唐津焼 歴史
豊臣秀吉の朝鮮出兵に伴い、その時に連れ帰った朝鮮人陶工によって生まれたとされる。
同様に歴史を持つ萩焼とは兄弟のような関係と言えるでしょう。
特徴
萩焼とは異なり器面に鉄絵具で李朝風(fēng)の文様を描くことと、萩焼のように高臺の切出がない
茶人好みの器として「一楽二萩三唐津」と謳われいます。
朝鮮唐津
唐津焼は「砂目」と呼ばれる極めの荒い土が使われ、生地を荒く仕上げそこに厚めの釉薬を流します。
朝鮮唐津はこの厚めの釉薬を、鉄釉によって黒っぽく焼ける黒と、わら灰釉によって白っぽく焼ける白をともに用いるものを言います。
また茶道ではこの鉄釉を下地にしてわら灰釉の白を上から流して無造作に生み出されたものを「景色」と呼びます。
三玄窯 中里重利
古唐津からの流れを踏まえた作陶に勵み、理想とする作品にはさりげない品格が漂う。
「茶の湯は最高の遊び。土ものの唐津焼のよさが引き出される。
三玄窯 中里重利陶房
中里太郎右衛(wèi)門(無庵)の三男として生まれ 生を受けたときからの陶蕓家である。(日工會會長。國際陶蕓アカデミー會員)
古唐津をベースに三玄流を作る窯元です。
1950年 日本現(xiàn)代工蕓美術(shù)展で會員賞?文部大臣賞を受賞
1952年日展初入選 以後各展覧會へ出品
1960年県蕓術(shù)文化功労賞を受賞
1973年唐津市神田に窯を築く
1985年佐賀県蕓術(shù)文化功労賞を受賞
1986年日展評議員となる
2015年 逝去
本商品は朝鮮唐津のまさに(黒飴釉の上に海鼠釉を掛けた)「景色」が美しい中里重利作の逸品です。
裏に陶印があります。
商品には 傷、ヒビ、割れ、などありません。
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