| 楠本端山?碩水全集/大橋訥庵に朱子學(xué)をまなぶ?藩校維新館の助教,侍講となり藩主松浦詮に尊攘思想を説く?針尾島に鳳鳴書院をひらいた
昭和55年 820P 限定500部 部數(shù)は少なそうです。資料用にもいかがでしょうか。
このたびその道の研究家學(xué)者であられる岡田武彥?荒木見(jiàn)悟?町田三 郎?福田殖ら四人の先生方のご盡力によって『楠本全集』にその全遺作が網(wǎng)羅 され、而も此の上ない適任者である右四先生の解説付きで出版されるということ は、まことにありがたいことと存じます。地下の兄弟のおよろこびを思わずには 居られないのであります。この一書を備えることによって、針尾に修復(fù)された生家も塾舎も、內(nèi)容を充たし得た感が致し、またこれによって楠本學(xué)の全貌を窺う ことができるものと思うのであります。
兄弟の時(shí)代は、幕末から明治にかけての大変動(dòng)の時(shí)代で、新政府の學(xué)制制定は、 従來(lái)の儒學(xué)者にとっても大問(wèn)題であったことは想像に難くない所であります。そ のさ中にあって兄弟は非常な抱負(fù)のもとに鳳鳴書院を創(chuàng)設(shè)し「制規(guī)のその業(yè)を防 ぐなく、試考のその心を害うなき」自由にして試験に囚われない教育を標(biāo)榜して 居るのでありますが、百年後入試一辺倒のこんにちの教育と思い合せていかがでしょうか。 塾生の謝禮を一切納めず、講義終れば野良に出て、周辺の農(nóng)夫となんら異る所 がなかった、という碩學(xué)の姿は、思うだに感動(dòng)させられるのであります。 本書のご盛行を祈念してやまない次第であります。
楠本端山 くすもと-たんざん 1828-1883 幕末-明治時(shí)代の儒者。 文政11年1月15日生まれ。楠本碩水(せきすい)の兄。肥前平戸藩(長(zhǎng)崎県)藩士。佐藤一斎,大橋訥庵(とつあん)に朱子學(xué)をまなぶ。藩校維新館の助教,侍講となり,藩主松浦詮(あきら)に尊攘(そんじょう)思想を説く。明治14年郷里の長(zhǎng)崎県針尾島に鳳鳴(ほうめい)書院をひらいた。明治16年3月18日死去。56歳。名は後覚。字(あざな)は伯暁。別號(hào)に悔堂。著作に「鞋韈日暦(あいべつにちれき)」「松島行記」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辭典+Plus
楠本碩水 くすもと-せきすい 1832-1916 幕末-明治時(shí)代の儒者。 天保(てんぽう)3年1月26日生まれ。楠本端山の弟。広瀬淡窓,佐藤一斎らに朱子學(xué)をまなぶ。肥前平戸藩(長(zhǎng)崎県)藩校維新館教授となり,維新後は大學(xué)少博士。明治14年兄とともに郷里の長(zhǎng)崎県針尾島で鳳鳴(ほうめい)書院をひらいた。大正5年12月23日死去。85歳。名は孚嘉。字(あざな)は吉甫。通稱は謙三郎。著作に「聖學(xué)要領(lǐng)」「碩水文草」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辭典+Plus
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中古品ですので傷?黃ばみ?破れ?折れ等経年の汚れはあります。大學(xué)の図書館廃棄本?巻末と地に印あり。背表紙ラベル。廃棄証明書のコピーを添付します。表紙傷、汚れ、破れ。ご理解の上、ご入札ください。もちろん読む分には問(wèn)題ありません。259322舊 |