御存知!名手Jake E.Lee登場(chǎng)! Ozzy Osbourne 過度期の傑作3rd「Bark at the Moon」オリジナル?リマスター版+改訂版リマスター紙ジャケット仕様限定盤 國(guó)內(nèi)盤中古でございます。
雙方共に非常に狀態(tài)の良い中古でございますが、後者は付屬品シールがございません。
內(nèi)容は言わずもがな。
ラインナップは名手揃い。
Ozzy Osbourne(Vo、ex-Black Sabbath)、Jake E.Lee(G、現(xiàn)Red Dragon Cartel ex-極初期Dio、Rough Cutt、Ratt、後にBadlands)、
Bob Daisley(B、ex-Widowmaker、Chiken Shack、Rainbow、Uriah Heep、後にGary Moore、Lone Ranger、Living Loud他)、
Don Airey(Key、現(xiàn)Deep Purple、ex-Cozy Powell's Hammer、ColosseumⅡ、Rainbow、後にJethro Tull他)、
Tommy Aldridge(Ds、現(xiàn)Whitesnake、ex-Black Oak Arkansas、Pat Travers Band、Gary Moore、Project:Driver、House of Lords、Patrick Rondat他)となります。
またストリングス?アレンジでLouis Clark(E.L.O.のストリング?アレンジャーで王立音楽院出身。前作やRainbow等々でも擔(dān)當(dāng))の參加がございます。
プロデュースはOzzy Osbourne/Bob Daisley/Max Norman(後にGrim Reaper、Loudness、Megadeth等手掛ける)となります。
1983年6月~10月英國(guó)イングランド”Ridge Farm Studios”での制作、米國(guó)ニューヨーク”The Power Station Studios”でのミキシングとなります。
(後者は同スタジオ?jiǎng)?chuàng)設(shè)者でハウス?エンジニアであったかのTony Bongioviによるもの)
ツアー中の不慮の飛行機(jī)事故で名手Randy Rhoadsを失ったOzzy Osbourne。
Randy Rhoadsの死後は非常に悲しみに暮れ、しばし沈黙する事となります。
その後ツアー再開を目指し、新ギタリストを探す事となります。
されど難航。
Tommy Aldridgeの関係から當(dāng)時(shí)は契約問題を巡り裁判沙汰となり活動(dòng)が停滯していた名手Pat Traversにサポートを依頼する事となります。
名手Pat Traversを加えツアーを再開。
同時(shí)に新ギタリスト選考に入り、Rudy Sarzoの実兄Robert Sarzo(後にHurricane)、故Bernie Torme(ex-Gillan、後にDesperado)に白羽を立てる事となります。
Robert Sarzoの演奏には満足したもののキャリアの差が有り、故Bernie Tormeを採(cǎi)用。Pat Traversと交代し、新ギタリストとして御目見えする事となります。
されど、ステージでのソロ?パフォーマンスがあまりにもJimi Hendrixを彷彿とさせるもので、Ozzy Osbourneは「時(shí)代に合わない」と危懼。
再び新ギタリスト選考を開始する事となります。
そして名手Brad Gillis(當(dāng)時(shí)Ranger(後のNight Ranger)、ex-Rubicon、Stereo)、かの名手John Sykes(當(dāng)時(shí)Tygers of Pang Tang、後にJohn Sloman's Badlands、Thin Lizzy、Whitesnake、Blue Murder、Sykes)
に白羽の矢が立つ事となります。
(後者は名手Don Airey曰く「當(dāng)時(shí)はGary MooreとRandy Rhoadsを掛け合わせた様なギタリスト」との事)
名手John SykesはOzzy Osbourne側(cè)からのアプローチを受け、名手John Sykesは急遽Tygers of Pang Tangを脫退。
されど契約問題で手間取り、Ozzy Osbourneの全米ツアーに駆け付けるものの既にBrad Gillisに後任は決定済。
