕事よりも、いや、世界中のどんな建築物よりも、大事な日なんだ」 部下たちの呆然とした顔を背に、浩介は設(shè)計(jì)室を飛び出した。エレベーターを待つ數(shù)秒さえ惜しく、階段を二段飛ばしで駆け下りる。息が切れる。だが、若い心臓は悲鳴を上げない。この躍動(dòng)感、この生命力が、あまりにも懐かしくて、涙が出そうになった。 タクシーを拾い、レストランの名前を告げる。車窓を流れる三十年前の街の燈が、ネオンサインの一つ一つまで、昔のままの光景を映し出していた。なぜこんなことになったのか、理由はわからない。夢(mèng)なのだろう。だが、あまりにも鮮明で、リアルな夢(mèng)だった。ならば、この夢(mèng)の中でだけでもいい。あの日の過(guò)ちを、全力でやり直したい。 レストランの重厚なマホガニーの扉を開けると、窓際の最高の席に、少し緊張した面持ちで、美しいワンピースをまとった咲子が座っていた。彼女は少し不安そうな顔で、窓の外に広がる港の夜景を眺めていた。浩介が近づくのに気づくと、彼女の目が驚きに大きく見開かれた。 「あなた……! どうして……? 仕事は、大丈夫なの?」 「終わらせてきた」 浩介は息を切らしながら、彼女の向かいの席に深く腰掛けた。咲子は信じられないという顔で、可愛らしく瞬きを繰り返している。 「でも、あんなに大変そうだったのに……。無(wú)理しなくてもよかったのよ」 「お前を待たせるより、大事な仕事なんて、この世にはないんだよ」 それは、三十年前の不器用でプライドばかり高かった自分には、到底言えなかった言葉だった。咲子の頬が、ほんのりと赤く染まる。彼女は嬉しそうに、しかしどこか戸惑ったように微笑んだ。 「……あなた、今日は本當(dāng)にどうしたの? なんだか、いつものあなたと違うみたい」 「そうか?……まあ、十回目の結(jié)婚記念日だからな。俺にとっても、特別なんだ」 食事の間、浩介は夢(mèng)中で話した。仕事の話は一切しなかった。二人が出會(huì)った學(xué)生時(shí)代の話、初めてデートした映畫の話、プロポーズした時(shí)の自分の間抜けな臺(tái)詞、新婚旅行で道に迷った話、娘が生まれた瞬間の感動(dòng)。咲子は驚きながらも、クスクスと笑い、楽しそうに相槌を打ってくれた。彼女がこんなにも饒舌に、少女のように楽しそうに笑う顔を見るのは、一體何年ぶりだっただろうか。いや、この日以降、自分は仕事にかまけて、妻のこんな笑顔さえ、奪ってしまっていたのだ。その事実に気づき、胸が痛んだ。 食事が終わり、二人は夜の港を散歩した。潮風(fēng)が心地よく頬を撫でる。浩介は、ごく自然に咲子の手を握った。彼女の指が、驚きで少しだけ震え、それから、失われた時(shí)間を取り戻すかのように力強(qiáng)く握り返してきた。 「ありがとう、浩介さん。今日のことは、一生忘れないわ。最高の記念日よ」 その言葉に、浩介の胸は締め付けられた。そうだ、彼女はもういないのだ。この溫もりも、この笑顔も、すべては幻。過(guò)去の殘像に過(guò)ぎない。それでも、この瞬間が永遠(yuǎn)に続けばいいと、心の底から願(yuàn)った。 やがて、世界の輪郭がゆっくりと滲み始め、意識(shí)が薄れ始める。咲子の姿が、水彩畫のように淡く、ぼやけていく。必死に繋ぎ止めようとしても、世界は砂のように指の間からこぼれ落ちていく。 「咲子……!」 目覚めると、浩介は現(xiàn)代の自分の寢室のベッドに橫たわっていた。窓の外は白み始めている。頬に冷たいものが伝うのを感じて、手で觸れると、それは紛れもなく涙の跡だった。左手首には、アメジストのネックレスが、彼の肌に靜かに寄り添っている。 浩介は呆然と天井を見上げた。あれは、ただの夢(mèng)だったのだろうか。にしては、あまりにも生々しい感觸と感情が、まだ胸の中に熱を持って渦巻いている。