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キザイア?ジョーンズ Keziah Jones
1970年生まれ、ナイジェリア出身のシンガー?ソングライター/ギタリスト。8歳の時(shí)にパブリック?スクールへの留學(xué)を理由に渡英し、ミュージシャンとしての道を志す。學(xué)校の退學(xué)を機(jī)にフォーク?クラブや街頭での演奏活動(dòng)を開始。92年にヴァージン傘下のデラベル?レーベルと契約、翌年に1stアルバム『Blufunk is a Fact』を発表。自ら“ブルーファンク”と呼ぶブルースとファンクの要素を併せ持つ音楽性が話題を集め、シングル「Rhythm is Love」は世界的ヒットを記録。
鋼の現(xiàn)場(chǎng)派ミュージシャン、キザイアのライヴを等身大に伝えるライヴ作。スタジオ第2作が出るまでの繋ぎの作品と言えなくもないが、ワン&オンリーの彼のシブとい魅力は十分に堪能できる。ソースとなっているのは、昨年の東京とパリの公演だ。
01スクリーム 02ハイドシオロジー 03レイニー?ロンドン?ストリーツ 04ブルーファンク?イズ?ア?ライヴ! 05シークレット?ソウツ 06リズム?イズ?ラヴ 07ザ?ワクシング?アンド?ザ?ウェイニング 08ウォーキン?ネイキッド?スルー?ア?ブルーベル?フィールド
録音 (1)~(5)92.11 (6)~(8)92.5
1968年、ナイジェリアの首都
ラゴスにて、ヨルバ族の族長にして資産家の父親のもとに生誕。8歳のときパブリック?スクール入學(xué)のためロンドンに渡るが、結(jié)果的には両親が望んだ醫(yī)者ではなくミュージシャンとして故國を離れることになった。
1992年、
フェラ?クティがエイズで亡くなり、彼はその事に大きなショックを受けた。その同じ年に彼は、パリとラゴスを離れ、ロンドンに移り住んだ。彼がフェラと出會(huì)ったのは、長時(shí)間の対談企畫であったが、これは「Kalaluta共和國の大統(tǒng)領(lǐng)」(フェラのニックネーム)にとって最期の公式聲明となった。これはバトン?リレーのように、アフリカン?アヴァン?ギャルドの世代から世代へと受け継がれたフェラからのアーティスティックで政治的な「遺言書」である。
1992年、パリの地下鉄で演奏していたところが目に留まり、Delabelレーベルと契約を交わす。翌年リリースされたファースト?アルバム『Blufunk is a Fact』はたちまち成功を収め、さらにシングル「Rhythm is Love」が予想外の世界的ヒットとなった。新たなリズム哲學(xué)を生み出したこの傑作ファースト?アルバムは、キザイアがその後歩んでいく様々な音楽的方向性の片鱗が既に現(xiàn)れている。例えば、
ブルースに
ロックを経由して
ファンク、さらにその少し後には
アフロビートまでも。このように全く自然で成功したジャンルの融合は、キザイアのトレードマークとなり、今でも彼の成功の鍵となっている。
1995年に発売された彼のセカンド?アルバム『AFRICAN SPACE CRAFT』は、アフロ?ファンク?ロックという形の音楽的ジグソー?パズルを宣言したアルバムであり、彼が別格のアーティストであることを裏付ける作品でもあった。これに続いたのが1999年にリリースされた実験的なアルバム『LIQUID SUNSHINE』である。
1 | | Scream | 3:41 |
2 | | Hidetheology | 5:12 |
3 | | Rainy London Streets | 2:54 |
4 | | Blufunk Is Alive | 1:45 |
5 | | Secret Thoughts | 5:08 |
6 | | Rhythm Is Love | 4:49 |
7 | | The Waxing And The Waning | 2:43 |
8 | | Walkin' Naked Thru' A Bluebell Field | 3:32 |
Japanese edition with bonus tracks
1-2-3-4-5 : Recorded live at "La Cigale"- Paris November 1992
6 : Recorded live at "On Air Club"- Tokyo May 1992