2001年度本國(guó)リマスターとなります。
古いリマスターでございますが、オリジナル?マスターテープからのリマスターがミソでございます。
現(xiàn)行リマスターは2011年度のもの。
嘗てQueenを手掛けたかの名プロデューサーRoy Thomas Bakerによるものでございますが、実はリミックス。
CD等の許容範(fàn)囲ぎりぎりに音を合わせた模様でございますが、本人曰く「時(shí)代に合わせて音を操作した」との事でございます。
現(xiàn)在主流の情報(bào)量重視で知られる「フラットマスタリング方式」によるもので情報(bào)量重視の感。
當(dāng)事者である事もあり非常に良心的な音質(zhì)でございますが、躍動(dòng)感がちと弱い感がございます。
2001年度リマスターでございますが、(古いものとは言えど)當(dāng)時(shí)は音質(zhì)決定版として知られるもの。
何をか言わんや、でございます.................................
內(nèi)容は言わずもがな。
ラインナップは不動(dòng)の名手4名。
故Freddie Mercury(Vo、Key、Drum Machine)、Brian May(G、Vo、KeyDrum Machine、)、John Deacon(B、Key)、
Roger Taylor(Ds、Per、Drum Machine、Vo、Key)となります。
ゲストに何と!名手Steve Howe(Acoustic G、現(xiàn)Yes、ex-Asia、GTR、ABWH他?!盜nnuendo”フラメンコ?パートに參加、ソロも擔(dān)當(dāng)の感)、
通受け名手Mike Moran(Key、ex-Spring、Ian Gillan Band、Ozzy Osbourne/Freddy Mercury”Barcelona”/Chris Reaセッション他)參加となります。
プロデュースはバンド自身とDavid Richardsとなります。
(エンジニア兼任、キーボード奏者としても関わる。スイス?モントルー”Mountain Studios”のハウス?エンジニアであった方。
Yes、Rick Wakeman、Chris Rea等々と関わる。
Roger Taylorのソロ作での手腕を買われ、前作”A Kind of Magic”から起用される)
1989年3月~1990年11月英國(guó)?ロンドン”Metropolis Studios”、スイス?モントルー”Mountain Studios”での制作となります。
1982年5月21日に発表した意欲作「Hot Space」が大不振。
大膽にドラム?マシーン等を?qū)毪筏郡猡韦我魳S性が従來(lái)の路線とは大幅に異なり、ディスコ/ダンス、テクノ等の要素が非常に強(qiáng)いもの。
ファンから総スカンという始末。
John Deacon主導(dǎo)と目されたものの実際は「新たな挑戦を!」と全員でネタで盛り上がって制作を行った模様。
但し、大不振から非難の矛先を避けようと責(zé)任をJohn Deaconに押し付けた事からバンドは紛糾。バンド內(nèi)に不穏な空気が流れ始めます。
(Freddie Mercury死去後のQueen解散後は一切登場(chǎng)しないJohn Deaconではございますが、
ここでの責(zé)任問題が遠(yuǎn)因となった感がございます........................)
ツアー後バンドはガス抜きの為に暫し活動(dòng)停止。ソロやコラボ作制作そして休憩(笑)とそれぞれが道を選ぶ事となります。
1983年8月から新作制作に乗り出すものの、作曲クレジットや著作権を巡ってバンドは紛糾。
嘗ての「誰(shuí)が原曲提供であっても皆が積極貢獻(xiàn)して”Queenの楽曲”として仕上げる」という姿勢(shì)に大きな翳りが差す事となります。
摺った揉んだの末に新作”The Works”が完成。リリースすれば前作の不振を振り払う好評(píng)さ。
バンドは意気揚(yáng)々とツアーに出る事となります。
但し、新作のタイトルが「御仕事」というもの。
ライヴアクトとしての名聲は変わらないものの「Hot Space」から始まったバンド內(nèi)の亀裂と確執(zhí)は深まっていく事となります..................
また、當(dāng)時(shí)「アパルトヘイト政策」で國(guó)際社會(huì)から大きく非難された南アフリカの”Sun City”で9日間に渡るコンサートを開催。
國(guó)連?國(guó)際社會(huì)そして黒人ミュージシャンを中心に大きな非難に曬される事となります。
(當(dāng)時(shí)は”俺たちはSun Cityで絶対に演らない!”とのチャリティーも兼ねたプロジェクト楽曲もございました.............)