彼はふと、數(shù)年前に興味本位で読んだ睡眠科學(xué)に関する本の一節(jié)を思い出した。 スタンフォード大學(xué)睡眠研究所の創(chuàng)設(shè)者であり、睡眠研究の世界的権威であるウィリアム?C?デメント博士は、夢(mèng)を見るレム睡眠の役割について、単なる記憶の整理や不要な情報(bào)の消去だけでなく、感情的な出來(lái)事の処理に深く関わっていると提唱していた。特に、強(qiáng)い感情を伴う記憶、とりわけトラウマや後悔のようなネガティブな記憶は、レム睡眠中に何度も追體験されるという。そして、カリフォルニア大學(xué)バークレー校の神経科學(xué)者マシュー?ウォーカー教授は、その著書『睡眠こそ最強(qiáng)の解決策である』の中で、夢(mèng)を「夜間のセラピー」と表現(xiàn)していた。夢(mèng)は、辛い記憶から感情という「トゲ」を抜き去り、出來(lái)事そのものは殘しつつも、それに伴う苦痛を和らげる働きがある、と。 「ならば、今の體験は……俺の脳が見せた、あまりにもリアルな、壯大なセラピーだったというのか……?」 ネックレスがその引き金になったとしか思えなかった。あの紫苑の雫が、浩介の最も深い後悔の記憶へと彼を?qū)Г?、脳?nèi)で「もしも」のシミュレーションをさせたのだ。過(guò)去は変えられない。咲子が喜んでくれたあの夜は、現(xiàn)実の歴史には存在しない。だが、浩介の心の中に燈った溫かい光と、彼女への愛おしさは、紛れもなく本物だった。胸に三十年間突き刺さっていた棘が、少しだけ、本當(dāng)に少しだけ、丸くなったような気がした。 **第二章:友との決別 - コンペの日** 最初の不思議な體験から數(shù)日が過(guò)ぎた。浩介は、書斎の機(jī)に置かれたアメジストのネックレスを手にするのを躊躇していた。あの夜の出來(lái)事は、確かに彼の心を一時(shí)的に癒やしてくれた。しかし同時(shí)に、失われた時(shí)間へのどうしようもない渇望を掻き立て、目覚めた後の現(xiàn)実世界とのギャップが、耐え難いほどの虛無(wú)感を彼に殘したからだ?;盲涡腋¥私毪长趣稀⒙樗aのような危険な甘美さを孕んでいた。しかし、心のどこかで、再びあの過(guò)去への旅を求めている自分もいた。後悔の記憶は、咲子へのものだけではない。むしろ、彼の人生において最も黒く、重い澱となって、魂の底に沈殿しているのは、親友との、あの取り返しのつかない決別の記憶だった。 倉(cāng)田雄一。大學(xué)の建築學(xué)科で出會(huì)い、卒業(yè)後も同じ大手設(shè)計(jì)事務(wù)所で互いの才能を認(rèn)め合い、時(shí)に嫉妬し、腕を競(jìng)い合った、唯一無(wú)二の親友。そして、最大のライバル。彼とは、安酒を酌み交わしながら徹夜で建築の未來(lái)を語(yǔ)り合い、互いのコンペ案を誰(shuí)よりも厳しく批評(píng)し合った。浩介が咲子と結(jié)婚する時(shí)、自分のことのように涙を流して喜んでくれたのも雄一だった。 その黃金のような関係が、脆くも崩れ去ったのは、四十代半ばのことだった。ある地方都市の新しい市民ホールの設(shè)計(jì)コンペが、その引き金となった。事務(wù)所の威信をかけたそのプロジェクトに、浩介と雄一は、それぞれ別のチームを率いて臨むことになったのだ。浩介が提示したのは、徹底したコスト管理と機(jī)能性、そして將來(lái)的なメンテナンスの容易さを追求した、現(xiàn)実的で、ある意味では教科書通りの堅(jiān)実な案だった。一方、雄一の案は、地域の伝統(tǒng)的な木材や土壁をふんだんに使い、建物の屋上や壁面を大々的に緑化し、周辺の公園と建築が一體化するような、革新的で環(huán)境共生を謳ったものだった。美しく、詩(shī)的で、誰(shuí)もが夢(mèng)見るような未來(lái)の建築。