泣く泣く英國(guó)へとんぼ返り。その後、John Sloman's Badlandsに參加する事となります。
(録音は行われるものの契約が得られず解散。MCAとの契約問題が頭を擡げる事となりますが、
そこにJohn Sykesに注目していた故Phil Lynott(Thin Lizzy)がアプローチする事となります)
「Jimi Hendrixのコピーはいらない」との心無(wú)い発言を殘し、Ozzy Osbourneは名手Bernie Torme解雇。
そして名手Brad Gillisが加入しラインナップが固定。更には獻(xiàn)身的な貢獻(xiàn)でOzzy Osbourne Bandは息を吹き返し、意欲的にツアーを継続。
評(píng)判も良くツアーを終了する事となります。
そして、故Randy Rhoadsが難色を示し(音大進(jìn)學(xué)を含め)脫退を示唆した因縁の「Black Sabbathオリジナル期のみの楽曲によるライヴ盤」対本家Black Sabbathライヴ盤対抗企畫が浮上。
そこから名手Don Aireyがバンドの有り方に不信感を抱き、故Gary Mooreのアプローチを受け脫退する事となります。
ニューヨークのライヴハウス”Ritz”での制作に臨むもののOzzy Osbourneは「ミュージシャン特有の私生活問題」が極限に達(dá)しており、リハーサルはバンドのみ。
擦った揉んだの末、制作を敢行。
リハーサル時(shí)のみに演奏となった楽曲の録音音源を加工したものを一部加えた上でヴォーカルを取り直し完成に漕ぎ著けリリース。
されど、水面下で嘗ての同僚Kevin DuBrowからのアプローチを受けたRudy Sarzoが新生Quiet Riot參加の為脫退する事となります。
(當(dāng)時(shí)Rudy Sarzoは故Randy Rhoadsと共にQuiet Riot名稱権をを有していた事が絡(luò)む感がございます。
新バンド始動(dòng)に當(dāng)たり、Kevin DuBrowはQuiet Riot名稱の譲渡を故Randy Rhoadsに依頼し承諾を得ていた模様。)
後任にU.F.O.脫退後かの故Eddie”Fast”Clark(ex-Motorhead)と”Fastway”を結(jié)成するものの敢え無(wú)く脫退した名手故Pete Wayをスカウト。
キーボード奏者に故Randy Rhoads在籍時(shí)のツアーサポートだった”Linsey Bridgewater”(かの”Tribute”や公式ライヴ音源での演奏)を再起用し、ツアーを開始する事となります。
英國(guó)中心のツアー後に名手Pete Wayは自身のバンド”Waysted”結(jié)成の為、そして名手Brad GillisはOzzy Osbourne Band在籍での制約や不信感が募っており、
また掛け持ち在籍していた”Ranger”(後のNight Ranger)が契約を獲得し、デビュー作を制作中という時(shí)期が重なり、”Ranger”復(fù)帰を決斷。
名手二名が離脫する事となります..........
ツアーのインターヴァルを活かし、再び新ギタリスト選考に臨む事となります。
最終選考にて名手George Lynch(當(dāng)時(shí)Dokken、後にLynch Mob等)、無(wú)名の名手Jake E.Lee(ex-極初期Dio、Rough Cutt、Ratt他)という名手二名が候補(bǔ)として殘る事となります。
正式な録音制作(Dokken”Breaking the Chains”)を積み、また故Randy Rhoadsと似た年齢で同時(shí)期のキャリア組であったGeorge Lynchに大きな利があったものの、
Ozzy OsbourneはJake E.Leeを後任に選択。
(名手Tommy Aldridge曰く「George Lynchという選択種もあった」との事。
また「當(dāng)時(shí)のGeorge Lynchは髪が短く、それで外された」とも揶揄されますが、Ozzy Osbourne曰くは「Jakeの演奏は俺をノせた」との事。
技術(shù)面や個(gè)性は雙方引けを取らないもの。
George Lynchにはリフ等の鋭さがございますが、正直Jake E.Leeには音楽性のハードさの裏に不思議なポピュラー感を有しており(次作や後のBadlandsで露呈しますが......)、
そこにOzzy Osbourneが未知の魅力を見出した感が有り、Jake E.Leeは正式な録音制作のキャリアを持ち合わしていなかったとは言え、その才能に賭けた、という感がございます.......)
