側(cè)面側(cè)面背面背面側(cè)面側(cè)面參考畫像 : 1997年 個(gè)展DM參考畫像 : 1997年 個(gè)展DM
高さ : 最大 12.8cm
胴徑 : 最大 10.5cm

國吉清尚さんの焼締徳利です。最上位作品。李朝徳利のようなフォルム、胴の珊瑚紋、豪快な自然釉、蜻蛉の目。1997年9月に神戸の「陶碗人 (トワニー)」と言うギャラリー (閉廊) で開催された「國吉清尚作陶展」のDM掲載作品そのものです。後疵はありません。底に丸い「ク」のサインがあります。無地の桐箱 (箱書きはありません) が付屬します。真作であることを保証します。

作品の表面で白っぽく見えるところは、蛍光燈の光の映り込みです。3枚目の畫像左上と最後の畫像は、當(dāng)時(shí)の個(gè)展DM (參考) となります。

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かなりの時(shí)間とお金を掛けて國吉清尚さんの作品をコレクションしてきましたが、諸事情のため1円スタートで売り切ります。入札経過を見て出品を取り下げたりしませんので、安心してオークションにご參加下さい。ぜひとも引き継いでいただき、ご愛用をお願(yuàn)いします。出品説明文の最後に、清尚作品が「なんでも鑑定団」に出た時(shí) (2017年8月) のナレーションを載せておきますので、ぜひご一読下さい。

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穴窯?薪焼成での焼締陶器には、窯疵 (ヒッツキ?切れ?石ハゼ?膨れ?剝がし痕など) や歪みなどがいくらか見られますが、それらは無疵として扱われることがほとんどです。國吉清尚さんの場(chǎng)合、他の多くの作家さんよりも高溫で長(zhǎng)時(shí)間激しく焼成するため、更にそれらが顕著に見られる傾向があります。いずれにしても不良?不具合ではなく作風(fēng)や魅力として捉えられていますので、これまで一度も作品を手にしたことのない方は、その點(diǎn)を充分にご理解の上でご入札をお願(yuàn)いします?,F(xiàn)物を見れないネットオークションゆえ、こちらもなるべく整った作品を選んで出品し、また、ひどい漏れや底のガタ付きなど実使用に耐えられないようなものは説明文に明記します。

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?記載の寸法はこちらの手元で測(cè)定したものです。多少の誤差はお許し下さい。
?作品はスマホのカメラで撮影しています。濃淡の差が少し強(qiáng)く出る傾向にあり、近接寫真は少し歪んで見える場(chǎng)合があります。
?出品作品はすべて真作と判斷していますので、真贋に関するご質(zhì)問はお控え下さい。萬一間違いがありましたら、落札代金と送料はお返しします。
?経年品のため、畫像で見えないようなスレや小キズはお許し下さい。
?作家さんの手を離れた後にできたであろう疵や修理は記載しますが、それ以外の窯疵などは畫像にてご確認(rèn)下さい。
?作品の狀態(tài)に関すること以外のご質(zhì)問には、回答を控えさせていただく場(chǎng)合があります。(即決依頼?直接取引依頼?入手先?入手時(shí)期など)
?落札後の取引トラブルを避けるため、また入札価格吊上げなどの疑念を持たれぬよう、評(píng)価が著しく悪いとこちらが判斷した方?オークション代行業(yè)者と推察される方?新規(guī)IDの方?評(píng)価の少ない方などによる入札?落札は取り消しさせていただく場(chǎng)合があります。こちらも責(zé)任と誠意をもって大切な作品を引き継ぎたいので、申し訳ありませんがご理解下さい。
?出品期間中の破損や終了日の長(zhǎng)時(shí)間に渡るアクセス障害などにより、やむなく出品を取り消しする場(chǎng)合があります。
?オークション終了後24時(shí)間以內(nèi)に落札者さまから何らかのアクション (「購入のお手続き」、お手続きに時(shí)間を要する場(chǎng)合は「取引メッセージ」) をお願(yuàn)いします。(いたずら落札でないことの確認(rèn)のため)
?購入のお手続きは「かんたん決済」の期日內(nèi)にお願(yuàn)いします。
?複數(shù)落札での「まとめて取引」(同梱?一括支払い) には対応できますが、ヤフオク側(cè)で決められた手順がありますので事前に「ヘルプ」でご確認(rèn)下さい。
?匿名取引を利用していますので、領(lǐng)収証の発行はできません。
?商品到著後、問題がないようでしたら、速やかに「受け取り連絡(luò)」をお願(yuàn)いします。(受け取り連絡(luò)をしていただかないと入金されないシステムのため)

