








自宅保管の品です。大変美品ですが、古いもので表紙など経年変化はございます。ご理解頂ける方にご検討をお願(yuàn)い申し上げます。
伊東四朗、三木のり平、イッセー尾形、萩本欽一ら、笑いに人生を賭けた九人の男達(dá)が語るお笑いへの盡きせぬ思い。笑いを愛し続けてきた高田文夫が聞く日本の笑いの過去、現(xiàn)在、そして未來。
笑いに人生を賭けた九人の男たちが語り、笑いを愛し続けてきた高田文夫が聞くお笑いへの盡きせぬ思い。
目次
伊東四朗
三木のり平
イッセー尾形
萩本欽一
谷啓
春風(fēng)亭小朝
青島幸男
三宅裕司
立川談志
しっかりした作り手と蕓人がいて初めて、笑いが蕓になる。伊東四朗
笑いは撮り直しちゃダメなんだ。自分の「ウンコ」なんか見たくない。三木のり平
日本人でも異人さんでも、笑いのツボは世界共通。イッセー尾形
テレビに蕓はいらない。蕓は舞臺(tái)でやるものだ。
萩本欽一
「ガチョーン」のあの間はジャズから來てる。谷啓
落語が生き殘る道は〈愛〉しかない。春風(fēng)亭小朝
絵描き、物書き、ジャズ歌手、噺家……なりたいものがたくさんあった。青島幸男
コントは稽古してればしてるほど、アドリブが面白くなる。三宅裕司
どうもこの世界はウソくせえ。夢ン中のほうがほんとじゃないかって気がしてる。立川談志
レビューより
自他共に認(rèn)める聞き上手高田文夫が、敬愛する東京お笑い蕓人九名を招いての対談集。
人選と言い、話題と言い、著者の江戸前のお笑いに対する思い入れが充溢する一書。
読みながら、各人の獨(dú)特の肉聲が耳に響くようで、大変楽しませてもらった。
それにしても、そもそも東京のお笑いとは何なのだろう?ここに登場していない大御所ビートたけしも含めて、彼らに共通する美學(xué)とは何か?それは、一種の「照れ」ではないだろうか?気の利いた言葉一つで、衆(zhòng)目の関心を一気に浚ってしまうことに対する、申し訳ないような「照れ」の気持ちではないか。
対談だけど、途中からコントのような漫才のような駆け引きになって、文書なのに聲が聞こえてくるような空気に包まれる。十七年前のTV番組がつまらないと言い、そしてもっとひどくなっている現(xiàn)狀を、対談した人たちはどう思っているのか。