'72年に新興コンストラクター「GRD」のS72を投入した生沢だったが、マシンは意欲作だったが問題を抱えていたうえに開発が滯り結(jié)果が殘らなかった。
それでも幾度も力走を見せたのは生沢徹ならではだった。