







〇商品説明
「古萩」とは、江戸期とその少し前に焼かれた古い萩焼をいい、かつては「初代(坂高麗左衛(wèi)門)の作から三代の作まで」を古萩と呼んでいました。しかしこの考え方は、かなり古い時代にできた概念であり、時代が進(jìn)んだ現(xiàn)代では、美術(shù)館が江戸末期頃までの萩焼を集めて「古萩展」として展示していることから、今では江戸期までのものを「古萩」と呼ぶようになりました。
本作は十一代 坂高麗左衛(wèi)門が八代の作と鑑定しており、全體はやや小ぶりな器でありながら、引き締まった印象を受けるお茶碗となっています。
口辺のいたるところにある金直しは、不注意でキズをつけたというよりも、焼成時に釉薬が剝がれた痕を繕ったものと思われ、また畫像緑〇の部分にある茶碗底の色漆は、おそらく石爆ぜ痕を埋めたものではないかと考えられます。さらに畫像緑〇の部分にヒビもありますが、よく見ると古い直しがされているようであり、水が漏らないよう、漏り止めがなされたのだと思います。
付屬品は極め箱、漆塗りの二重箱、十一代 坂高麗左衛(wèi)門のしおりであり、さらに當(dāng)?shù)辘潜∪~紙、黃布、箱かぶせ紙、綿を用意させていただきました。
箱書きは十一代 坂高麗左衛(wèi)門であり、以下のように極め書きされています。
「萩 茶碗 口徑 三寸四分 三寸五分、高 二寸四分余 二寸五分余、高臺徑 一寸七分
右 八代坂高麗左衛(wèi)門 嘉永時代の作に相違なきもの也
昭和辛亥(昭和46年?1971年)皐月 十一世 坂高麗左衛(wèi)門(印)」
「八代 坂高麗左衛(wèi)門(翫土斎、松翁)」
寛政十一年(1799)生。明治十年(1877)沒。八代の作から窯印が用いられるようになり、八代は「翫土斎」印を用いた。ただしそれは明治以降のことで、御用窯であった江戸期の作に窯印はない。
「十一代 坂高麗左衛(wèi)門」
明治四十五年(1912)生。昭和五十六年(1981)沒。
〇商品狀態(tài)
狀態(tài):所々に金直しあり。また、畫像緑〇の部分に色漆による直し(石爆ぜ痕を埋めたものと思われる)、またヒビ(漏り止め補修の跡あり)あり。
刻銘:なし。箱に十一代坂高麗左衛(wèi)門による極めあり。
口徑:三寸四分-三寸五分=約10.29cm-約10.59cm
高さ:二寸四分-二寸五分=約 7.26cm-約 7.56cm
高臺徑:一寸七分 =約 5.13cm
※寸法に関しては若干箱書きのものと異なる場合がございます。これは使われた物差しの違いによるものです。
付屬品:極め箱?薄葉紙?黃布?しおり?二重箱?綿
〇発送
お茶碗を薄葉紙と黃布で包み、箱に納めます。箱のなかには緩衝材と綿を詰めています。二重箱に入れ、エアーパックで二重に包み、ダンボールに入れて発送いたします。
ダンボール內(nèi)では緩衝材として、丸めた新聞紙等を使用しております。