中江丑吉は明治に生まれ、東京で修學を終えたのち、大正の初め中國北京において社會人のスタートを切り、そのまま全生涯をその地に終止した稀らしい生活者であった。無師無統(tǒng)の一學究として、一九四二年八月、太平洋戦爭のさなかに、五三年の生涯を終えた。
時事を談じ、現(xiàn)代を憂慮した彼はとくに、満州事変を契機として、烈しい態(tài)度でにほん帝國主義の戦爭方向を批判し、ファシスト軍國主義者の行きつく運命を、容赦のない先見性をもって予言し、聞く者を戦慄させた。

彼の現(xiàn)代史への批判、鋭い歴史観、北京の生活と感情、人間的愛憎を示した素直なもの、父兆民を語る素直な愛情、また四季の推移のまにまにうつろう北京の風物描寫の中での繊細な感性の動きなど、この私信のうちに描寫されている。これは、中江丑吉の人と思想を探る上での極めて貴重な資源であり、不幸な日中関係を縫いむすんでいる細いけれどつよい一本の糸である。

ハードカバーにシミ汚れ有りますが、本自體は美本です。

(2024年 5月 22日 22時 44分 追加)
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