だが、それは莫大な建設(shè)費(fèi)と、素人目にもわかるほどの維持管理費(fèi)がかかる、非現(xiàn)実的な理想論でもあった。 社內(nèi)の最終選考會(huì)議の日。浩介は、嫉妬に駆られていたのかもしれない。彼の才能の眩しさに、自分の現(xiàn)実的な案が、ただの色褪せた妥協(xié)の産物に見えたことへの焦りがあった。彼は、雄一の案を、完膚なきまでに叩きのめした。 「こんなものは建築家の自己満足に過(guò)ぎない! 市民の貴重な稅金をなんだと思っているんだ!」 「夢(mèng)物語(yǔ)を語(yǔ)るのは結(jié)構(gòu)だが、我々の仕事は、地に足のついた、百年後も市民に愛され、使われ続けるものを作るべきじゃないのか!」 浩介の言葉は、正論という名の鋭い刃となって雄一に突き刺さり、彼の繊細(xì)なプライドをズタズタに引き裂いた。會(huì)議室を出ていく雄一の、失望と軽蔑が入り混じった冷たい目は、その後二十年以上、浩介の脳裏に焼き付いて離れなかった。 それが、二人が交わした最後のまともな會(huì)話になった。コンペには浩介の案が選ばれ、ホールは無(wú)事に建設(shè)された。しかし、雄一はその後すぐに事務(wù)所を辭めて獨(dú)立。そして數(shù)年後、山間部の現(xiàn)場(chǎng)を視察中に、不運(yùn)にも足場(chǎng)から転落し、帰らぬ人となった。 浩介は、あの會(huì)議の日からずっと、雄一に謝りたかった。お前の理想は間違っていなかったと、ただ俺が嫉妬していただけなのだと、伝えたかった。 その夜、浩介は意を決して、再びアメジストのネックレスを手首に巻いた。眠りに落ちる瞬間、どうか、雄一に會(huì)わせてくれと、心の底から強(qiáng)く念じた。 次に目覚めた時(shí)、耳に響いていたのは、喧々囂々の議論の聲だった。ぴりぴりとした、硝煙の匂いさえするような緊張感が肌を刺す。見渡せば、そこはまさしく、あの運(yùn)命の日の會(huì)議室だった。四十代半ばの、脂が乗り切り、自信と傲慢さが全身から滲み出ていた頃の自分の身體。そして、向かいの席には、苦蟲を噛み潰したような顔で、唇を真一文字に結(jié)ぶ雄一の姿があった。 「……以上が、倉(cāng)田チームの提案です」 雄一のプレゼンテーションが終わった直後だった。これから、浩介が彼の案を論破する番だ??冥蜷_きかける。過(guò)去の記憶通り、鋭く、相手を打ち負(fù)かすための言葉が、喉まで出かかっていた。 だが、六十八歳の浩介の魂が、それを必死に押しとどめた。違う。言うべき言葉はそれじゃない。お前が本當(dāng)に言うべきだった言葉は、そんなものではなかったはずだ。 「……素晴らしい、提案だと思う」 浩介の口から絞り出された言葉に、會(huì)議室が水を打ったように靜まり返った。役員たちも、雄一のチームのメンバーも、そして浩介自身のチームの部下たちさえも、信じられないという顔で彼を見ている。誰(shuí)もが、浩介が雄一の案を激しく批判すると予想していたからだ。當(dāng)の雄一が、最も驚いた顔で浩介を凝視している。 「もちろん、コストや技術(shù)的な課題は山積している。それは事実だ。だが」と浩介は続けた、言葉を選びながら?!?jìng)}田君の案には、我々が日々の業(yè)務(wù)に追われる中で忘れかけていた、最も重要なものがある。建築は、ただの箱ではない。人の心を豊かにし、街の未來(lái)を育む生命體でなければならない。その哲學(xué)が、彼の案には、我々が失ってしまった眩しい光と共に、満ち溢れている。彼の理想の高さ、その志は、我々も見習(xí)うべき點(diǎn)が多々あるのではないか」 それは、本心だった。六十八年生きてきた今なら、雄一の理想の正しさが痛いほどわかる。