| 平山郁夫?奈良六大寺?現(xiàn)代畫家素描選集/河北倫明監(jiān)修/定価30000円/限定350部/作者の研究的で爽やかな行きとどいた性格が感じられる
昭和51年 317P 59㎝×46.4㎝程度 限定350部の內(nèi)第144番 図版20枚中19枚(IVが欠) 部數(shù)は少なそうです。資料用にもいかがでしょうか。
現(xiàn)代,平山郁夫といえば「シルクロードの畫家」として知 らない人がない。年々、院展を舞臺に発表した數(shù)々の力作は、 そのつど識者の注目をひいてきたし、またこれらを集大成し た観がある1976年の「シルクロード展」は、各地で開かれて、 今日の畫壇にこのような発想の,このような大仕事があることを大衆(zhòng)に知らしめた。まさに東西文明交流の恐るべき最大な時間と道程が,かつて地球上に刻まれていたことを謳いあ げたものであり、これにからんで織りなされる歴史と文明と 自然の壯大なドラマ,その悠久なロマンを絵畫の対象としたものである。
もともとシルクロードは,東は中國の西安から、西はロー マを結(jié)ぶ東西交易の幹線であり、これがまた仏教弘通の道で あり、政治の道であり,寶石の道であり,大きくは人類文化 の大幹線であったことは,多くの人の知るところである。し かも,この文化の道のさらに東の終著點に日本の奈良の都が あったことは、大和に殘る數(shù)々の遺蹟や,名高い正倉院の御 物などが,今なお鮮やかに語りかけているところだろう。日 本畫家平山郁夫が,シルクロードの壯大な歴史と自然を畫因 として求めていった発端も実はそこにあったので、この奈良 の都の美しい遺蹟と,千年をかけて野を越え、山を越え、砂 漠を越えて日本に伝來してきた「仏教」の広大な思想と宇宙 観が,作者を駆ってこの悠久なロマンに立ち向かわせたと見 ていい。平山の出世作であった1959年の「仏教伝來」が,やが て縦橫にその可能性をひろげ,一方に大和三山を見はるかす「高耀る藤原京の大殿」のような快作を生み、他方に「バビ ロン王城」や「波斯黃堂舊址」のような壯観を成したことの 母胎には,やはり日本文化の故地,大和の仏寺と風(fēng)物がつね に支えとして潛んでいたわけである。これはまた、院展の創(chuàng)始者であった明治の岡倉天心の発想とも通じるもので、奈良 京都に花開いた日本文化の背景が遠く大陸を経て世界的なつ ながりの中にあったことの確信が作者に受けつがれていたといえる。
ここに集められた奈良の寺々を主とする素描は、そうした 作者の発想の根幹を養(yǎng)った心優(yōu)しい大和の風(fēng)物であり、壯麗 な東大寺大仏殿をはじめ、興福寺,法隆寺,法起寺,法輪寺, 薬師寺、唐招提寺などの堂塔や,有名な諸仏像が,正直で謹(jǐn) 炭清潔な筆調(diào)で描かれている。 「いったい、作者は舊制中學(xué)3年のときに広島で原爆の慘禍 にあい、運よく丘のかげにあって九死に一生を得たもので、 もし伯父にあたる金工家清水南山の熱心な説得がなかったら、 舊制広島高校へ進學(xué)するところであったと聞いている。つま り,子供の頃からの美術(shù)家志望というより、成績のよい優(yōu)等 生がたまたま東京美術(shù)學(xué)校に入ったもので,それだけに,學(xué) 校時代は課せられた古畫模寫と寫生の勉強をまっしぐらに勉 強するほかはなかったという。つまり、簡単に自分の癖を出 しがちな時流を離れて、黙々と正面から努めていったところ に作者の特色があった。その點,師の前田青邨が,「平山君 は極めて頭脳の明晰な勉強家であり、早くから東洋の古美術(shù) に深い関心をもち,古畫の研究や模寫に打ちこんでいました。 そうした努力が,やがて古典的な題材を現(xiàn)代の感覚で表現(xiàn)す るための獨自な技法を生み出し,平山君はいち早く畫壇に頭 角をあらわしました」と述べているのが當(dāng)たっている。この 一連の素描にも,そうした作者の研究的で爽やかな,行きとどいた性格が感じられるであろう。
なお,ここには奈良の諸寺,諸仏のほか,浄瑠璃寺,平等 院鳳凰堂,延暦寺の美しい景観を描いた素描が加わっている。
お探しの方、お好きな 方いかがでしょうか。
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もちろん読む分には問題ありません。200672 |