「ファンが望むならばコンサートに赴くのがミュージシャン」等々と釈明?謝罪するものの、バンドに大きな影を投げかける事となります.......
(似た時(shí)期にはかのChick Coreaも南アフリカでライヴを行いまた作品制作も行い、こちらも相當(dāng)な非難に曬され、
またBrian Mayの盟友たる名手Tony Iommi率いる”The Eternal Idol期”Black SabbathもSun Cityでライヴを行い、こちらも同様となり、
當(dāng)時(shí)のマネージャーErnest Chapman(嘗ての第二期Jeff Beck Group現(xiàn)場(chǎng)マネージャー)が國(guó)連で謝罪する憂き目に..................
そもそもQueenは極初期から金に絡(luò)む問題が付き纏いますが...............
デビューに盡力し相當(dāng)投資したマネージャーから金銭面でサッサと離れてしまい、それをメディアに相當(dāng)非難され、
作品の評(píng)価も加えてズタズタにされたという経緯アリ......極初期の作品マスターも本當(dāng)に破棄された件も絡(luò)み......何かねぇ....................)
かの”Rock in Rio”という一大フェスティバル出演を行い大絶賛を得るものの前述の件が尾を引く事となり、ツアー最後は日本公演。
熱狂的なファンの支持をデビュー當(dāng)初から、という最後の砦的な支持層でライヴは成功を収めますが、
「バンド解散」の文字がバンドの頭に擡げてくる事となります...........................
重い空気の中、かのBoomtown RatsのBob Geldofが企畫した一大チャリティーコンサート”Live Aid”への出演依頼が舞い込みます。
20分演奏限定があり當(dāng)初は渋るものの、無(wú)意識(shí)的に「解散を飾る」判斷で參加合意。
「20分では表現(xiàn)出來(lái)ない!」と意図的に愚癡を漏らし(←ここ重要)敢えて反感を買い、反面きちんと仕上げて臨む事となります。
1985年7月13日午後6時(shí)41分に登場(chǎng)。
名手Kenny Jones在籍期The Who、Led Zeppelin、オリジナル期Black Sabbathの一時(shí)的再結(jié)成、
Daryl Hall & John OatesのTemptation二名を迎えた特別パフォーマンス等々と豪華な企畫満載の中で、
圧巻で完璧な演奏を繰り広げ、大評(píng)判を博し「Queen ここにあり!」と健在ぶりを示す事となります。
無(wú)意識(shí)的に解散を意識(shí)していたものの”Live Aid”での一大パフォーマンスの大評(píng)判がバンドに活力を生み、
暗雲(yún)を振り払い、再び表舞臺(tái)へと誘う事となります。
バンドの創(chuàng)作意欲が旺盛となる中”O(jiān)ne Vision”を作曲。そして映畫”Highlander”の挿入歌企畫が持ち込まれ、
未完の試寫に感銘を受け參加を受諾する事となります。
制作を開始するものの、バンド新作を制作したいQueen側(cè)はこのサントラ挿入歌を中心に新作制作を要望。
映畫制作側(cè)はタイアップ効果を狙い、その案を受諾。
手始めに”O(jiān)ne Vision”をリリース、好評(píng)を得ると新作制作を深化。
1986年4月に終了、6月に新作として”A Kind of Magic”をリリース。
英國(guó)では”Live Aid”でのQueenの大評(píng)判が期待を呼んでおり、新作は大ヒットを記録となります。
米國(guó)では前作での理不盡な扱いに対する不満からツアーは撤退を決めており、
加えてかの”Sun City”騒動(dòng)があり不振となるもののバンドは英國(guó)?ヨーロッパ圏中心の活動(dòng)と決めており、
威風(fēng)堂々とバンドはツアーを開始する事となります。
バンドの大好評(píng)と演奏の充実振りからライヴ映像収録と大傑作”Live Killers”以來(lái)のライヴ盤制作を企畫。
また、時(shí)代は冷戦期末期。ペレストロイカ等々と音楽を含め制約が緩和された時(shí)代。
多くの西側(cè)自由主義圏ミュージシャンが東ヨーロッパ圏~(當(dāng)時(shí))ソ連のツアーを企畫され、
Queenもそれに乗る事となり、ハンガリーにおいても収録を敢行する事となります。
以前に比べて短期間のツアーで英國(guó)?ヨーロッパ圏のみとは言えど、大好評(píng)。
バンド復(fù)活を飾る事となります.....................