機(jī)能性や経済性だけを追求した結(jié)果生まれた無(wú)味乾燥な建築が、いかに人の心から離れていくかを、彼はこの先の二十?dāng)?shù)年で嫌というほど見てきたのだから。 浩介の発言で、會(huì)議の空気は一変した。他の役員たちも、雄一の案の理念的な価値を再評(píng)価するような意見を述べ始めた。しかし、歴史の大きな流れは変えられない。會(huì)社の代表案として、最終的に選ばれたのは、やはり実現(xiàn)可能性の高い浩介の案だった。その事実は、変わらなかった。 會(huì)議が終わり、皆がぞろぞろと部屋を出ていく中、浩介は一人、荷物をまとめている雄一の元へ歩み寄った。 「雄一」 「……なんだ」 「さっきは、すまなかった」 「何がだ。お前は俺の案を褒めてくれたじゃないか。らしくもなく」 皮肉っぽい言い方だったが、その目には以前のような剣呑な光はなかった。 「言葉が足りなかった。お前の案は、本當(dāng)にすごいと思った。俺には、あんな発想は逆立ちしたって出てこない?;冥筏い?、建築家としては、お前の完敗だよ」 浩介は、深く頭を下げた。プライドの塊だった四十代の自分には、絶対にできなかったことだ。雄一はしばらく黙っていたが、やがて、ふっと大きなため息を漏らした。 「……お前にそう言われるのが、一番堪えるな」 彼はそう言って、少しだけ、本當(dāng)に少しだけ笑った。それは、昔、二人で馬鹿な話をしながら夜を明かした時(shí)のような、懐かしい、照れくさそうな笑顔だった。決裂は避けられなかったかもしれない。だが、友情が完全に斷ち切られ、憎しみだけが殘る、あの最悪の結(jié)末だけは、変えることができたのではないか。そんな淡い希望が、浩介の胸に広がった。 再び、世界が白い霧に包まれていく。雄一の困ったような笑顔が、薄れゆく意識(shí)の中で最後の光として殘った。 目覚めた浩介の胸には、不思議な安堵感が宿っていた。雄一への罪悪感が消えたわけではない。だが、鉛のように重く、彼を苛み続けてきた後悔の塊が、その鋭利な角を丸くし、溫かい記憶へと変わり始めているのを感じた。 彼は再び、睡眠科學(xué)の本に思いを馳せた。睡眠中の脳は、バラバラになった一日の記憶の斷片を拾い集め、既存の記憶ネットワークと結(jié)びつけ、意味のある物語(yǔ)として再編成する「記憶の統(tǒng)合(Memory Consolidation)」というプロセスを行う。今日の體験は、まさにそれだったのではないか。雄一との辛い記憶の斷片が、「もしも、あの時(shí)こう言えていたら」という別の可能性の光と結(jié)びつき、浩介の中で新しい意味を持つ物語(yǔ)として再構(gòu)築されたのだ。過(guò)去は変えられない。だが、過(guò)去の「意味」は、眠りの中でなら変えることができるのかもしれない。紫苑の雫は、そのための強(qiáng)力な觸媒なのだ。 **第三章:淡い戀の記憶 - 美咲との再會(huì)** 浩介の人生における後悔は、男同士の友情だけではなかった。それは、言葉にすることすらできず、青春時(shí)代のアルバムの片隅に埃を被ったまましまい込まれていた、淡い戀の記憶にも繋がっている。 倉(cāng)田美咲。雄一の一つ年下の妹で、浩介と雄一が大學(xué)時(shí)代、同じ建築サークルに所屬していた、太陽(yáng)のような女性だった??旎瞍恰⒄l(shuí)にでも分け隔てなく接し、その笑顔は周囲を明るく照らした。浩介は、そんな彼女に密かに、しかし強(qiáng)く想いを寄せていた。しかし、親友の大切な妹であるという遠(yuǎn)慮と、自分の不器用で戀愛下手な性格が邪魔をして、その気持ちを打ち明けることは一度もなかった。やがて浩介は社會(huì)人になり、咲子と出會(huì)って結(jié)婚し、美咲への想いは、甘酸っぱくもほろ苦い、手の屆かない思い出として封印された。 雄一が亡くなった後、浩介は美咲を完全に避けるようになった。