更に後任ベーシストにDon Costa(後にW.A.S.P.)を迎え、新體制で再びヨーロッパ?ツアーに臨む事となります。
全米ツアー開始前に故Gary Mooreの新バンド構(gòu)想から外れる事となった名手Don Aireyを(次作制作を見據(jù)え)再びスカウト。
そしてOzzy Osbourne Band解雇後に新生Uriah Heepに參加するものの思う様な成果が得られなかった名參謀名手Bob Daisleyを(次作制作を見越して)ツアー終盤に再びスカウト。
1983年5月29日米國(guó)カリフォルニア州”San Bernardino”かの伝説の”US Festival”(Heavy Metal Day)に満を持して臨む事となります。
そして、フェスティバルでの新體制ラインナップの好評(píng)を得て、翌月新作制作に臨む..............という非常に面倒な経緯がございます............................
さて今作。
様々と曰くのある作品ではございます。
作曲はOzzy Osbourne自身となりますが、マネージメントの問題で作曲クレジットをそうせざるを得なかった模様でございます。
原案をJake E.Leeが持ち込みリズム面からBob Daisleyが作曲に絡(luò)み、大まかな原曲が完成。
Ozzy Osbourneが楽曲にアイデアとヴォーカル?メロディーを加え、楽曲の有り方をソング?ドクター的に改正を促していき、
歌詞はOsbourne/Daisleyが練り上げ、そしてDon Aireyがアカデミック的見地から意見を述べ楽曲に手を加えるという感のある創(chuàng)作でございます。
正直、Osbourne/Lee/Daisley中心の創(chuàng)作という感がございますが、キーボード強(qiáng)調(diào)やシンフォニック絡(luò)みはDon Aireyが加わるという感。
(但し、”So Tired””Waiting for Darkness”二曲はDon Airey原作楽曲で、Osbourne/Airey/Lee/Daisleyという感............)
前ラインナップの音楽性を引き継ぎつつ、新任名手Jake E.Leeの音楽性を生かすという感がございます。
そもそも前任名手故Randy Rhoadsはクラッシック音楽育ちがあり、生真面目な構(gòu)築性重視のミュージシャン。理に合わないものは外すという感がございます。
新任名手Jake E.Leeはロック音楽育ち。
雙方共職人的な感覚を持つミュージシャンではございますが、後者はロック音楽の奇抜さや矛盾からくる面白さを感覚的且つ無(wú)意識(shí)的に理解しており、
自身の音楽性の不思議なポピュラー性を加え、ロック音楽的な躍動(dòng)感や奇抜さ等を音楽性に生かすという感がございます。
タイトル曲等々がBritish HM系ではございますが、全體的に當(dāng)時(shí)勃興しつつあった”L.A.Metal”系の音楽性を強(qiáng)く感じさせる感。
そもそもJake E.Leeが”L.A. Metal”ムーヴメント創(chuàng)成期の當(dāng)事者である事やかのNWOBHMが後期に入り、音楽シーンの中心が米國(guó)に移行した事からも、音楽性が変化した感がございます。
問題作とされた次作が「米國(guó)指向」と揶揄されましたが、この時(shí)點(diǎn)で米國(guó)指向が窺える音楽性(正直次作は音造りの指向問題の感)。
今作が分岐點(diǎn)という感がございます。
非常に質(zhì)が高いものではございますが、故Randy Rhoadsが得意としたクラシカルな大仰さとJake E.Leeの音楽性は相容れない感が有り、
”So Tired”ではグラム/ロック系の解釈で音楽性を上手く融合出來(lái)たものの、”Waiting for Darkness”では(Don Aireyの原曲提供ではあっても)音楽的な葛藤が感じられるものでございます。
また、正式な録音制作を経ていない事から制作時(shí)にはかなりのプレッシャーと緊張を強(qiáng)いられ(プロデューサーのMax Norman曰くの)「実力の半分も出せなかった」模様でございます。
されど、前任に引けを足らぬ演奏個(gè)性と演奏の正確さは見事なものでございます。
(この制作でMax Normanは降板。次作からはOzzy Osbourneはプロデュースを他に託していく事となりますが、このJake E.Leeの一件が絡(luò)む感がございます。
他分野ではございますが、Billy Joelを大成功へと導(dǎo)いた功績(jī)でも知られる故Phil Ramoneという名プロデューサーがおられました。
Billy Joelの意向を尊重しバックバンドを制作に起用。信頼のみならず魅力を見出し更なる魅力を引き出しましたが、そのバックバンドは前作で正式な制作キャリアを積んだのみ。
どんな狀況であれ存分に魅力を引き出すのが超一流という感がございます................)