”Live Magic”制作?リリース後暫しの休息を得、それぞれがソロ作制作等々に精を出し新たな刺激を得、成果を上げる事となりますが、
その最中かのFreddie Mercuryにかの病魔がヒタリヒタリと忍び寄る事となります.........
前作”A Kind of Magic”はサントラ企畫から立ち上がった異色作という事があり、またある種のリハビリ作でございます。
意欲的なアイデアを持ち寄り本格的な新作制作に向けバンドは動(dòng)き出す事となります。
休息を経て1988年1月に新作制作を開始。
既にバンドにはFreddie Mercuryのかの病魔が進(jìn)行しており深刻である事が知られており、
絶望的な現(xiàn)実の中、制作が進(jìn)められる事となります.............................
正直、その新作「The Miracle」はFreddie Mercury色が非常に強(qiáng)い感のある作品。
Freddie Mercuryの病狀が深刻化する中、「色彩感?躍動(dòng)感溢れる作品を作りたい!」とのFreddie Mercuryの意向が強(qiáng)く反映された感がございます。
但し、自己の死期を悟ったFreddie Mercuryが過(guò)去を振り返った感。
「殘した作品は全て誇りではあるが、(質(zhì)は高いものの)失敗作と自らレッテルを張ってしまったあの”Hot Space”。
今作であの不遇な作品を再評(píng)価したい、ファンの再評(píng)価を願(yuàn)いたい」
とのFreddie Mercuryの意向が伺える感がございます。
非常に色彩感?躍動(dòng)感が強(qiáng)く楽曲展開が多いもの。
コーラス等Queenらしいものではございますがソロ作等での実験性や色彩感を強(qiáng)く持ち込んだ感があり、
May/Deacon/Taylorもそれに従った感がございます。
CD企畫という時(shí)代になり多くの楽曲が詰め込めるようになった事で創(chuàng)作の余地が非常に広がった事。
そしてFreddie Mercury自らの病狀の深刻さでツアーに出られぬ事を逆手に取り、
Queenというフォーマットの中でライヴ再現(xiàn)を考慮しない作風(fēng)やそれぞれがソロ作等で試し成果を得たアイデアを意欲的に取り上げる
という感がございます。
非常に実りある制作であった感がございます。
正直、「これはQueenと呼んで良いのだろうか?」という楽曲もございますが、
終焉を迎えつつある時(shí)期であっても新たな音楽性を創(chuàng)造したいという意欲が感じられるもの。
Freddie Mercuryの「生への渇望、創(chuàng)作への渇望」が強(qiáng)く感じられるものでございます.............
音造りも八十年代的ではございますが、Freddie Mercuryが非常に好んだオペラ的な非常にスケール感のあるものやダンス?ミュージック的なもの、
HR的なロック音楽の躍動(dòng)感を重視したもの、
當(dāng)時(shí)のかの”Prince”が指向した時(shí)代に逆行した音造り等々と幅広く非常に興味深いもの。
八十年代を象徴する音造りの好例の一つという感がございます。
絶望的な終焉が見えている中でこれ程の色彩感?躍動(dòng)感溢れる意欲作を制作した事から、
「The Miracle」というタイトルを冠した感がございます..........
リリース後は大ヒット。
ツアーは行われない事がアナウンスされたものの、英國(guó)?ヨーロッパ圏のみならず色々と批判的であった米國(guó)でも結(jié)構(gòu)なヒット。
バンドは留飲を下げる事となります...............................
「命の続く限り、音楽を創(chuàng)造したい!」とのFreddie Mercuryの意向もあり、更に深刻な病狀になりつつあったFreddie Mercuryの體調(diào)に配慮し、
更なる新作制作を目指すバンドではございますが、
Freddie Mercuryは「自身の音楽色が強(qiáng)過(guò)ぎた」との反省があった模様。
「七十年代の嘗ての自らの姿を生かした新たな音楽を創(chuàng)造したい」と、バンドは新作に取り組む事となります.......................