兄を死に追いやったも同然の自分に、彼女と顔を合わせる資格などない。そう固く信じ込んでいたからだ。雄一の葬儀でも、遠(yuǎn)くからそっと手を合わせ、彼女の視界に入らないように頭を下げるのが精一杯だった。 それから一年ほど経った頃、大學(xué)の同窓會(huì)で、浩介は美咲と偶然顔を合わせてしまった。彼女は兄を失った深い悲しみからか、以前の太陽(yáng)のような明るさを失い、まるでガラス細(xì)工のように儚げで、憔悴しきっていた。浩介は聲をかけることもできず、ただ気まずく會(huì)釈を交わしただけ。美咲もまた、どこか浩介を避けるように、すぐにその場(chǎng)を去ってしまった。あの時(shí)、せめて一言、何か溫かい言葉をかけてやれていれば。兄を亡くした彼女を、勵(lì)ましてやれていれば。その無(wú)力感もまた、浩介の心に長(zhǎng)く、暗い影を落としていた。 三度目の眠りの旅。浩介が目覚めたのは、ホテルの宴會(huì)場(chǎng)の、心地よいざわめきの中だった。立食パーティーのテーブル、手にはウーロン茶のグラス。周囲には、中年になり、それぞれに人生の年輪を刻んだ懐かしい學(xué)友たちの顔が見える。まさしく、美咲と気まずい再會(huì)を果たした、あの同窓會(huì)の夜だった。 會(huì)場(chǎng)の隅の方、大きな窓にもたれかかるようにして、一人で夜景を眺めている美咲の姿を見つける。記憶の中と同じ、寂しげな橫顔。過(guò)去の自分なら、このまま彼女から目をそらし、會(huì)わなかったふりをして、人混みに紛れていただろう。だが、二度の旅を経て、ほんの少しだけ勇気を得た今の浩介は違った。 彼は深呼吸を一つすると、真っ直ぐに彼女の元へ歩いていった。 「美咲さん、久しぶり」 聲をかけると、彼女は驚いて顔を上げた。その目には、戸惑いと、微かな警戒の色が浮かんでいる。無(wú)理もない。彼女にとって、自分は兄のライバルであり、兄を會(huì)社から追い出した男なのだから。 「……藤堂さん。ご無(wú)沙汰しています」 「元?dú)荬饯Δ?、よかった?ありきたりな言葉しか出てこない。だが、ここで引き下がるわけにはいかなかった。 「あの……兄のことは……」 美咲の顔がこわばるのがわかった。 「美咲さん。雄一のこと、本當(dāng)にすまなかったと思っている」 浩介は、意を決して、ずっと言えなかった言葉を口にした。 「俺は、あいつと最後に會(huì)った時(shí)、酷い言葉を浴びせて、あいつを深く傷つけた。謝る機(jī)會(huì)もないまま、あいつは逝ってしまった。合わせる顔がなくて、君にもずっと連絡(luò)できなかった。卑怯だったんだ、俺は。本當(dāng)に、申し訳なかった」 六十八年の人生の重みを乗せた、噓偽りのない告白だった。美咲は、驚いたように目を見開いて浩介を見つめていたが、やがてその大きな瞳から、堰を切ったように大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。 「……ううん、そんなことないです」 彼女は首を橫に振りながら、嗚咽を漏らした。 「藤堂さんも……苦しんでいたんですね。私、ずっと、藤堂さんのことを誤解していました。兄の理想を、真っ向から否定して、兄が會(huì)社を辭める原因を作った冷たい人なんだって……。そう思い込んでいました。ごめんなさい」 「いや、君がそう思うのは當(dāng)然だ。事実、あの頃の俺は冷たい人間だった。自分の成功しか見えていなかった」 二人の間に、しばし沈黙が流れた。それは気まずいものではなく、互いの傷を靜かに確かめ合い、時(shí)間をかけて癒やしていくような、穏やかで慈愛に満ちた時(shí)間だった。やがて、美咲がぽつりと言った。 「兄が亡くなる少し前に、電話で話したんです。珍しく弱音を吐いていました。でも、藤堂さんのことも話していました。