自宅保管の品です。中身は大変美品ですが、古いもので表紙など経年変化はございます。ご理解頂ける方にご検討をお願い申し上げます。


藤澤 清造 他1名
狼の吐息/愛憎一念 藤澤清造 負(fù)の小説集


蘇える木枯しの文士

“どうで死ぬ身の一踴り”を?qū)g踐し、
自ら破滅へと向かった大正?昭和初期の私小説家。
その生涯を賭した、不屈の「負(fù)」の結(jié)晶。

藤澤清造生誕一三〇周年


貧苦と怨嗟を戯作精神で彩った作品群から歿後弟子?西村賢太が精選し、校訂を施す。
新発見原稿を併せ、不屈を貫いた私小説家の“負(fù)”の意地の真髄を照射する。


芝公園で狂凍死するまでの、藤澤清造の創(chuàng)作活動は十年に及んだ。
貧苦と怨嗟を戯作精神で彩ったその作品群から歿後弟子?西村賢太が十九篇を精選、校訂を施す。
不遇作家の意地と矜恃のあわいの諦観を描く「狼の吐息」、內(nèi)妻への暴力に至る過程が遣る瀬ない「愛憎一念」、新発見原稿「乳首を見る」、関東大震災(zāi)直後の慘狀のルポルタージュ等、不屈を貫いた私小説作家の“負(fù)”の真髄を照射する。


西村賢太
登場時すでにして古めかしいと評され、冷笑視されてもいたその文體だが、當(dāng)然、小説が日記やレポートの類と違うのは、それが読者に読ませるものでなければならない點(diǎn)にある。その上では何んと云っても文體がモノを言ってくるわけだが、清造の場合、自らの古風(fēng)、かつ獨(dú)自の文體をより強(qiáng)固に支えるに戯作者の精神を持ってきた。そこが良くも悪くも、凡百の自然主義作品とは大きく異なるところである。
「解説」より


目次
一夜
けた違いの事
秋風(fēng)往來
狼の吐息
刈入れ時
母を殺す
愛憎一念
予定の狼狽
赤恥を買う
雪空
此処にも皮肉がある 或は「魂冷ゆる談話」
土産物の九官鳥
(新発見原稿)乳首を見る
(戯曲)噓
愚劣な挿絵
(ルポルタージュ)生地獄図抄
われ地獄路をめぐる
焦熱地獄を巡る
めしいたる淺草


レビューより
敬愛する西村賢太さんの各著に何度も登場し、押しかけるように”沒後弟子”となった師:藤澤清造氏の19篇 太宰よりもさらに、貧苦と世の中への怨嗟を凝集させ戯作精神を強(qiáng)く感じた。晩年は脳を病み、妻への暴力 その他狂態(tài)數(shù)多の末、昭和7年 芝公園のベンチで凍死...まさに凄まじさ至極で言葉が出ない。but人生に絶望しかけた読者に、その作品群は確かにそのまま響いたのではないか。