石仏の巡禮とは、江戸時(shí)代初期ごろ一般庶民が巡禮するには困難なため、江戸中期から昭和初期にかけて全國に寫し霊場が作られるようになった。引田町には他の地區(qū)と比べても珍しく、5ヶ所(翼山石仏、小海常観寺石仏、塩屋観音堂石仏、黒羽観音堂石仏、大坂峠石仏)あることからこの特集を作成した。
(1)翼山四國八十八ヶ所石仏
昭和五年頃入池覚真の発願により建立されたが、所によっては弘法大師の石仏と共に祀られている。八十八の石仏の配置だが、なぜか山がなだらかな所には30ほどで、殘りは山の急な所と頂上に配置しており、やはり何らか意味があるのだろうか。
(2) 小海常観寺四國八十八ヶ所石仏
 幕末に建立され、寺の左角に八十八の石仏があり壯観な感じを抱く。寺の手前の墓碑と言い、小海の歴史を思わせる場所でもある。
(3) 塩屋観音堂西國三十三石仏
 慶応二年徳念の発願で建立されたものだが、22番から32番までは歩道が狹く、32番から33番へ行くには困難な狀態(tài)である。
(4) 黒羽観音堂西國三十三石仏
 天保七年頃に建立され、黒羽毘沙門天の前より金毘羅山を石の階段を登らず、左から山を二周して頂上にある観音堂に到著する道筋に石仏がある。一説には石仏を建立した人々は黒羽城主永塩家及びその家臣団の末裔が祀ったとの伝えがある。
(5)大坂峠石仏
 大坂峠の舊舊道に、寛政頃那珂郡苗田村の大圓等によって建立された?,F(xiàn)在は4番目石仏あたりに6番から9番までを下している。