| 昭和50年329P
私は幼少から彫刻や絵畫をひじょうに好み、制作中は食事など忘れてしまう こともあった。 その道でなんとか立身しようかと思ったが,その當(dāng)時は戦時色 が強く、すべてが工業(yè)方面に向けられていた。そのため、私も機械工場に勤務(wù) するようになり、第二次世界大戦勃発の2年後に海軍航空隊に志願してしまっ た. 終戦でフィリピンの米軍収容所にいれられた時は本部に絵畫班を組織させ られ, 洋畫家の西原比呂志さんが班長で, 絵畫や彫刻をいろいろ畫いたり彫っ たりさせられていたが, その年の內(nèi)に復(fù)員することができた。 復(fù)員後, 西沢 先生 (日本畫家) の門下生を試みたが, 終戦時の食糧事情のために, 昭和21年 調(diào)理関係に見習(xí)として勤務(wù)し, その後この道で現(xiàn)在まで働いている. その間2 度ほど未練があって, 映畫の看板描きなどを職としたこともあった.
氷彫刻を初めて見たのが, 戦後食糧不足で國民多數(shù)が粗食になれていた昭和 24年頃,米軍宿舎で催されたビュッフェ?パーティーであった。寫真や本でし か見たことがなかった豪華な會場に,各種の料理がきれいに配置よくテーブル に並べられており,照明も効果的で、 特に全會場を引立てている氷彫刻が印象 的で,それが私の心に強く焼きつけられた.その後,私は料理も楽しみながら できるようになった.しかし,私が氷を彫る初めての動機になったのは昭和29 年頃で,外國の祭日のサンクスギヴィングとクリスマスの日だった.
大工さんのノミを買って自己流に彫り出した。 今考えるとどのように彫ったの かわからないが,なんとか彫ったようだ。本格的に氷彫刻に打ち込んだのは昭 和35年に赤坂のホテルニュージャパンがオープンしてからで,現(xiàn)在までに, 大小數(shù)々の作品を彫ってみたが, 仕上がり後に欠點がいろいろと目につく。 び重ねる毎に出來上がりも彫り方も変わるが,不思議とその日の自分の體調(diào)と 気分が作品に影響する.とにかくたび重ねて彫ることがすべてにプラスになり 氷彫刻にかぎらず何事も努力しなくては満足な進歩がない. 私も彫るたびに研 究しながら彫るが,ときおり,不満足な作品ができてしまう. なんとかその極 に達したいと思っている。 また出版について今回柴田書店より依頼され 未熟 な私にどのような本ができるのか內(nèi)心いささか不安だったが, 司廚士協(xié)會, 外 口製氷の方々並びに柴田書店のご協(xié)力により, 氷彫刻の初歩から組合せ彫刻の 上級までをそろえることができた. 氷彫刻を?qū)Wばれる方々の參考になることを 願うしだいである. 昭和48年7月
中古品ですので傷?黃ばみ?破れ?折れ等経年の汚れはあり。外箱傷、小汚れ。ページ小黃ばみ。ご理解の上、ご入札ください。
もちろん読む分には問題ありません。275942S |