『浩介の案が、現(xiàn)実的には正しかったのかもしれない。だが、あいつはもっとすごいものを作れるはずなんだ。あんなところで満足するような器じゃない。だから、俺はあいつに、もっと高い理想を見せてやりたかったんだ』って。兄は、藤藤さんの才能を、誰(shuí)よりも信じていました。最高のライバルだって、いつも自慢していましたよ」 その言葉は、雷のように浩介の心を貫いた。雄一は、自分を憎んでいたのではなかったのか。ただ、自分を、自分たちの目指す建築の未來(lái)を、信じていただけだったのか。長(zhǎng)年、浩介の心を縛り付けていた罪悪感という名の分厚い氷が、ぱきり、と音を立てて砕けていくのを感じた。 「そうか……あいつは、そう思っていたのか……」 「はい。だから、藤堂さんがご自分を責(zé)める必要は、もうないんです」 美咲は、涙の跡が殘る顔で、優(yōu)しく微笑んだ。それは、昔の彼女が持っていた、太陽(yáng)のような明るさの片鱗を感じさせる、溫かい笑顔だった。 「何か困ったことがあったら、いつでも俺に言ってくれ。これからは、俺が君の兄代わりになる。雄一に、そう誓うよ」 それは、四十代の自分には、気恥ずかしさと罪悪感で絶対に言えなかった言葉だった。美咲は、再び目に涙を溜めて、何度も、何度も頷いた。 「……ありがとうございます、藤堂さん」 意識(shí)が遠(yuǎn)のいていく。美咲の笑顔が、今度は溫かい光となって浩介の心を包み込んでいく。過(guò)去は変えられない。だが、凍り付いてしまった人間関係を、誠(chéng)実な言葉で溶かすことはできるのだ。雄一との魂の和解、そして美咲との心の和解。それは、浩介にとって、何物にも代えがたい救いだった。 目覚めた朝、浩介は久しぶりに晴れやかな気持ちで空を見上げた。心の中にあった三つの大きな後悔。咲子、雄一、美咲。紫苑の雫は、それぞれの記憶の扉を開き、彼に贖罪と和解の機(jī)會(huì)を與えてくれた。これで、もう思い殘すことはない。そう思いかけて、浩介は首を傾げた。 まだ、最も根源的な謎が殘っている。 妻?咲子は、一體なぜ、この不思議な力を持つネックレスを、誰(shuí)にも告げずに、浩介のために遺したのだろうか。彼女は、どこまで知っていたのだろうか。 **第四章:紫苑の雫の真実** タイムスリップという超常的な體験を繰り返すうちに、浩介の日常は、本人も驚くほどに少しずつ変化していた。朝、目覚めた時(shí)の、胸にコンクリートブロックを乗せられたような絶望的なまでの空虛さが薄れ、散歩の途中で見る道端の草花にも、ささやかな彩りを感じられるようになった。過(guò)去の後悔と和解することで、現(xiàn)在の自分の足元が、少しだけ確かになったような感覚があった。 しかし、咲子が遺したネックレスの謎だけは、深い霧に包まれたままだった。浩介は、彼女が亡くなる前の數(shù)年間を、記憶の糸を必死に手繰り寄せるようにして思い出そうとした。彼女は何か悩んでいたのだろうか。何かを伝えようとしていたのだろうか。だが、仕事の引退を目前に控え、引き継ぎなどで多忙を極めていた浩介の記憶は、ひどく曖昧で、自分本位なものだった。彼女の體調(diào)の変化にさえ、彼は鈍感だった。 その夜も、浩介は祈るような気持ちでネックレスを手首に巻いた。これが、最後の旅になるかもしれない。そんな予感があった。咲子、教えてくれ。お前はなぜ、この『紫苑の雫』を俺に遺したんだ――。 意識(shí)が目覚めた時(shí)、浩介は自宅の居間にいた。窓の外は、雨がしとしとと降り、庭の紫陽(yáng)花を濡らしている。身體が重い。六十代半ばの、引退を間近に控えた頃の、疲れ切った身體だった。リビングのソファには、咲子が座っていた。少し痩せて、顔色が優(yōu)れないように見える。そうだ、この頃、彼女はよく「なんだか疲れやすいの」と言っていた。だが、浩介は「歳のせいだろう」と、真剣に取り合ってやれなかったのだ。