☆様式はなつかしいそれは現(xiàn)代が失ったものの一つだからです☆

ーこれは「なんでも鑑定団」で紹介された畫家:有元利夫の一文です。
古い時(shí)代のギター製作家にあこがれている私には心に沁みることばです。様式とまではいかないまでも一時(shí)代を風(fēng)靡したギター作品には郷愁が漂います。「なつかしい」のです。
『現(xiàn)代が失ったもの』-それはとてつもなく大きなものから小さいようで大切なものまでー。大きく括れば「日本人の魂」。日本の自然?風(fēng)土?伝統(tǒng)?文化。最も身近にある「ことば」(言霊)です。
モノもそうです。古い家とそこに殘されている古材や家具が無殘な姿でガラクタ(廃棄物)となって姿を消していき同時(shí)にそこにぎっしりと詰まっている家族の絆や思い出までもが失われてしまうのは何とも忍びない思いがします。
私が古いギターに愛著を覚えるのは(同世代だからというだけならず)やはり現(xiàn)代が失ったものの一つだと感じさせるものがそこにあるからです。
往時(shí)のギター製作家が全人格を投影させて生みだした作品には現(xiàn)代が失ったものが詰まっているように思えてなりません。
當(dāng)時(shí)は當(dāng)たり前のように存在した”楓”などの良質(zhì)な材料もまた現(xiàn)代は失ってしまっています。

<ラベル>(筆文字)

 手工品
山中金光

<仕様>
?弦長:535㎜
?ネック幅:50㎜
?弦高:1弦 2.9mm/6弦3.0㎜(簡易採寸)

◇半世紀(jì)前のZEN-ON GUITARは、手工業(yè)的製作過程がとられているため、手工品に近い。まさしく「木と対話しながら」、材料のよさを生かして作られているからである。良材にめぐまれた時(shí)代の貴重な逸品。

◇小さな手のために特別に作られた、弾きやい人本品を是非お試しあれ!。HASHIMOTOギターに通じる。

◇永い間手放せずにいた理由が納得できた気がする。

◆私はこうした古いギターには「悪いものはない」ことをずっと実感して來た。音質(zhì)において問題がある場合製作家は必ず「やり直す」はずだからである。(私もリペアする際気に入らないものは世に出さない。個(gè)體ごとに自ずと限界はあるが…。)

<參考までに>”楓”に対する私の考え方。

◆(私の獨(dú)斷と偏見)”楓”は斷然いい。自信をもってお薦め!
~銘木セレクション~

~時(shí)を超えて輝く銘木たち~


靜中の動(dòng)~荒ぶるカエデの秘めたるチカラ~

カエデ トラ目杢の世界~

カエデは非常に生命力が強(qiáng)い木です。
他の木なら致命的になってしまう損傷を受けても、
驚異的な生命力で再生します。

カエデのこの生命力は、材となっても殘存し、
身に起こった異変を何とか修復(fù)しようと、
大きなねじれ、反り、割れを引き起こします。

カエデのこの強(qiáng)靭な力を鎮(zhèn)めるには、
暴れるだけ暴れさせる他ありません。

鎮(zhèn)まったカエデの厚板から部材を木取りし、
さらに殘ったカエデから、必要な部材を木取りします。

この時(shí)、鎮(zhèn)まっているはずのカエデが暴れ出し、
昇降盤の刃を止めてしまうことがあります。

恐るべし、カエデの底力。

カエデの強(qiáng)靭な生命力は材となっても內(nèi)包され、
美しい紋様を靜かに湛えています。

〇上記は私が楓材を仕入れているn*r*jima**yukiさんの一文。響きのいいギターを探し求めているうちに辿りついたのがこの”楓”材だ。
(…表板の材質(zhì)は當(dāng)然問われてしかるべきだが最近になって裏板?側(cè)板の材質(zhì)がモノを言うことに思い至った。ちょうどスピーカーとオーディオルームの関係に似ている。因みに私は煉瓦を手割りしてオーディオルームの一部に採用している?!睏鳌辈膜酥郡筏皮椁韦长趣馈#?/DIV>

