■サイズ
筆架 幅 11.8 cm × 奧行 2.7 cm × 高さ 5.5 cm
■説明
【王地山焼の歴史】
王地山焼は、江戸時代末期の文政年間(1818~30)、當(dāng)時の篠山藩主であった 青山忠裕(あおやまただやす)がこの王地山の地に築いた藩窯です。 三田藩で青磁焼成に成功した京都の名工、欽古堂亀祐(きんこどうかめすけ)を招 いて指導(dǎo)させました。製品は、青磁?染付?赤絵などの中國風(fēng)の青磁を模したものが多 く、手彫りの土型で素地を型押し成形するなど、繊細(xì)かつ高度な技術(shù)をもってつくられ ていました。當(dāng)時、大名たちの間では、茶器を焼く藩窯を持つことが流行していました。 また、藩主の社交や藩內(nèi)の産業(yè)育成などが開窯の背景であったと考えられています。 篠山藩や地元の豪商などの保護もあり、嘉永年間(1848~54)の最盛期には幾多の 気品ある作品が焼かれていましたが、明治2年(1869)廃藩置県を目前にして廃窯の 運命となりました。
【復(fù)興】
現(xiàn)在の王地山陶器所は、廃窯から100年以上の時を経た昭和63年(1988)に、 同じ王地山の麓に復(fù)興されました。獨特の緑色の青磁、染付、赤絵などの作品を當(dāng)時の 技法を使って製作しています。
この筆架は江戸時代の名品を復(fù)刻製作したものです。
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