以下、所謂ブラクラ妄想ショートショートです??

白金の鎮(zhèn)魂歌(レクイエム)-ある陶工の述懐-
序章:暁闇の工房、白金の閃光
つんと鼻をつく冬の朝の冷気が、書斎の障子を細(xì)目に開けた隙間から、そろりそろりと侵入してくる。わしは、いつものように鶏鳴を待たずして床を離れ、工房に併設(shè)されたこの書斎で、熱い白湯をすすりながら、窯出しを終えたばかりの新作の出來を點検しておった。まだ墨の香も新しい畫賛を認(rèn)(したた)めたばかりの志野のぐい呑みは、緋色の抜けも上々で、高臺の削りも狙い通り、まずまずの及第點といったところか。指先で撫でれば、しっとりとした土の溫もりが伝わってくる。これぞ、わしが長年追い求めてきた「用の美」のひとつの到達(dá)點かもしれぬ。
ふと、卓上に置いたままになっていた桐の小箱に目が留まった。ここ數(shù)年、いや、十?dāng)?shù)年、開けることもなかった代物だ。埃こそ被ってはいないものの、その存在すら意識の片隅に追いやられていたと言っても過言ではあるまい。何とはなしに手を伸ばし、蓋を開けてみる。
そこには、鈍いながらも確かな存在感を放つ一條の金屬が、黒いビロードの上に鎮(zhèn)座ましましていた。プラチナ、白金とも呼ばれる貴金屬で誂えられた、喜平の首飾りである。型番はE8583と記憶しておる。手に取れば、ずしりとした重みが掌に心地よい。106.2グラム。わしの陶蕓作品で言えば、大ぶりの抹茶碗一つ分ほどの重さか。長さは60センチ、幅は6.8ミリと記された當(dāng)時の保証書も、箱の隅に色褪せて殘っておる。六面ダブル喜平、と稱する編み方は、光を受けて複雑な煌めきを放ち、派手ではあるものの、決して下品ではない。むしろ、その精緻な作り込みには、職人の確かな手仕事が感じられ、わしのような樸訥な陶工の目から見ても、ある種の「用の美」が宿っているように思える。
この首飾りは、Pt850、つまり純度が85パーセントのプラチナ無垢で作られておる。殘りの15パーセントは、強度や加工性を高めるための割り金であろう。わしがまだ四十代の頃であったか。がむしゃらに働き、陶蕓の世界で何とか名を成そうと、寢食を忘れて土と炎に向き合っていた時代。ある大きな仕事が成功裏に終わり、望外の報酬を手にした折、記念にと買い求めたものであった。若気の至り、と言ってしまえばそれまでだが、當(dāng)時のわしにとっては、成功の証であり、一種の鎧のようなものであったのかもしれぬ。
工房の窓から差し込む暁闇の光が、首飾りの表面を滑り、冷たい閃光を放った。その光は、まるで過去からの使者のように、わしの記憶の古層を揺り起こし始める。成功、そしてその裏側(cè)に潛む得體の知れぬ虛無感、孤獨、焦燥。そう、あれは確かに「うつ」と呼ぶべき狀態(tài)であったのだろう。そして、その苦悩の果てに、わしが求め続けた「調(diào)和」とは何だったのか。この白金の首飾りは、その全てを黙して見つめてきた証人なのかもしれぬ。わしは白湯をもう一口含み、遠(yuǎn)い日の記憶の扉を、靜かに押し開いた。
第一章:野心の坩堝、白金の輝きを求めて
あれは確か、昭和も終わりに近づき、世の中全體がどこか浮足立っていた時代であった。バブル経済などという言葉が巷を賑わせ始め、人々は目に見える豊かさ、分かりやすい成功を追い求めていたように思う。わしは三十代後半から四十代にかけて、無名の陶工から少しずつではあるが、その名を知られるようになっていた。伝統(tǒng)的な古唐津や織部、志野といった古陶の技法を踏まえつつも、現(xiàn)代的な感覚を取り入れたわしの作品は、一部の目利きや好事家の間で評価され始め、個展を開けばそれなりの盛況を見るようになっていたのだ。