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<2017年8月8日放送 開運(yùn)!なんでも鑑定団 國吉清尚紹介のナレーション>

パックリと口を開けすべてを飲み込んでしまうかのような華器、海上がりの如く肌がザラついた小壺、茶筅の穂先がバラバラになってしまいそうな茶碗、いずれも無骨で何の飾り気もないが、力に溢れ、見る者を惹きつけてやまない。

作者は國吉清尚 (くによしせいしょう)、生涯沖縄の土と格闘し続けた陶蕓家である。

1943年 (9月28日)、沖縄県那覇市 (生家は首里城南殿!) の生まれ。高校生の頃から陶蕓に興味を抱き、二十歳の時(shí)、壺屋焼の名工?小橋川永昌 (仁王窯) に弟子入り。すると一気に才能が開花し、二年後の沖展に出品した陶枕は奨勵(lì)賞を受賞した。同年上京し、日本大學(xué) (空手の推薦) に進(jìn)學(xué)したが學(xué)校にはまったく通わず、栃木県益子町で修行。二年後故郷に帰る際は、濱田莊司がその才能を惜しみ引き留めたほどであった。沖縄では読谷村に窯を構(gòu)え、試行錯(cuò)誤の日々を続けた。

國吉の名を最初に世に知らしめたのは、井伏鱒二の小説「珍品堂主人」のモデルにもなった古美術(shù)研究家?秦秀雄である。秦は、鹿児島の料理店 (さつま路) で偶然目にした國吉の何のてらいもない丸紋土瓶に惚れ込み、1975年発行の雑誌「銀花」でこれを激賞。その結(jié)果、國吉は沖縄陶蕓界の新鋭として大きな腳光を浴びたのであった。

しかし、もとより國吉には売れることを目指す気は毛頭なかったため、すぐさま土瓶づくりはやめてしまい、その後は自らの思いを沖縄の土に練り込み炎に託して放出するかの如く、様々なオブジェに力を注ぐようになった。當(dāng)然、その作陶は既成概念にとらわれず奔放で、例えば陶蕓では通常數(shù)種類の土を混ぜて陶土とするが、國吉は土味を殺すからとこれをやめ、この土味を最大限に活かす焼締だけでなく、ガジュマルや琉球松の灰などでつくった釉薬を用いたり、海水の微量成分の釉薬効果を狙い珊瑚を作品の傍や中に置いたりもした。

一方、最も嫌ったのは狎れ (なれ) や媚 (こび) で、國吉の作陶は常に素手で白刃に立ち向かうかの如き緊張感に満ちている。そのため、一見無手勝流のようだが隙や遊びはなく、そのすべてに動(dòng)と靜、緩と急が呼吸の如く息づいている。

しかし、その感受性はガラスの如く繊細(xì)だったのであろう。私生活は壯絶で、良き家庭人でありたいとの思いと、なまぬるい幸福を唾棄したいとの思いが交錯(cuò)し、三度の結(jié)婚?離婚を繰り返す內(nèi)、酒と睡眠薬に溺れ、1999年4月11日、丸く囲ったレンガの中に身を置き、燈油をかけて火を放った。覚悟の自殺か、はたまた自らの身體を陶器と見立てたのか。もちろんすぐさま病院に運(yùn)ばれ、延命のため両腳が切斷されたが、一ヶ月後 (5月10日) 帰らぬ人となった。享年56。(享年57?満55歳の誤り)

<中島誠之助さんの総評(píng)抜粋>

見る者を吸いつけてやまない魔力がありますね。躍動(dòng)する血潮を感じる。沖縄の海と土と、薪となった木、そして火、沖縄一色が産んだものですね。