本名は「ヨハン?ヴォルフガング?フォン?ゲーテ」で、1749年に富裕層の市民の子として生まれました。教育熱心な父によって、幼少期から家庭教師を呼んでは習(xí)い事を受けると言う生活を続けていたそうです。乗馬やダンス、演奏などの習(xí)い事を受けたのですが、特にゲーテの才能が発揮されたのは語(yǔ)學(xué)で、少年時(shí)代には英語(yǔ)やフランス語(yǔ)など、母國(guó)語(yǔ)以外にも6ヶ國(guó)語(yǔ)ほど習(xí)得しています。幼少からゲーテの詩(shī)は評(píng)判で、8歳の頃に祖父母へ宛てて書(shū)いた詩(shī)が現(xiàn)存しているようです。
1770年にシュトラースブルク大學(xué)に入學(xué)しています。在籍期間は1年程度と短いものでしたが、この間、後に哲學(xué)者として大成するヘルダーと出會(huì)いました。従來(lái)のロココ的で理性?形式を重んじる文學(xué)から脫卻しようとするシュトゥルム?ウント?ドラング運(yùn)動(dòng)に従事し、一流の文學(xué)評(píng)論家としても知られていたヘルダーはゲーテが作家?詩(shī)人を志す上で重要な出會(huì)いだったと言えるでしょう。ヘルダーとの交流でホメロスやシェークスピアの真価や聖書(shū)、民謡について學(xué)び、ゲーテは作家?詩(shī)人としての基礎(chǔ)を身に著けていったのです。
ゲーテとともに、ドイツのヴァイマル主義を代表する作家であるシラーとの出會(huì)いもゲーテに多大なる影響を與えています。シラーはゲーテの興味を詩(shī)作にも向けた立役者で、シラーの言葉を受けてゲーテは小説『ヴィルヘルム?マイスターの修業(yè)時(shí)代』と敘事詩(shī)『ヘルマンとドロテーア』を完成させました。1774年前後に著手し始めた『ファウスト』は長(zhǎng)らく手つかずの狀態(tài)が続いていましたが、シラーからの言葉で執(zhí)筆を再開(kāi)。後に「シラーと出會(huì)っていなかったら『ファウスト』は完成していなかっただろう」とゲーテは語(yǔ)っています。
『グリム童話』の編者として広く知られているヤーコブ?グリムはゲーテから影響を受けた一人で、グリムが作成した『ドイツ語(yǔ)辭典』にはゲーテの作品から多くの引用がなされています。現(xiàn)代ドイツ語(yǔ)を完成させるピースとしてゲーテが大きな役割を擔(dān)っていたと言えるでしょう。
「マルクス主義」で知られるカール?マルクスは「ゲーテは偉大な詩(shī)人であるだけでなく、最も偉大なドイツ人の一人である」と述べていて、マルクス主義の研究家でもあったソ連の政治家レーニンもゲーテを愛(ài)読していたそうです。
日本でも、森鴎外によってゲーテが知られるようになり、島崎藤村、平田禿木、尾崎紅葉がゲーテの読者であったとされています。