しかし、わしの內(nèi)には常に満たされぬ渇望があった。もっと高みへ、もっと評価されたい。わしの作る器が、ただの日常雑器ではなく、美術(shù)品として、後世に殘るものとして認(rèn)められたい。その野心は、まるで陶蕓窯の炎のように、わしの內(nèi)側(cè)で常に燃え盛っていた。寢ても覚めても、土のこと、釉薬のこと、窯焚きのことばかりを考えていた。家族との時間も、友人との交遊も、全てが二の次、三の次であった。妻には隨分と寂しい思いをさせたことだろう。子供たちの成長も、ろくに見守ってやれなかった。それでも、わしは止まれなかった。何かに駆り立てられるように、轆轤(ろくろ)を回し、窯に火を入れ続けた。
そんな折、ある新興企業(yè)の社長から、彼の新築する豪邸の応接間に飾るための大壺と、來客をもてなすための酒器一揃いを制作してほしいという依頼が舞い込んだ。その社長は、一代で財を成した人物で、美術(shù)品にも造詣が深いと評判であった。それは、わしにとって破格の仕事であり、成功すれば、わしの名は一躍、陶蕓界に轟くことになるであろう大仕事であった。わしは寢食を忘れてこの仕事に打ち込んだ。最高の土を求め、美濃や信楽、備前の山々を巡り、古窯跡の土くれを掘り起こしては、その感觸を確かめた。釉薬の調(diào)合も、文獻を漁り、古老の陶工を訪ね、幾度となく試行錯誤を繰り返した。大壺の造形には、縄文土器の持つ原始的な力強さと、桃山陶の豪放磊落さを融合させようと試みた。酒器は、使う人の手にしっくりと馴染み、注がれる酒の味を最大限に引き出すような形と土味を追求した。轆轤を回す指先には、常に新たなイメージが宿り、まるで何かに憑かれたように作品を生み出し続けた。
そして一年後、大壺と酒器揃いは完成した。特に大壺は、高さ一メートルを超える大作で、わしの持つ技術(shù)と感性の全てを注ぎ込んだ會心作となった。依頼主の社長は、わしの工房を訪れ、完成した作品群を見て感嘆の聲を上げた?!杆厍绀椁筏ぃ·长欷舅饯螭幛皮い郡猡韦?!」と手を叩き、その場で、約束された報酬の倍額を提示してきた。わしは驚き、そして深い満足感に包まれた。その作品群は、彼のコレクションの中でも特に重要な位置を占めることとなり、美術(shù)雑誌にも取り上げられ、その後のわしの評価を決定づけるものとなったのである。
その報酬の一部を握りしめ、わしは東京の銀座へと足を運んだ。それまで寶飾品などには全く興味のなかったわしが、なぜ白金の首飾りを求めようと思ったのか、今となっては判然とせぬ。ただ、何か形に殘る「成功の証」が欲しかったのかもしれない。そして、それは陶器のような土くれではなく、もっと硬質(zhì)で、永遠(yuǎn)性を感じさせるものであってほしかった。陶蕓作品は、どれほど心を込めて作っても、割れればそこで終わりだ。だが、金屬、それも貴金屬ならば、その価値は不変に近い。
當(dāng)時、世間では金(ゴールド)の投資が盛んであったが、わしは何故かプラチナに惹かれた。プラチナは、金よりも産出量が少なく、希少性が高い。そして、その落ち著いた白い輝きは、金のような華やかさとは異なる、奧ゆかしい品格を感じさせた。**何より、當(dāng)時のプラチナは、同じ重さの金に比べて、倍近い価格で取引されていたのだ。**それこそが、わしにとって「より価値あるもの」の象徴であり、摑み取った成功の重みを最も的確に表しているように思えた。それは、ある種のステータスであり、陶蕓という地道な世界で生きるわしが、世間的な成功の尺度を手に入れた証でもあった。
銀座の老舗寶飾店の重厚な扉を押し、緊張しながら店內(nèi)に入った。ショーケースの中には、眩いばかりの寶石や貴金屬が並んでいる。場違いな気がして、少し気後れしたが、背広を著た店員は丁寧に応対してくれた。わしは、「プラチナの、あまりごてごてしていない、それでいて存在感のある首飾りが欲しい」と伝えた。