その無(wú)神経さを思い出し、胸が締め付けられる。 咲子の手には、分厚いアルバムがあった。それは、浩介たちの若い頃から、子供たちが成長(zhǎng)していく過(guò)程の寫真が詰まった、家族の寶物のようなアルバムだった。 「あなた」 咲子が、靜かで、少し細(xì)くなった聲で浩介を呼んだ。 「少し、いいかしら」 浩介が向かいのソファに座ると、咲子はアルバムの一つのページを開いて見せた。そこには、一枚の色褪せた寫真。大學(xué)の卒業(yè)旅行で撮った、四人の若者の姿があった。満面の笑みを浮かべる雄一、その隣で少しはにかみながらピースサインをする美咲、そして、ぎこちなく咲子の肩を抱く、若き日の浩介。四人とも、未來(lái)への希望に満ちた、眩しい顔をしていた。 「あなた、ずっと倉(cāng)田さんたちのこと、引きずっているでしょう」 咲子の言葉は、あまりにも靜かで、穏やかだった。だが、浩介の心臓は、まるで鷲摑みにされたかのように大きく跳ねた。彼女に、そんな弱音を吐いたことは一度もなかったはずだ。 浩介が驚いて黙っていると、咲子はすべてお見通しだというように、慈愛に満ちた?jī)?yōu)しい微笑みを浮かべた。 「あなたは、本當(dāng)に不器用な人だから。昔からそう。言いたいことも言えなくて、全部一人で抱え込んでしまう。たくさんの後悔を、まるで大事な寶物みたいに、ずっと胸の奧の固い箱にしまっている。雄一さんのことも、美咲さんのことも……。そして、私のことも」 「咲子……」 「結(jié)婚十周年の時(shí)、私をレストランで何時(shí)間も待たせたこと、ずっと気にしているでしょう? いいのよ、そんなこと。あなたは、私たちのために、家族のために、必死で働いてくれていたんだもの。私は、そんなあなたを、誰(shuí)よりも誇りに思っていたわ。本當(dāng)に」 咲子の言葉は、溫かい毛布のように、浩介のささくれだった心を、その棘ごと優(yōu)しく包み込んだ。彼女は、何もかも、わかってくれていたのだ。浩介の不器用さも、傲慢なプライドの裏にある弱さも、その後悔の深さも。 そして、彼女はサイドテーブルの引き出しから、あの見覚えのある小さな箱を取り出した。 「これね、あなたに買ったのよ」 箱を開けると、中には『紫苑の雫』が、靜かな輝きを湛えて橫たわっていた。 「俺に……? だが、これは女性用のネックレスじゃないか」 浩介は完全に混亂していた。 「ふふ。首にかけてほしいわけじゃないのよ」と咲子は悪戯っぽく笑った?!弗ⅴ幞弗攻趣悉汀⒐扭椤荷瞍ぐKやし』と『心の安らぎ』をもたらす石なんですって。古代ギリシャでは、高ぶりすぎた感情を鎮(zhèn)め、冷靜さを取り戻す石とも言われていたそうよ。それに、『真実の愛』を守り抜く、最も高貴な愛の象K徴でもあるんですって」 彼女は、ネックレスをそっと浩介の手に乗せた。ひんやりとした石の感觸が、彼の掌に伝わる。 「あなたが仕事を辭めて、時(shí)間に追われる生活から解放されたら、きっと、たくさんの過(guò)去を思い出す時(shí)間が増えると思ったの。あなたが抱えてきた、たくさんの後悔と、真正面から向き合うことになる。その時(shí)、あなたが過(guò)去に縛られて、苦しんでしまわないように。この石が、あなたの心を少しでも穏やかにしてくれたら、って。お守りみたいなものよ」 咲子は、少し息を整えながら続けた。 「これを買ったお店の人が、不思議なことを言っていたわ。『この石は、持ち主が心の底から本當(dāng)に望むなら、その人の奧底に眠る記憶の扉を開けてくれるかもしれません。眠る時(shí)に、肌に觸れさせてごらんなさい。きっと、良い夢(mèng)が見られますよ』って」 浩介は、息を呑んだ。咲子は、タイムスリップのことまでは知らなかっただろう。だが、このネックレスが持つ不思議な力を、その純粋な心で直感的に感じ取っていたのだ。そして、それをすべて、殘される夫の心を癒やすためだけに、遺してくれようとしていた。 