<”楓”の思い出>
子どものころ學(xué)校から帰ると薪(丸太四つ割り)を10本斬るのが男兄弟のノルマ。イタヤはツルンツルンで骨が折れる。ズルしてナラ等の雑木を選んで切ったものだ。最後に殘ったイタヤは兄貴にお任せ。イタヤカエデは嫌われ者だったがギター材としては引っ張りだこだったとは何とも皮肉な話だ。芳醇な香りは(空腹に耐えていた身には)最高だったが!(ちなみに私は12人兄弟姉妹の五男坊)

私は戦後のGHQの政策によって見事なまでに”洗脳”(WARGUILTINFORMATIONPROGRAM)されたまま前半生を無為に過ごしたばかりかそれをさらに次世代への洗脳に加擔(dān)した”二重の罪”に苛まれる日々を送っているがそれ故に戦後失った(今も失ったままの)日本的な素晴らしいものを発掘し復(fù)活させたい思いに強(qiáng)く駆られている。猛烈な反省を込めながら…。

自分の力で自國を守れない世界でも稀な”腰抜け”日本人のままでいいはずはない。先人たちはこんな日本のために命を捧げたのではあるまいに…と。
大上段に構(gòu)えたものの大それたことなど出來っこないのでせめてこの小さなギターという愛すべき存在を通して(余生を楽しみつつ)日本の未來に希望が持てるような小さな営みを続けたいと願(yuàn)っているところ。

日本人は(ギターは他國の文化だが日本人はギターに限らず)それらを日本化し、昇華させることに長けている。


<閑話休題>

◇私の初戀はYAMAHA NO.45(初任給1月分)。20年間愛用したが あるとき息子に踏みつぶされてしまったのだった…。(途中道草) 老境に入り 懐かしくなって 同機(jī)種を探し當(dāng)て 改めて惚れ直したところ。側(cè)?裏面は”楓”虎杢のナチュラル塗裝が美しく映えていた。(當(dāng)時(shí)は そんなよさにも気づかず無頓著。)良質(zhì)な材をふんだんに使えた時(shí)代の贅沢な作りは即音質(zhì)にも反映されて 実にさわやかな響きがした。(ちょっと指が疲れるが…。)
◇有名?無名にかかわりなく いいものはいい。50~60年も前のギターが 今に殘っている(いや遺してくれている?。─韦悉饯欷坤堡蝸齻帳ⅳ毪椁怂胜椁胜?。(価値を見出すのは個(gè)人の主観だが…。) こうした古い楽器(私と同世代)に出會(huì)うのが 老後の楽しみの一つになっている。
◇もう一つの楽しみは 見捨てられそうになっているギターを蘇らせて再びいのちを吹き込むこと。(「もったいない」世代なので…。)今は 懇意にさせていただいているギター製作家に弟子入りし 修行中の身。ようやく 小さな作業(yè)ではお墨付きをもらえるようになってきたがギターって奧が深い!まだまだだ…。
夢はHASHIMOTOギターのようにシンプルなつくりと響きのよい極上のサウンドをもたらせてくれるMYGUITARを生み出すことだが…。だんだん遠(yuǎn)のいてきた。

◇私はすでに老境に入り 演奏の方がおろそかになる一方 今は初心者のための「やさしい練習(xí)曲」の作曲に熱が入っている。(ギターを手にした瞬間から 理屈は後回しにて いきなりギターと遊べるようになれる小品を…。ちょうど 和太鼓のばちを持ったら誰もがたたいて遊びたくなるような…。)
◇私自身がそうだがどこかに力が入ると(からだ全體から指先までの何処に力が入っても)いい音は出せない。入門者にはできるだけどこにも力が入らない狀態(tài)である程度の「演奏ができた」という満足感が味わえるような教材を與えてやりたいと思う。そもそもギター(音楽)を楽しむのに最初から七面倒くさい楽典なんぞは不要。楽しむのが先!のはず。(當(dāng)分はタグ譜でいい。)