店員に勧められるまま、いくつかの品を見せてもらったが、わしの目に留まったのは、この六面ダブル喜平の首飾りであった。派手過ぎず、地味過ぎず、その存在感と、プラチナ特有の深みのある白い輝きに惹かれたのだ。六面にカットされたコマが連なるデザインは、まるで精密な機械部品のようでもあり、それでいて有機的な生命感も感じさせた。手に取ると、ずしりとした重みが心地よかった。100グラムを超えるプラチナの塊。この重みが、わしのこれまでの努力と、摑み取った成功を象徴しているように感じられた。
「これにする」
わしは、ほとんど即決でこの首飾りを選んだ。値札に書かれた金額は、當(dāng)時のわしにとっては清水の舞臺から飛び降りるようなものであったが、不思議と後悔はなかった。むしろ、これを身に著けることで、さらなる高みへと登れるような、そんな萬能感すら覚えていた。この輝きは、わしの未來を照らす道標(biāo)となるはずだ、と。
帰宅し、鏡の前で首飾りを著けてみた。普段は作務(wù)衣か、せいぜい木綿の著流しといったいでたちのわしには、些か不釣り合いな印象もあったが、その冷たい感觸と確かな重みが、わしの首筋に新たな決意を刻み込むようであった。汗ばんだ首に觸れるプラチナのひんやりとした感觸は、燃え盛る野心にわずかな冷靜さを與えてくれるようでもあった。
これが、わしとこの白金の首飾りとの出會いであった。若き日の野心と、達(dá)成感と、そして未來への漠然とした希望。それらが渾然一體となって、この首飾りの輝きの中に凝縮されていたように思う。當(dāng)時のわしは、この白金の輝きが、やがてわしの心に影を落とすことになるとは、夢にも思っていなかったのである。
第二章:成功の頂と影 白金の重圧
白金の首飾りを手に入れてからというもの、わしの陶蕓家としての名は、鰻登りに上がっていった。大壺と酒器揃いの成功は、わしに新たな顧客と、より大きな仕事をもたらした。個展を開けば、初日に作品のほとんどが売約済みとなり、美術(shù)雑誌や新聞の文化欄にも、わしの名前が頻繁に登場するようになった。時にはテレビの美術(shù)番組から出演依頼が來ることもあった。
わしは、その成功の波に乗り、さらに精力的に活動した。より高度な技術(shù)を求め、より獨創(chuàng)的な表現(xiàn)を模索した。古陶への研究も深め、中國や朝鮮の古窯跡へも足を運んだ。手に入れたプラチナの首飾りは、重要な商談やパーティーの席では必ず身に著けた。それは、もはや単なる裝飾品ではなく、わしの成功と自信を象徴するアイテムとなっていた。首に感じるその重みは、わしに「お前は選ばれた人間なのだ」と囁きかけているようでもあった。
美食にも凝るようになった。成功者たるもの、食にも一家言なければならぬ、というような、どこか歪んだ自意識があったのかもしれぬ。銀座や赤坂の高級料亭に頻繁に出入りし、旬の食材を使った懐石料理に舌鼓を打った。器はもちろん、魯山人の寫しや、時には本歌の古美術(shù)品が使われることもあり、わしは料理そのものだけでなく、それらが盛り付けられる器の美しさ、空間の設(shè)え、女將や板前の洗練された立ち居振る舞いなど、全てを味わい盡くそうとした。
「今日の八寸は、見事な織部の向付に盛られてきましたな。この緑釉の発色、そして鉄絵の伸びやかな筆致、まことに素晴らしい。料理は申すまでもなく、伊勢海老の具足煮、鮑の柔煮、そしてこの時期ならではの松茸の土瓶蒸し。どれも素材の持ち味を最大限に引き出しており、料理人の確かな腕を感じさせます。特にこの松茸、丹波産ですかな?香りが実に豊かだ」などと、もっともらしいことを語り、周囲の賞賛を得ることに喜びを感じていた。
