f23021501A〇昇斎一景 東京三十六景 本所一ツ目之橋 明治4年 蔦吉版 折本 戯畫風タッチ オリジナル版畫〇和本古書古文書

昇斎一景 東京三十六景 本所一ツ目之橋 明治4年 蔦吉版 折本 戯畫風タッチ オリジナル版畫〇和本古書古文書
240x180mm
1枚
汚れ シミ 切剝ぎ 裏當てが有ります

昇斎 一景(しょうさい いっけい、生沒年不詳)は、明治時代の浮世絵師。
歌川広重の門人といわれる。姓名不詳。初めは景昇斎、後に昇斎と號す。江戸の人。歌川広重の門人?歌川広景の後名という説もある。
また、一昇斎國福(歌川國福)という、広景と一景を繋ぐような名をもつ絵師もいる。
一景について述べた唯一の文獻は、「東京名所四十八景」の目次で、山々亭有人が記した紹介文である。
それによると一時、円山応挙を慕い京都へ遊歴し四條派を?qū)Wび、後に畫業(yè)を廃し世を避ける生活をしていたが、
明治になって書房からの求めで戯畫錦絵を描くようになったという。そのため広景または國福が、幕末に京で學び、
明治維新後に東京で畫業(yè)を再開したとも考えられるが、これを裏付ける資料はない。
作畫期は明治3年(1870年)から明治7年(1874年)までと短く、早世したと見られる。
明治時代初期の風俗、風景を多く描いた。作品総數(shù)は不明であるが、3枚続物34點、1枚物98點、冊子?折本類6點が確認されている。
代表作は明治4年(1871年)の「東都名所四十八景」、明治5-6年(1872-73年)の「東京名所三十六戯撰」、
明治6年(1873年)の違式?違條例を絵解きした「畫解(えとき)五十余箇條」。
他に、滑稽味ある風俗畫、風景畫、東京名所の3枚続や鉄道錦絵などがあり、特に鉄道を描いた作品が散見される。
畫風は3代歌川広重に似ているが、人物を描くと同時に時代の風俗や空気を的確に寫し出している。
また、一景の作畫期が明治初期に限られるため、明治政府主導の文明開化がどの程度民衆(zhòng)に浸透しているかを推し量る貴重な資料としても使える。