いまや、武蔵は吉岡一門(mén)の敵である。清十郎の弟?伝七郎が武蔵に叩きつけた果し狀! 雪の舞い、血の散る蓮華王院。つづいて吉岡一門(mén)をあげての第2の遺恨試合。一乗寺下り松に、吉岡門(mén)下の精鋭70余人が、どっと武蔵を襲う。――「1回1回の原稿の出來(lái)上るまでは、主人の気迫が反映して、私どもまで緊張につつまれる毎日」だったと、文子夫人は當(dāng)時(shí)の著者を回想している。