しかし、そのような華やかな生活の裏側(cè)で、わしの心には少しずつ影が差し始めていた。成功すればするほど、周囲の期待は高まり、次もまた素晴らしい作品を生み出さねばならぬというプレッシャーが、重くのしかかってきた。かつては、土と向き合い、轆轤を回すこと自體が喜びであったのに、いつしかそれは「義務(wù)」となり、「苦役」と感じられるようになっていた。
スランプ、というほど明確なものではないのかもしれない。しかし、作品を生み出す喜びが薄れ、代わりに焦燥感ばかりが募るようになっていた。新しいアイデアが湧いてこない。轆轤を回しても、納得のいく形が生まれない。釉薬の調(diào)合も、かつてのような閃きがない。窯焚きも、炎の加減が摑めず、思うような焼き上がりにならないことが増えた。
そんな時、ふと胸元に輝く白金の首飾りに目をやると、その冷たい輝きが、まるでわしの無能さを嘲笑っているかのように感じられることもあった。成功の証であったはずのものが、いつしか重荷となり、わしを責(zé)め立てる鎖のように思えてくるのだ。その重みは、物理的な106.2グラムを遙かに超える、精神的な重圧となってわしの首に食い込んでいた。
夜、一人で高級な酒を呷りながら、工房で途方に暮れることも少なくなかった。酒は、一時的に不安を忘れさせてくれるが、酔いが醒めれば、さらに深い絶望感が襲ってくる。妻や子供たちとの関係も、どこかぎくしゃくしていた。わしは自分の苦しみを誰にも打ち明けられず、孤獨感を深めていった。周囲からは成功者と見られているわしが、內(nèi)面ではこれほどまでに脆く、弱い人間であるということを、誰にも知られたくなかったのだ。
これが、いわゆる「成功者のうつ」というものだったのだろうか。目標(biāo)を達(dá)成してしまった後の虛無感。常に他人からの評価に曬されることへの疲弊。創(chuàng)造性の枯渇への恐怖。それらが複雑に絡(luò)み合い、わしの心を蝕んでいった。美食を追い求めたのも、結(jié)局は內(nèi)面の空虛さを埋めるための代償行為に過ぎなかったのかもしれぬ。高級な料理を味わい、高価な酒を飲むことで、一時的に自分は価値のある人間なのだと錯覚しようとしていたのだろう。
ある寒い冬の夜、わしは京都の有名な料亭で、雪見蟹のフルコースを堪能していた。窓の外には、粉雪が舞い、庭の燈篭がぼんやりと浮かび上がっている。目の前には、見事なまでに茹で上げられた松葉蟹が、大皿に鎮(zhèn)座している。その甲羅の鮮やかな朱色、身の純白さ、そして濃厚な蟹味噌。どれも非の打ちどころがない。しかし、わしの心は少しも満たされなかった。ただ、機械的に蟹の身をほじり、口に運ぶだけ。味はする。美味いと感じる。しかし、そこに喜びはない。
ふと、首に提げたプラチナのネックレスが、冷たく胸に觸れた。その瞬間、言いようのない孤獨感と絶望感が、わしを襲った。こんな贅沢をして、一體何になるというのだ。わしが本當(dāng)に求めているものは、こんなものではないはずだ。しかし、では何を求めているのか、それすらも分からなくなっていた。
その夜、わしはほとんど眠ることができなかった。布団の中で、ただただ虛しさと不安に苛まれ続けた。白金の首飾りは、枕元に置かれたまま、冷たく鈍い光を放っていた。かつては希望の光であったその輝きが、今はまるで地獄の燈火のように思えた。わしは、成功という名の頂で、道を見失った遭難者のようであった。
第三章:土と炎の対話 再生の兆し
