■作家?作品詳細
熊谷 守一(くまがい もりかず) 1880年(明治13年)4月2日~1977年(昭和52年)8月1日 日本の畫家。
日本の美術史においてフォービズムの畫家と位置づけられている。 しかし作風は徐々にシンプルになり、晩年は抽象絵畫に接近した。 富裕層の出身であるが、極度の蕓術家気質(zhì)で貧乏生活を送り、 「二科展」に出品を続け「畫壇の仙人」と呼ばれた。 勲三等(辭退)、文化勲章(辭退)。
略歴 1880年 岐阜県恵那郡付知村に生まれる 1904年 東京美術學校西洋畫科選科卒業(yè) 1909年 第3回文展に「ローソク」出品 狀受ける 1915年 第2回二科展初出品、1942年まで毎年出品 1916年 第3回二科展「習作」 「赤城の雪」出會推挙 1922年 大秀と結(jié)婚 1927年 初の個展 (日動畫廊) 1947年 二紀會結(jié)成に名を連ねる 1951年 黒楽茶碗銘 「獨楽」を制作 1961年 畫集 「熊谷守一」(熊谷守一畫集刊行會編)が刊行される 1966年 近代日本洋畫の150年展に出品(神奈川県立近代美術館) 1967年 文化勲章受章者に內(nèi)定したが、「これ以上人が來るように なっては困る」と辭退する。87才 1970年 回顧形式の「熊谷守一展」 (神奈川県立近代美術館) 1972年 勲三等敘勲の內(nèi)示があるが辭退する。90才 1974年 「熊谷守一展」 (ギャラリー蘆屋) 1974年 「熊谷守一畫集」(日本経済新聞社)が刊行される 1976年 郷里付知町に熊谷守一記念館が設立される 1976年 熊谷守一展 (梅田近代美術館) 1976年「アゲ羽蝶」が絶筆となる。 1977年 8月1日 97歳にて逝去 1985年 守一が四十數(shù)年住んだ池袋の千早に熊谷守一美術館開館
【パブリックコレクション】
東京國立近代美術館/大原美術館/京都國立近代美術館 北海道立函館美術館/茨城県近代美術館/神奈川県立近代美術館 石川県七尾美術館/岐阜県美術館/佐久市立近代美術館 靜岡県立美術館/信州高遠美術館/兵庫県立近代美術館 名古屋市美術館/玉川近代美術館/東京蕓術大學/天童市美術館 熊谷守一美術館/熊谷守一記念館?愛知県美術館、他
★作品タイトル「百日草」
「熊谷様式」ともいわれる獨特な様式-極端なまでに単純化された形、 それらを囲む輪郭線、平面的な畫面の構(gòu)成をもった抽象度の高い 具象畫スタイルを確立した作家の特長が良く表れた見事な作品です。
版元:加藤版畫研究所 制作:1962年作品 熊谷守一版畫集、6葉の內(nèi)の「百日草 (橫)」の作品。
一見無作為とも見えるが、優(yōu)れた感性と造形上の配慮で 熊谷の抽象美を表現(xiàn)した名作をもとに作られた作品です。 四方へ伸びる百日草の姿は生命力に満ち溢れています。
経年劣化の為、修復業(yè)者にて修復済み 販売當時の発色、風合いが見事に復活した逸品、オススメです。 尚、作品裏側(cè)は裏打ちしております。
☆本作品は真作を保証致します。 萬が一、真作でない場合は返品、返金を申し受け致します。 その場合、その根拠となる書面を添付頂きます。 存命作家の場合は作家本人より、 物故作家の場合は遺族、所定鑑定人より発行のものと致します。
■サイズ?コンディション、その他
サイズ
作品 41cm×33cm 額縁 66cm×50cm
コンディション
作品はとても良好な狀態(tài)です。 額縁は新品交換済み。
その他
作品面に作家版上サイン有り マージンに版元印字有り。 かぶせ箱有り。 見出し掲載欄の「商品の狀態(tài)」は、作品の評価としますので、 額縁の狀態(tài)は別途コンディションにて參照下さい。 基本的に額縁は無価値とお考え願います。 尚、額縁や作品の主観による評価の雙方の差異はご容赦願います。
☆☆真作と模寫の表記☆☆
【真作】 真作保証できる作品を真作と表記致します。 作者自身、又は著作権者等で作成した リトグラフ、木版畫などの版畫作品も対象です。 【模寫】 真贋の判斷ができない場合、又は作者不詳の作品は 模寫と表記致します。
上記何れにも該當しない場合、真作と模寫の表記は致しません。 (複製畫、オフセット、ポスターなど)
尚、萬が一、真作でない場合は返品、返金を申し受け致します。 その場合、その根拠となる書面を添付頂きます。 存命作家の場合は作家本人より、 物故作家の場合は遺族、所定鑑定人より発行のものと致します。
☆☆額裝取付け(シートのみの出品分など)、取替え(現(xiàn)狀額縁の交換)☆☆
全ての出品作品に於いてご相談致します。 お気軽にお尋ね下さい。
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