サイズは、口徑
13×
高さ
29×
底徑
14
㎝です。在銘「う」
8
代加藤宇助の作です。ほぼ未使用、美品です。
加藤宇助は、
1915
年(大正
4
年)に生まれ
1981
年(昭和
56
年)に亡くなった、瀬戸の陶工です。祖先は瀬戸焼の陶祖である藤四郎の次男藤左衛(wèi)門。17代から「宇助」の名前を継いできました。加藤宇助の作品には「う」の彫銘が 高臺內(nèi)にあります。
瀬戸の陶工というと、日本の美術(shù)界に衝撃を與えた「永仁の壺」事件を起こした加藤唐九郎が有名です
「永仁の壺」事件は、愛知県東春日井郡の道路工事現(xiàn)場から出たという壺が、永仁二年の作という大変貴重なもので、國の重要文化財に指定されたが、実は加藤唐九郎の贋作だった、という事件のことです。
加藤宇助は、天才的な才能を持ち、作陶の腕前は相當(dāng)なものだったといわれています。
加藤唐九郎にしても、「永仁の壺」は、出土した昭和
18
年以前の昭和
12
年頃に作ったとされていますから、桃山期の「志野」「織部」「唐津」を追及したのと同じように「古瀬戸」を追求したとも考えられます。
加藤宇助はこの事件で一躍腳光を浴びました。
掲出の 壷は まさに 今は廃釜となった後世の方のお持ち物で、もちろん 永仁壷寫しではありますが、宇助の作であり、古瀬戸への熱き情熱とそう簡単にはできない技と鍛錬が さりげなく感じられて どこかほっとします
様々なドラマを経て生きてきた 宇助永仁壷寫
愛おしくもあり、儚くもありリーズナブルに掲出させていただきます