…………

◇私は、表板は別にして、オール?yún)g板(私はこの響きは好きだが…。)か合板かにはこだわらない主義(橋本ギターに接してからだが…。橋本の合板技術(shù)は他社の追隨を許さないこともあり)だ。この件について師匠は「いい単板はいい」の一言しか言及してくれなかったが、すべてを言いつくしていると思う。

◇「弾きやすい」のは、力を要さずに(觸れただけで)よく響いてくれることだと、HASHIMOTOギターに接して痛感している。

◇眠っていた期間が長かったようなので、弾きこんでさらによく鳴る’名器’に育て上げていただきたい。きっと期待を裏切ることはないと確信している。


<余談そのⅡ>
◇當(dāng)時(shí)の日本の製作家たちは、どんな気持ちで敗戦を迎えたのだろうか。橋本氏は”震電”のプロペラ設(shè)計(jì)に攜わったが、その震電とどう別れを告げたのか。(実踐に供されなくてよかった。敗戦は免れず戦禍は拡大し、さらに多くの人命が失われただろうから。)

◇同時(shí)代の製作家も、複雑な心境を抱きながら、この小さなギターに命を吹き込んでいたのだろうか。彼の胸中(”平和”への希求?)を察しながら當(dāng)時(shí)のギターを愛しく”切なさ”を感じながら弾いている…。

…ふと敗戦(尋常小學(xué)校2年)後「神道廃止令」により突如取り壊された奉安殿?二宮金次郎像等が浮かんできた?!溉毡荆à坤保─瑦櫎?、 日本の文明は時(shí)代遅れ、 アメリカ(白人)が素晴らしい(日本人は12歳)」と教えられて何の疑いもなく信じて過ごしてきた時(shí)間がいま思えば「もったいなかった」としみじみ思う。アメリカ公文書の公開(ここはアメリカのいいところだが)から明かにされた事実(「國破れてマッカーサー」:西鋭夫教授の著書等による)には目を覚まされるものがあった。

例えば「真珠灣」奇襲の暗號(hào)文を事前に解読していたルーズベルトは開戦(戦爭をしないとの公約で大統(tǒng)領(lǐng)に當(dāng)選)の口実がほしかったためにわざわざ古い艦船を殘して日本に先制攻撃させたこと(その乗組員はアメリカ政府を相手どって訴訟)「東京大空襲」でルメイ少佐は木と紙で作られた日本住宅に著目しわざわざ模型の街並みを作って実験したうえで周囲を爆撃して逃げ場を失った人びとが集まったところを焼夷弾で(効率よく)焼き殺した(民間人が標(biāo)的→なんという犯罪行為か?。─长趣胜擅稈い讼兢胜ぁ¥饯违毳幞い诵袢照陇蚴谂cしたとは?。ㄔ酥x罪を求めない証としてのバーター取引とはいえ)なんとも情けなや!

ルーズベルト(「日本の文明は3千年も遅れている?!梗?マッカーサー(西歐人が45歳とすれば「日本人は12歳。」)のことばに代表される人種差別(「あの黃色いサルどもは一人殘らず絶滅させねばならない?!梗─嘶扭碱I(lǐng)の実態(tài)(機(jī)密文書)がフーバー研究所の倉庫に眠っていたという。その機(jī)密文書には、日本語が理解できないが故の誤った政策の數(shù)々が赤裸々に示されている。敗戦國なるがゆえに涙を飲んで受け入れざるを得なかった悲哀?苦渋の選択はやむなしとするも、今もなお、洗脳されたままのGHQ思想に毒された知識(shí)人?言論人(一般人はもとより)が跋扈している現(xiàn)実は嘆かわしいといわねばならない。このまま思考停止が続く限り、わが國は永遠(yuǎn)に屬國であり続けるしか道はない。このままでいいはずがなかろうに…。

