永祿二年(1559)、相木常喜が諏訪社と新海社の神助(神役)に宛てた寄進狀の寫しで、新出史料(『戦國遺文 武田氏編』未収録)。
常喜は相木昌朝(阿江木常喜)のことで、信濃國佐久郡の國衆(zhòng)?阿江木依田氏の一族。佐久郡相木城主。佐久郡の巖村田大井氏の宿老、のち武田氏の家臣。
【翻刻】25.5×17cm
 南相木村
鳥眼壱貫文之処、雖少
地と、きしん仕候、為後日如件、
永祿仁年十二月〈つちのとのひつし〉常喜判 朱印也
諏訪
新海 神助殿
 神事

文書は長野県の北相木村役場の封筒に入っており、一度は史料調査されたことが分かる(所蔵者の渡辺渡一氏は北相木村議會の副議長)。
『戦國遺文 武田氏編』にほぼ同內容の文書が収録されているが、宛所が信濃常源寺宛てであるため、諏訪社と新海社宛てのこの文書は新出史料である。
內容は、常喜が鳥眼(鳥目=銭) 一貫文の土地を諏訪社と新海社に寄進する、というもの。
南相木村の領主?相木常喜が、周辺の寺社に土地を寄進していた様子が読み取れる。