成功の頂から転がり落ちるように、わしの心は深い闇へと沈んでいった。創(chuàng)作意欲は完全に枯渇し、轆轤の前に座っても、ただ茫然と土を見つめるだけの日々が続いた。個展の依頼も、新しい作品がないことを理由に斷らざるを得なくなり、周囲からは「あの天才も、ついに枯れたか」などという陰口も聞こえてくるようになった。美食への興味も失せ、ただ惰性で食事を摂るだけ。體重は減り、顔には深い隈が刻まれ、鏡に映る自分の姿は、まるで生気のない抜け殻のようであった。
妻は心配し、何度も醫(yī)者に行くように勧めたが、わしは頑なにそれを拒んだ。自分の弱さを認(rèn)めたくなかったのだ。しかし、心身の不調(diào)は隠しようもなく、ついには工房に籠りきりになり、誰とも顔を合わせようとしなくなった。白金の首飾りは、いつしか桐の小箱に仕舞い込まれ、その存在すら忘れ去られようとしていた。あれを見るだけで、かつての栄光と現(xiàn)在の無様な自分との落差に、耐えられなくなるからだった。
そんなある春の日、わしは無性に故郷の山を歩きたくなった。幼い頃、泥まみれになって遊んだ、あの懐かしい山だ。誰にも告げず、ふらりと家を出て、列車に飛び乗った。數(shù)時間後、わしは故郷の駅に降り立っていた。そこは、都會の喧騒とは無縁の、靜かで穏やかな空気が流れる場所だった。
実家はもう誰も住んでいないが、遠(yuǎn)縁の者が時折手入れをしてくれている。わしは、その空き家で數(shù)日を過ごすことにした。電気もガスも止まっているような家だったが、不思議と心は落ち著いた。井戸水を汲み、薪を割り、竈(かまど)で飯を炊く。そんな原始的な生活が、かえって新鮮に感じられた。
日中は、近くの山をただひたすら歩き回った。新緑が目に眩しく、鳥のさえずりが心地よい。足元には、名も知らぬ草花が可憐な花を咲かせている。沢の水を掬って飲み、木陰で汗を拭う。そんなことを繰り返しているうちに、少しずつではあるが、心が解きほぐれていくのを感じた。
ある日、山の奧深くで、小さな窯跡を見つけた。いつの時代のものかは判然としないが、おそらくは何百年も前に、名もなき陶工が、ここで土と炎に向き合っていたのだろう。崩れかけた窯の橫には、無數(shù)の陶片が散らばっていた。わしは、その一つ一つを丁寧に拾い上げ、掌に乗せて眺めた。歪んだ形、不均一な釉薬、荒々しい土味。決して上手いとは言えないが、そこには、何か素樸で、力強い生命力が感じられた。それは、わしが都會の喧騒の中で見失ってしまった、ものづくりの原點のようなものだった。
その夜、わしは夢を見た。夢の中で、わしは一心不亂に轆轤を回していた。しかし、作っているのは、華美な大壺でも、技巧を凝らした茶碗でもない。ただ、素樸な、日常使いの飯碗や湯呑みであった。それでも、わしの心は不思議な充足感に満たされていた。
目が覚めた時、わしは涙を流していた。それは、悲しみの涙ではなく、何か溫かいものが胸の奧から込み上げてくるような、そんな涙だった。わしは、もう一度、土と向き合いたい、と思った。名聲のためでも、金のためでもなく、ただ、作りたいから作る、という純粋な気持ちで。
故郷の山で數(shù)週間を過ごし、わしは少しずつ気力を取り戻していった。都會の工房に戻ると、まず取り掛かったのは、工房の大掃除だった。埃を払い、道具を整理し、土を捏ね直す。そして、久しぶりに轆轤の前に座った。
最初は、思うように手が動かなかった。しかし、焦らず、ゆっくりと、土の感觸を確かめるように轆轤を回した。何も考えず、ただ無心に。すると、不思議なことに、少しずつ形が生まれてくるようになった。それは、かつてのような華やかさや技巧はないかもしれないが、どこか溫かく、優(yōu)しい形だった。