また録音直後に名手Tommy Aldridgeは解雇(その後Hughes/Thrallのツアーに合流)、かの名手Carmine Appiceが加入する事となり、
ミキシングではCarmine Appiceも立ち合い、バスドラム音を削除していった模様でございます(”Bark at the Moon”參照)。
またその名手Tommy Aldridgeでございますが、今作から演奏スタイルが変化。
以前ではパワフルでも整った感があり躍動(dòng)感と立體感のあるものではございますが、今作では荒々しい演奏を求められた感がございます。
今作以降も作品參加でその荒々しさを求められる感が有り、現(xiàn)在の演奏スタイルに繋がっていく感がございます。
(バンド復(fù)帰後に今作を聴いた當(dāng)の本人は「バスドラムは何処行った?結(jié)構(gòu)踏んでる筈だが?」との事でございましたが.............)
リリース後はツアーに勤しみますがチャート?アクションは前作を下回り、初回セールスは良いもののその後は伸び悩む事となります...........
されど、ツアーは好評(píng)で非常な長(zhǎng)期に渡るものとなっていきます。
ヨーロッパ?ツアーを超えた後の全米ツアー前期に名手Carmine Appiceがギャラの問題でマネージメントと揉め、脫退。
暫しの停止を経て名手Tommy Aldridgeが復(fù)帰し、ツアーは継続となります。
1984年7月7日渋谷公會(huì)堂公演で一旦終了?!盡onsters of Rock Festival”等々フェスティバル出演を経て、1985年1月16?19日ブラジル”Rock in Rio”公演まで続く事となります。
その後Ozzy Osbourneは「ミュージシャン特有の私生活問題の治療」で沈黙。
これを機(jī)に名手陣Bob Daisley/Don Airey/Tommy Aldridgeは新たな活動(dòng)を求めて離脫。
バンドはJake E.Leeを殘して崩壊と相成ります.................
Ozzy Osbourneは治療後暫しの休息を経て、Jake E.Leeと共にバンド再編と新作制作に向けて行動(dòng)を開始する事となりますが、
今作のセールス不振が頭を擡げる事となります.................................。
(公式非公式問わず當(dāng)時(shí)の音源で確認(rèn)されますが............................)ツアーでの名手Jake E.Leeの水を得た魚の様な冴えた演奏パフォーマンスに代表されるバンド?アンサンブル等々の好評(píng)振り、
更には新曲のライヴ向けアレンジ(特にタイトル楽曲”Bark at the Moon”)が非常に巧みで好評(píng)があり、
それをスタジオ録音制作で引き出せなかった事からも、自身やバンドによるセルフ?プロデュースを斷念。
またMax Normanのプロデュースの有り方に限界を感じ、他にプロデュースを依頼する事となります.....................................................
さて、リミックス?リマスター版。
紙ジャケットでオリジナルリリース時(shí)に沿った仕様はございますが、內(nèi)容は2002年度のリミックス?リマスター版でございます。
そもそも”Blizzard of Ozz””Diary of a Madman”の改竄リマスターで知られる悪名高い再発シリーズの一環(huán)ではございますが、楽曲によっては完全ヴァージョンが聴かれる貴重なもの。
されど削除されたギターやベースの演奏パートやイントロ部差し替えが目立つものでリミックス感がございます(Ozzy Osbourneは未関與)。
正直、何かねぇ.......というものでございます..........
かのBilly Joelの現(xiàn)行リマスターで當(dāng)時(shí)の制作陣等によるテイク差し替え等々が行われ賛否両論を呼びましたが(Billy Joelは未関與)、それを參考にした感がございます.....................................
この機(jī)會(huì)に是非。
注:配送方法は変更になる場(chǎng)合がございます。宜しく御願(yuàn)い致します。
(2020年 10月 26日 9時(shí) 45分 追加)注:後者は輸入盤でございます。宜しく御願(yuàn)い致します。