※御刀詳細(xì)※
紀(jì)州徳川家伝來品 「 粟田口國(guó)吉 」
重要文化財(cái)2點(diǎn)、重要美術(shù)品7點(diǎn)の粟田口派の大名工
元祿年間本阿彌家折り紙付屬
鎌倉(cāng)時(shí)代中期弘安頃の作
粟田口一派は、國(guó)頼の子?國(guó)家を始祖とし、鎌倉(cāng)時(shí)代初期?承元(1207年)より、京都の東山區(qū)北端の粟田口で、三條一派と交代するように栄えた派である。 國(guó)家には「國(guó)友」「久國(guó)」「國(guó)安」「國(guó)清」「有國(guó)」「國(guó)綱」の6人の子があり、いずれも名匠として知られるているが「國(guó)吉」も粟田口派の名工であり、鎌倉(cāng)時(shí)代中期?弘安頃に活躍した刀工で有る。
粟田口一派の特徴は何と言ってもその地肌にあり、粟田口の地肌は梨子地肌に細(xì)かな地沸が一面に付くことが、五ヶ伝中で最高峰と言われる由縁である。
國(guó)吉は、受領(lǐng)名は「左兵衛(wèi)尉」( 概要粟田口則國(guó) )の長(zhǎng)男であるとされている。 「北條時(shí)頼」に召されて鎌倉(cāng)へ下り、その時(shí)には山內(nèi)に住して「國(guó)高」と銘を切っていたとされるが、時(shí)頼が國(guó)吉銘の懐剣を所持していたところ、色々な奇瑞があったので「國(guó)高」から元の國(guó)吉へと改めさせたという説がある。
年紀(jì)を切った作例として、弘長(zhǎng)2年から弘安7年のものがあるが、作刀當(dāng)初でいえば寶治年間に遡るものもあると推測(cè)されている。
本刀は「紀(jì)州徳川家伝來品」であり、元祿年間の本阿彌家の折り紙が付屬している。 輪反りの優(yōu)雅な太刀姿で有り、板目詰まる精緻な見事な地鉄、地全體に淡い映り見事に立ち、細(xì)直刃の中に小足よく立つ見ごたえ有る出來栄えを示し、帽子尖って返る。
鞘には、昭和を代表する大刀剣鑑定家、本間薫山先生の鞘書きがあります。 在銘「國(guó)吉」の見事な一振りです。
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長(zhǎng)さ????2尺2寸3分7厘
元幅????約3.3cm
先幅????約2.9cm
元重????約6.4mm
先重????約4.4mm
620g