食事も変わった。高級料亭の凝った料理ではなく、妻が作ってくれる素樸な家庭料理が、何よりも美味しく感じられるようになった。一汁一菜、玄米に味噌汁、そして季節(jié)の野菜を使った煮物や和え物。それらを、自分で作った歪な飯碗や小鉢に盛り付けて食べる。その一つ一つに、命の溫もりと、土の恵みを感じることができた。かつて美食を追い求めていたのは、外からの評価や刺激によってしか自分の価値を見出せなかったからだろう。今は、內(nèi)なる靜けさの中に、ささやかながら確かな喜びを見つけることができるようになっていた。
ある日、妻が庭で摘んできた野草を、わしが作ったばかりの小さな花入れに活けてくれた。それは、名もない雑草だったが、素樸な花入れと実によく調(diào)和し、部屋の空気を清々しいものに変えてくれた。その時、わしはハッとした。これだ、と。わしが求めていたものは、これだったのかもしれない。華やかさや技巧ではなく、日常の中に溶け込み、人々の心に安らぎを與えるような、そんな「調(diào)和」の美しさ。
それからというもの、わしは「調(diào)和」をテーマに作陶に勵むようになった。自然との調(diào)和、使う人との調(diào)和、そして何よりも、自分自身の心との調(diào)和。作品は、以前のような派手さはないかもしれないが、靜かで、奧深い味わいを湛えるようになっていった。そして、不思議なことに、そんなわしの作品を評価してくれる人々が、再び現(xiàn)れ始めたのである。それは、かつてのような熱狂的なものではなく、靜かで、確かな共感に基づいたものだった。
第四章:調(diào)和の探求 白金との和解
「調(diào)和」という新たな指針を得て、わしの作陶は靜かながらも確かな深みを増していった。かつてのように、人目を驚かすような奇抜な造形や、華美な裝飾を求めることはなくなった。代わりに、土そのものの持ち味を生かし、使う人の手に馴染み、日々の暮らしにそっと寄り添うような器を目指すようになった。それは、まるで禪の庭のように、余計なものを削ぎ落とし、本質(zhì)的な美しさだけを追求するような作業(yè)であった。
作品の評価も、以前とは少し変わってきた。かつては、その斬新さや技巧の高さが注目されたが、今は、作品の持つ溫かみや、使うことで感じる安らぎといった部分に共感が寄せられるようになった。個展を開けば、以前のような熱狂的な賑わいはないかもしれないが、じっくりと作品と向き合い、わしの意図を汲み取ってくれる客層が増えたように思う。彼らは、わしの器を、単なる美術(shù)品としてではなく、日々の生活を豊かにする伴侶として選んでくれているようだった。
そんなある日、工房の片付け物をしていると、ふと、あの桐の小箱が目に入った。白金の首飾りが入っている箱だ。もう何年も開けていない。恐る恐る蓋を開けると、黒いビロードの上に、あの六面ダブル喜平のネックレスが、靜かに橫たわっていた。手に取ると、相変わらずのずっしりとした重み。しかし、以前感じたような、息苦しい重圧感はなかった。
わしは、久しぶりにその首飾りを首に掛けてみた。鏡に映る自分の姿は、以前よりも幾分穏やかになったように見える。白髪も増え、顔には深い皺が刻まれているが、その目には、かつての野心に満ちたギラギラとした光ではなく、靜かな自信と、ある種の諦観にも似た落ち著きが宿っているように思えた。
首に觸れるプラチナの冷たさと重みが、不思議と心地よかった。かつては成功の象徴であり、やがては重荷ともなったこの首飾りが、今はまるで長年連れ添った舊友のように感じられる。共に成功の頂を駆け上がり、共に苦悩の底を這いずり回り、そして今、靜かな境地で再び向き合っている。
