完結している場合と冒頭のみの場合があります。出版また編集関係の舊蔵品と思われます。詳細は畫像を參照して下さい。 プロフィール】マルクス主義者、評論家。明治31年9月26日橫浜市に生まれる。東京帝國大學経済學部を卒業(yè)、同學部助手を経て助教授。才気あふれる文章でマルクス主義を論じ、若くして論壇の花形となった。1926年(大正15)極左派批判の立場から鈴木茂三郎(もさぶろう)などと雑誌『大衆(zhòng)』を創(chuàng)刊、27年(昭和2)創(chuàng)刊の雑誌『労農』にも同人として參加した。その華やかな左翼的言動のため、28年の三?一五事件の直後に東大を辭職させられた。その後も労農派の一員として、政治、経済から思想、文學、映畫批評にもわたる多彩な評論活動を続けたが、37年に人民戦線事件で検挙され、38年病気のため保釈となったが、病いえず40年(昭和15)7月28日に沒した。著書に『史的唯物論』(1932)、『まてりありすむす?みりたんす』(1934)などがある。