
名手Peter Robinson/Mick Underwood/John Gustafson結(jié)成 Quartermass 隠れ名盤「Quartermass」リマスター紙ジャケット仕様盤 輸入盤中古でございます。
盤共に非常に狀態(tài)の良い中古でございます。
紙ジャケットでございますがオリジナル使用とは異なり、特殊獨自仕様という感がございます。
內(nèi)容は言わずもがな。
ラインナップは興味深い名手揃い。
Peter Robinson(Key、ex- Episode Six、後に後期Brand X、その後にL.A.に拠點を移行し映畫音楽制作で名聲を博す)、
Mick Underwood(Ds&Per、ex-Outlaws、Episode Six、後にPeace(かのPaul RodgersがF(xiàn)ree一度目の解散後に結(jié)成のバンド)、Gillan、QuartermassⅡ他)、
John Gustafson(Vo&B、ex- Episode Six、後に全盛期Roxy Music録音制作及びツアー?サポート、Ian Gillan Band他)となります。
尚、ストリングス隊參加がございますが、Paul Buckmaster(當(dāng)時Third Ear Band。Elton John、かのRoger Gloverプロデュース”Rupert Hine”作等々のアレンジにて御馴染み)等々興味深い面々となります。
プロデュースはAnders Henriksson。ストリングス?アレンジはPeter Robinsonとなります。
1970年1月英國ロンドン”Abbey Road Studios”での制作となります。
名手Ian Gillan/Roger GloverがかのDeep Purple加入の為に、”Episode Six”を脫退。
後任として長い活動経歴を持つJohn Gustafsonを加入させた事を起點として始まるバンドでございます。
1960年代後半からの「アート?ロック全盛期」の中でJohn Gustafson加入後の”Episode Six”は時代に翻弄され迷走。
それぞれのセッション?ワークを行いつつ活動を模索致しますが、1969年9月バンドは一旦解散を選択。
Peter Robinson/Mick Underwood/John Gustafsonは今バンドを結(jié)成する事となります。
(殘されたShiela Carter-Dimmock/Tony Lander/Graham Carter-DimmockはDave Lawson(後の”Greenslade”)等を迎えバンドを再編)
”アートロック色”を重視した音楽性を指向し、同年12月にライヴ活動開始。
”EMI”配下の実験レーベル”Harvest”との契約を経て、1970年1月デビュー作制作に勤しむ...........という経緯がございます.................
さて今作。
Peter Robinsonの存在がミソでございます。
キーボード?トリオという事が有り、明らかに”The Nice”や”Emerson, Lake & Palmer”を意識したものではございます。
されどPeter Robinsonは王立音楽院出身という事が有り、作曲/ストリングス?アレンジを含めそのアカデミックさを上手く生かしたものでございます。
”Keith Emersonの音楽知識サーカス”とも揶揄された前述二バンドとは異なり、非常に整った音楽性。
前述のみならず”Pink Floyd””Deep Purple”等々當(dāng)時のアートロック界隈の音楽性が垣間見られるものではございます。
後々に米國に拠點を移し映畫音楽制作で名聲を博す事が窺える音楽面があり、非常に興味深いものでございます。
後に”Gillan”に參加しHR/HM界隈で名聲を博す事となるMick Underwoodではございますが、ここでは非常に繊細でジャズ色の強い演奏。
(前述二バンドのみならず)當(dāng)時のアートロックを意識した感がございますが、案外整った演奏がミソ。
後の”Gillan”ではNWOBHM絡(luò)み(で時代的にパンク通過の)HR/HMという事が有り荒々しさを重視した感から、今作は異色感がございます。
”Episode Six”では、ヴォーカル兼ベーシストという事で”Ian Gillan/Roger Glover”両者の後任となったJohn Gustafsonではございますが......
ソウル?ミュージック解釈系のヴォーカルという事が有り、かの名手Glenn Hughesを彷彿とさせる面がございますが個性のアクは少ないもの。
ベーシストとしてもブラック?ミュージック系の流れを汲む演奏ではございますが參加時に相當(dāng)なキャリアを積んでいた事が有り、アンサンブル重視。
後にかの”全盛期Roxy Music”でのレギュラー?サポートとして作品制作?ツアーと駆り出される事が窺えるものでございます。
リリース後は好評を得た模様。
ツアーを行うのみならず、メジャーなバンドからも前座起用される事も多々あり活動は順調(diào)なもの。
されど、セールスは思う程伸びなかった模様。
次作制作を行い、また映畫音楽制作の依頼も舞い込むものの前者はお蔵入り。
また英國のオイルショック等の深刻な経済狀況からレーベル閉鎖等々が重なり、1971年4月あっけなく解散。
それぞれがセッション?ワーク等々に去る事となります.........................................
後にDeep Purple大傑作”Stormbringer”制作時にかの名手Ritchie Blackmoreが今作の”Black Sheep of the Family”の録音を提案したところ、
バンド側(cè)から卻下を食らった有名な話がございます。
Ritchie Blackmoreのお気に入り楽曲であった事は事実で後に結(jié)成となるレインボウ1st”Blackmore's Rainbow”にで録音収録されますが、
この提案で自身のバンド內(nèi)での立場や権力範(fàn)囲を計っていた感が有り、その結(jié)果により脫退を含めた判斷を行った感がございます。
また、Deep Purple在籍時末期にかの名手故Ronnie James Dio等と極秘裏に今楽曲の録音を行った件。
その録音は未だ未発表の模様ではございますが、そもそも作品として発表する事が目的ではないという感。
Ritchie Blackmore自身のDeep Purple脫退後に想定した故Ronnie James Dioとの新たな活動が、成果が得られるものか?否か?を試行していたものではなかろうか?という感もございます..................
この機會に是非。