[中古本] | ||
表紙ややキズこすれあり | ||
中身は新品同様です(書(shū)き込み等なし) | ||
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愛(ài)とはどういうものか、この小説を通じて初めて、はっきり教えられた――。 「書(shū)きながらずいぶん泣いた」と著者本人が後に洩らした、至高の愛(ài)。 戦爭(zhēng)文學(xué)?國(guó)策文學(xué)が氾濫した昭和初期、一気に書(shū)き上げられた青春小説。 愛(ài)とは殘酷なものなのか、それとも素晴らしいものなのか。 友人野々村の妹夏子は、逆立ちと宙がえりが得意な、活発で、美しい容貌の持主。小説家の村岡は、野々村の誕生會(huì)の余興の席で窮地を救ってもらって以來(lái)、彼女に強(qiáng)く惹かれ、二人は彼の巴里(パリ)への洋行後に結(jié)婚を誓う仲となった。ところが、村岡が無(wú)事洋行を終えて帰國(guó)する船中に屆いたのは、あろうことか、夏子急死という悲報(bào)であった……。 至純で崇高な愛(ài)の感情を謳う、不朽の戀愛(ài)小説である。巻末に用語(yǔ)、時(shí)代背景などについての詳細(xì)な注解、および年譜を付す。 本文より 今度の航路は楽とばかりは言えなかった。暑さにも參った。しかし喜びはそんなことにまけてはいなかった。時(shí)間がたつのが遅かったが、日本に向っていることはまちがいない事実だ。そして其処(そこ)には待っている人が居る。僕は船の上で一日々々お前に近づくのをよろこんで時(shí)間がたつのが遅いのをはがゆく思うだろう。だがすぎて見(jiàn)れば、それも楽しい思い出になるだろう。 喜びの待つ國(guó)へ帰る男の喜び その喜びを知るものは 二人 待つ人の帰る喜び、 その喜びを知るものは 二人 ……(本書(shū)104ページ) 本書(shū)「解説」より それ(発見(jiàn)された『愛(ài)と死』の原稿)を見(jiàn)せてもらうと、原稿の最初の表題が「生者死者」となっており、あとから作者自身の手で「愛(ài)と死」に書(shū)き改められている。(略) 執(zhí)筆中に構(gòu)想がかわり、途中で夏子を死なせるストーリーになった、と受けとられていたが、原稿の発見(jiàn)によって、最初から〈生者死者〉の主題で構(gòu)想がねられていたものだった、ということが明らかになった。また夏子が死ぬ前後へくると、原稿用紙のインクのにじんでいる個(gè)所(かしょ)がところどころ出てくるのは、前掲文にあったとおり、作者が涙をこぼしながら小説を書(shū)いた跡と見(jiàn)られる。 ――小田切進(jìn)(文蕓評(píng)論家) 武者小路実篤(1885-1976) 東京?麹町生れ。子爵家の末子。1910(明治43)年、志賀直哉らと「白樺」を創(chuàng)刊、「文壇の天窓」を開(kāi)け放ったと稱(chēng)された。1918(大正7)年、宮崎県で「新しき村」のユートピア運(yùn)動(dòng)を?qū)g踐、『幸福者』『友情』『人間萬(wàn)歳』等を著す。昭和初期には『井原西鶴』はじめ伝記を多作、歐米歴遊を機(jī)に美術(shù)論を執(zhí)筆、自らも畫(huà)を描きはじめる。戦後、一時(shí)公職追放となるが、『真理先生』で復(fù)帰後は、悠々たる脫俗の境地を貫いた。1951(昭和26)年、文化勲章受章。 | ||
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