ルーペを取り出し、改めてその精緻な作りを観察してみる。六面にカットされた一つ一つのコマが、複雑に光を反射し、深みのある輝きを放っている。この六面體というのは、実に興味深い。上も下も、右も左も、そして斜めから見ても、それぞれ異なる表情を見せながら、全體として一つの調(diào)和を保っている。まるで、人生そのもののようだ、とわしは思った。成功も失敗も、喜びも悲しみも、光も影も、全てが複雑に絡(luò)み合いながら、一つの人生を織りなしていく。そのどれか一つが欠けても、今の自分はなかっただろう。
プラチナという金屬の不変性、純粋さも、今のわしの心境にどこか通じるものがあるように感じられた。酸にもアルカリにも侵されず、永遠(yuǎn)にその輝きを失わない。それは、様々な経験を経て、苦難を乗り越え、ようやく見出した自分自身の核のようなものと重なる。かつて、ゴールドの倍近い価値があったこのプラチナは、その希少性ゆえに成功の象徴として求められた。しかし、今のわしにとっての価値は、その価格ではなく、この金屬が持つ普遍的な美しさと、わしの人生に刻まれた記憶そのものにある。
この首飾りを身に著けて、近所の蕎麥屋へ晝飯を食べに出かけた。手打ちの十割蕎麥と、季節(jié)の野菜の天ぷら。決して高級な店ではないが、主人の手仕事が感じられる、心のこもった料理だ。わしが作った徳利と豬口で、地元の純米酒を一杯やる。じんわりと身體に染み渡るような、優(yōu)しい味わいだ。
「旦那、その首飾り、素敵ですな。プラチナですか?ずいぶんと立派なもんで」と、蕎麥屋の主人が聲をかけてきた。
「ああ、若い頃に、ちょっとした記念に手に入れたもんでな。もうずいぶんと古いもんだが、こうして時々著けてみると、また違った感慨があるもんだよ」
わしは、気負(fù)うことなく、自然にそう答えていた。かつてなら、この首飾りの価値や、それを手に入れた経緯などを、得意げに語っていたかもしれない。しかし、今はそんな気持ちは微塵もなかった。
成功とは何だったのだろうか。名聲を得ることか、富を築くことか。確かに、それらも一つの形ではあるだろう。しかし、それだけが全てではない。むしろ、それらを手に入れた後に訪れる虛無感や孤獨こそが、本當(dāng)の自分と向き合うきっかけを與えてくれるのかもしれない。そして、その苦悩の果てに、自分自身の內(nèi)なる聲に耳を澄まし、本當(dāng)に大切なものを見つけ出すこと。それが、真の成功と言えるのではないだろうか。
わしにとって、それは「調(diào)和」であった。自然との調(diào)和、他者との調(diào)和、そして何よりも、自分自身の心との調(diào)和。その調(diào)和を見出した時、かつてあれほどまでに執(zhí)著した成功や名聲は、もはやそれほど重要なものではなくなっていた。
白金の首飾りは、今やわしにとって、過去の栄光や苦悩を內(nèi)包しつつも、現(xiàn)在の穏やかな心境を靜かに照らし出す、そんな存在となっていた。その輝きは、もはや野心の炎ではなく、靜かで深い、內(nèi)省の燈火のようであった。
第五章:白金の鎮(zhèn)魂歌、そして未來へ
暁闇の工房。窓から差し込む最初の光が、手の中の白金の首飾りを照らし出す。E8583、Pt850無垢、六面ダブル喜平、長さ60センチ、重量106.2グラム、幅6.8ミリ。その無機質(zhì)なスペックの羅列の背後に、わしの人生の様々な局面が、走馬燈のように蘇っては消えていく。
若き日の野心と情熱。成功の頂で味わった栄光と、その裏側(cè)に潛んでいた深い孤獨。美食に溺れ、心を彷徨わせた日々。そして、絶望の淵から這い上がり、土と炎との対話を通じて見出した、靜かな調(diào)和の世界。この首飾りは、その全ての証人であった。
わしは、ゆっくりと息を吐き出し、首飾りを桐の箱に戻した。もう、わしがこれを身に著けることはないだろう。今のわしには、このような華美な裝飾品は必要ない。わしの心は、素樸な土の器のように、靜かで満たされた狀態(tài)にあるからだ。