さて今作。
前作は不遇の名作「Hot Space」再評(píng)価に繋げたい意向が伺えるものでございますが、
今作では七十年代全盛期Queenの要素を非常に生かしたもの。
舞臺(tái)蕓術(shù)的とも評(píng)された構(gòu)築?様式美的な音楽性が目立ち、それに繋がるHR的な音楽性を取り戻した感のある作風(fēng)でございます。
但し、懐古趣味ではない未來(lái)へ向けたもの。
そもそもハード?ロックバンドとして登場(chǎng)したQueenのロック?バンド的な躍動(dòng)感と舞臺(tái)蕓術(shù)的な格調(diào)高さを強(qiáng)調(diào)し、前作同様に色彩感溢れる音楽性。
そして”The Game”以降の試行錯(cuò)誤とMercury/May/Deacon/Taylorそれぞれのソロ?ワークの成果を生かしたものがミソ。
(作曲クレジットが”Queen”名義もミソ。相當(dāng)な意気込みが伺えるものでもございます................)
そもそも大作主義とハードさ、小回りが利くポピュラー系の音楽性と獨(dú)特の煌びやかな色彩感を持ち合わせるという
獨(dú)特の音楽性という嘗てのQueenを再認(rèn)識(shí)させるものでございます。
死期が近い事を強(qiáng)く意識(shí)したFreddy Mercuryだけでなく、
Brian May/John Deacon/Roger Taylorが本來(lái)続くベきバンドの未來(lái)を意識(shí)した音楽性と言う感がございます。
「八十年代のQueenはちと........」と宣う往年のファンを強(qiáng)く唸らせたタイトル曲の音楽的仕掛け、
またQueenの威風(fēng)堂々とした重厚なコーラスワーク等々、完全復(fù)活を感じさせる音楽性でございます。
「同情から音楽を評(píng)価されたくない!」というFreddy Mercuryの強(qiáng)い意向が感じられるものでもございます.................
リリース後は大好評(píng)に大ヒット。
日本でも當(dāng)時(shí)夜中の音楽チャート番組で”Innuendo”プロモーション映像が流れた途端、
ファンが驚いて飛び起きる程のインパクトがあった模様でございます。
何せ、あの”Innuendo”ですし..................
リリース後にツアーは行われる事なく、その後もFreddy Mercuryの體調(diào)を考慮し更なる制作へと臨む事となりますが、
病狀は更に深刻化する事となります...............
「殘された時(shí)間は僅か」と悟ったFreddy Mercuryは従來(lái)の制作方法では間に合わないと
未完のアイデアでヴォーカル録音を敢行等々と変則的に行動(dòng)する事となります。
體調(diào)の好転時(shí)に制作を進(jìn)めるもののFreddy Mercuryの病狀悪化が限界に達(dá)し制作中斷、1991年6月に離脫。
1991年11月24日人生の幕を下ろす事となります.....................
殘されたMay/Deacon/Taylorは1993年に殘された録音を基に再び新作制作に著手、翌年2月に完成。
「Made in Heaven」としてリリースする事となります......................
「Made in Heaven」は名作の呼び聲高く、大ヒット致します。
非常に質(zhì)の高い作品でFreddy Mercuryの生前の意向を汲んでいるものでございますが、May/Deacon/Taylorの堅(jiān)実さが目立つ作品。
往年のQueenファンからは心中複雑な意見が聴かれたものでございます...................
Freddy MercuryがBrian May/John Deacon/Roger Taylorと共に完成まで全てに攜わりリリースを見屆け、
大好評(píng)と大成功の味を共に噛み締める...........
「Innuendo」がQueen終焉と捉えるべきなのかもしれません................................
現(xiàn)在では入手が困難。この機(jī)會(huì)に是非。
注:発送方法は変更になる場(chǎng)合がございます。宜しく御願(yuàn)い致します。
この機(jī)會(huì)に是非。
注:発送方法は変更になる場(chǎng)合がございます。宜しく御願(yuàn)い致します。