自宅保管の品です。中身は大変美品ですが古いものですので、表紙など若干の経年変化はございます。ご理解頂ける方にご検討をお願い申し上げます。


源泉の感情 三島由紀(jì)夫

死の直前に刊行された畫期的な対談集。小林秀雄、安部公房、野坂昭如、福田恆存、石原慎太郎、武田泰淳、坂東三津五郎、豊竹山城少掾、武原はん…美のかたち、二十世紀(jì)文學(xué)、エロチシズムと國家、死の哲學(xué)、伝統(tǒng)蕓術(shù)の今日性、憲法と戦後など、各分野の第一人者と幅広くかつ深く語り合った最後の対話篇。

目次
美のかたち―『金閣寺』をめぐって(小林秀雄)
大谷崎の蕓術(shù)(舟橋聖一)
二十世紀(jì)の文學(xué)(安部公房)
エロチシズムと國家権力(野坂昭如)
文武両道と死の哲學(xué)(福田恆存)
演劇と文學(xué)(芥川比呂志)
七年後の対話(石原慎太郎)
文學(xué)は空虛か(武田泰淳)
日本の蕓術(shù)(歌舞伎(坂東三津五郎(十五代))
新派(喜多村緑郎)
能楽(喜多六平太)
長唄(杵屋栄蔵(三代))
浄瑠璃(豊竹山城少掾)
舞踴(武原はん)

レビューより
小林秀雄との対談では『金閣寺』に対して小林が「ポエムだねぇw」といった斷言をして三島が「小林さん、ちょっと勘弁して下さいよorz」と辟易する様子が面白い。野坂昭如や安部公房とのやりとりもお互いに対立しながらも尊敬し合っているようで興味深い。石原慎太郎は三島をリスペクトしながらも生意気にというか率直に三島にダメ出しをして、三島がサラッと受け止める様子も印象的。好著。


三島由紀(jì)夫は祖母夏子の影響が大きいのではないかと思う。女の子のように育てられ、女の子のような敏感な感受性や美意識(美しさを稱える意識)が徹底的に植つけられているのだと思う。成長し、學(xué)校で他の男の子たちと遊ぶ中で、男の子としての自分と、女の子としての自分の矛盾に劣等感を感じるとともに、他の男の子に無い鋭敏繊細(xì)な感受性への優(yōu)越感との両方を合わせ持つこと、合一することになったのではないか。


うろたえる三島というものを初めて見た思いです。のっけから小林秀雄にめちゃめちゃにやられ、意気込みを武田泰淳にあやされ、歌舞伎や能、文楽の名跡に振り回され、汗みずくになりながら目も當(dāng)てられない下卑た質(zhì)問を繰り返す彼は私の見たことのない姿でした。該博も貴族的振舞いも語彙も武技も、すべてがひとかたの役にも立たず、ひねた青年が不得手なインタビュアーを引き受けてしまい、困り果てる場面が延々と続きます。これら対談のほとんどが彼の自決の年近くに行われたものです。ああ、こんなことにうろたえるほど人間だったのだ。