「私のことは、もう心配しないで。私は、あなたと一緒になれて、本當(dāng)に幸せな人生だった。だから、あなたには、あなたのこれからの人生を、穏やかに、あなたらしく生きてほしいの。過(guò)去を悔やむんじゃなくて、過(guò)去があったから今の自分があるんだって、優(yōu)しく受け入れてあげてほしい。それが、私の最後の、たった一つのお願(yuàn)い」 六十八歳の浩介の意識(shí)は、涙で前が見えなくなっていた。咲子の深い、海のような愛に、今更ながら気づかされた。自分は、この人の愛の大きさの、ほんの一欠片さえ理解していなかった。彼女が遺したかったのは、高価な寶石ではない。夫の未來(lái)が、安らかであるようにという、切なる祈りそのものだったのだ。 「ありがとう……咲子……。ありがとう……」 浩介は、嗚咽を漏らしながら、それしか言えなかった。咲子の姿が、ゆっくりと涙に滲んで、溶けていく。最後の瞬間に見た彼女の笑顔は、この世の何よりも美しく、慈愛に満ちた、観音様のように見えた。 **終章:夜明けの光** 浩介は、靜かに目を開けた。窓の外の空は、紫と茜色が混じり合った、まさに『紫苑の雫』の色をした、美しい夜明けの色をしていた。 左手首に巻かれたネックレスが、朝の最初の光を浴びて、穏やかに輝いている。もう、これを巻いて眠る必要はない。浩介は、そう直感した。ネックレスが誘う過(guò)去への旅は、もう終わったのだ。すべての謎は解け、すべての後悔は、罰ではなく、溫かい記憶へと昇華された。 彼はそっとネックレスを手首から外し、両手で祈るように包み込んだ。アメジストの石は、ひんやりとしているのに、どこか咲子の肌のような溫もりを宿しているように感じられた。 浩介はベッドから起き上がると、リビングへ向かい、壁に飾られた咲子の遺影の前に立った。微笑む彼女の寫真は、少しも色褪せることなく、今も変わらず浩介を見守ってくれている。 「ありがとう、咲子。お前のおかげで、やっとわかったよ。俺は、一人じゃなかったんだな。ずっと、お前に守られていたんだ」 靜かに語(yǔ)りかける。返事はない。だが、寫真の中の咲子が、一層優(yōu)しく微笑んだように見えた。 過(guò)去は変えられない。咲子も、雄一も、もうこの世にはいない。失ったものは、二度と戻らない。しかし、過(guò)去の出來(lái)事の「意味」は、自分の心の中でなら変えることができる。後悔は、もはや罰や重荷ではない。彼らが生きていた証であり、自分が彼らをどれほど深く愛し、大切に思っていたかの証なのだ。そう気づけた時(shí)、浩介の心は何十年かぶりに、本當(dāng)の軽さを取り戻していた。 浩介は、意を決して、初めてそのネックレスを自分の首にかけた。少し気恥ずかしかったが、冷たい石が鎖骨に觸れる感觸は、不思議と心地よかった。それはもはや過(guò)去への扉ではない。咲子が遺してくれた愛の光であり、これからの未來(lái)を照らす、道しるべだった。 クローゼットから、久しぶりに気に入りのジャケットを取り出す。どこへ行くというあてはない。ただ、外に出て、新しい朝の空気を、この身體いっぱいに吸い込みたかった。 玄関の扉を開けると、ひんやりとした、清浄な空気が頬を撫でた。世界は、新しい一日を始めようとしていた。浩介の足取りは、驚くほど軽かった。孤獨(dú)であることには変わりない。だが、以前のような、魂が內(nèi)側(cè)から削られていくような絶望的な空虛さは、もうどこにもなかった。彼の心の中には、咲子や雄一、美咲との溫かい記憶が、まるで夜空に輝く星座のように、確かな光を放って、これからの彼の道筋を指し示してくれている。 「さて、どこまで歩こうか」 そう呟いた藤堂浩介の顔には、長(zhǎng)く、暗い夜が明けた後のような、穏やかで晴れやかな微笑みが浮かんでいた。紫苑の雫が、彼の胸元で、朝日に応えるように、きらりと優(yōu)しく光った。