しかし、この首飾りが持つ物語は、ここで終わりではない。むしろ、ここから新たな物語が始まるのかもしれない。わしは、この首飾りを、本當(dāng)に必要としている誰かの手に渡したいと思うようになった。それは、単なる貴金屬の売買ではない。わしがこの首飾りに託してきた想い、経験、そして見出した調(diào)和の心を、次の持ち主に繋いでいきたいのだ。
成功とは、時に人を傲慢にし、時に人を孤獨にする。わしもまた、その罠に陥った一人であった。しかし、その苦しみがあったからこそ、見えてきた景色もある。それは、華やかな頂からの眺めではなく、むしろ谷底から見上げる星空のような、靜かで深い美しさだった。成功者のうつとは、ある意味で、魂の成長痛のようなものなのかもしれない。それまでの価値観が揺らぎ、新たな自分へと生まれ変わるための、避けられない試練。
この首飾りが、次に手にする人の人生において、どのような役割を果たすのだろうか。もしかしたら、その人もまた、大きな成功を目指し、野心を燃やしているのかもしれない。あるいは、何らかの困難に直面し、自信を失いかけているのかもしれない。この白金の輝きが、その人の道を照らし、時には支えとなり、そしていつか、その人自身の內(nèi)なる調(diào)和を見出すための一助となることを、わしは心から願っている。
それは、わしが作る器と同じだ。わしの手から離れた器は、使う人の元で新たな命を吹き込まれ、その人の暮らしの一部となっていく。時には食事を盛り、時には花を活け、時にはただ靜かにそこに佇み、空間に潤いを與える。この首飾りもまた、新たな持ち主の人生という「器」の中で、その輝きを増していくことだろう。
ヤフオクという、現(xiàn)代の蚤の市のような場所に出品するのも、また一興かもしれぬ。顔も知らぬ誰かと、この首飾りを通じて縁が結(jié)ばれる。それは、わしの陶蕓が、見知らぬ誰かの日常にささやかな彩りを與えるのと、どこか似ている。
もし、あなたが今、何かしらの成功を手にし、その輝きに酔いしれているのなら、この首飾りは、その栄光をさらに引き立てるだろう。しかし、もしあなたが、その成功の裏側(cè)にある虛しさや孤獨に気づき始めているのなら、この首飾りは、かつてのわしがそうであったように、靜かにあなたに寄り添い、內(nèi)なる聲に耳を澄ます手助けをしてくれるかもしれない。
そして、いつかあなたが真の調(diào)和を見出した時、この白金の輝きは、また新たな意味を持つはずだ。それは、克服の証であり、成長の記憶であり、そして未來への希望の光となるだろう。
わしは、この首飾りに「白金の鎮(zhèn)魂歌(レクイエム)」と名付けたい。それは、過ぎ去りし野心と苦悩への手向けであり、そして、新たな持ち主の魂の平安を願う祈りの歌でもある。
工房の窓の外が、すっかりと白み始めてきた。新しい一日が始まる。わしは、今日もまた、土と向き合い、炎と対話し、新たな「調(diào)和」の形を探求し続けるだろう。そして、この白金の首飾りが、どこかで誰かの人生を豊かに彩ることを、靜かに願い続けるのである。
食もまた、調(diào)和が肝心だ。素材の持ち味、調(diào)理法、器、そして食べる人の心。それらが一つになった時、初めて真の美味が生まれる。人生もまた、然り。この首飾りが、あなたの人生という食卓に、良き調(diào)和をもたらさんことを。
さて、今日も一日、轆轤と向き合うとするか。わしの手から生まれる器が、誰かの日常に、ささやかな喜びと安らぎをもたらすことを信じて。

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