また日本國民に「言論の自由を取り戻してやった」と吹聴したGHQマッカーサーだが、すぐさまNHKを中心に報(bào)道規(guī)制(プレスコード)を蠻行したこと(あろうことかそれを上回る自主規(guī)制が幅を利かせ今も連綿と続いている!)など東京裁判史観に依拠する人材のみが重用された國政によりその”呪縛”から逃れられない現(xiàn)代の”腰抜け”(獨(dú)立できない)日本が未だにもがき続けているのだ。
敷衍して祖國日本のために戦って散った先人の遺骨を発掘して祖國に帰ってもらうためにささやかな貢獻(xiàn)(「大東亜戦爭戦沒者団體協(xié)議會(huì)」にわずかずつ寄付を続ける)をして人生を終えたいと念じている。私は遺骨収集団に加わりたいのだが私が遺骨になったのでは…!。

ー父は支那事変を戦った。末の叔父が可愛がっていた「アオ」という名の馬も戦場へと送られた。(叔父は、その夜、裏の畑で泣いていた。)敗戦後、アオも含めて1頭も帰って來なかったという。(子孫は、異國で生きているだろうか。)父とほぼ同じ経路で、南京城攻めに加わった一兵士の手記「征野千里」(菅野勝)を読むと、なぜ父が語らなかったかがわかる?!改暇┐笈皻?0萬人」など微塵もないのに、アメリカが中國の捏造を暗に認(rèn)めているのは、原爆投下で無辜の日本人を殺戮した(′うしろめたさ′があるのか)數(shù)字合わせをしているのであろうか?)

義兄は少年兵として軍服さえ著せられずに壕で狙い撃ちされた。遺品の血染めの木綿のシャツが痛々しい…。

父は、’黙して語らず’(いや、GHQ厳罰付き30項(xiàng)目の一つで、真実を語れず)のまま、世を去った?!喊偃藬丐旮偁帯唬ǔ招侣劇钢袊温谩惯B載?本多勝一記者)の記事(現(xiàn)地取材なし)等に基づき、無事帰還していた野田?向井の両名が中國に連行され、さしたる証拠を示されることもなく、雨花臺(tái)の露(銃殺)と消えた。こんな目には遭いたくなかったであろう。
父とほぼ同じ経路で、南京城攻めに加わった一兵士の手記「征野千里」を読むと、なぜ父が語らなかったかがわかる。「南京大虐殺30萬人」など微塵もないのに、アメリカが中國の捏造を暗に認(rèn)めているのは、原爆投下で無辜の日本人を殺戮した(′うしろめたさ′があるのか)數(shù)字合わせをしているのであろうか?)

シベリア抑留を経て命からがら帰還した叔父Mのことばは、今も脳裏を離れない。食事もろくに與えられず(栄養(yǎng)失調(diào))過酷な労働を強(qiáng)いられ、餓死?病死者が続出。冬は凍土で埋葬できないため死體は、野積みに…。春になると、同胞の凍った死體をつるはしで剝がす作業(yè)が…。何袋かのジャガイモを得んがために応募した者も、”吐いて、吐いて、…”退散。ーむべなるかな?。?/DIV>
夏でも硬い凍土の下に、今も數(shù)多の亡骸が眠っている。さぞ、冷たかろう!

中學(xué)時(shí)代にハリウッド映畫「硫黃島の砂」を団體鑑賞させられた。(これもGHQの洗脳策)ある會(huì)場では摺鉢山に星條旗が掲げられると拍手が湧いたという。-サクラがいたのかも?

私は洗脳されたまま、人生の大半を無為に過ごしてきたことを不甲斐なく思い、歯ぎしりしている。多くの英霊や先人たちは(私を含めた)現(xiàn)代の「浮かれた」根無し草市民(「國民」と言いたくない人もいる!)の姿をどうみておられるだろうか?

降伏直後に、米機(jī)がばらまいたビラには、「國民のみなさんは悪くない?!埂笎櫎い韦????!埂肝摇─⑸屏激适忻瘠蚪夥扭工毪榘残膜护??!!?FONT COLOR=#000000>といった文字が躍っていたという。GHQの占領(lǐng)(洗脳)政策<「WAR GUILT INFORMATION PROGRAM 」>第1號(hào)は、早くから周到に用意されていたのだ。國民を分?jǐn)啶工毪长趣顺晒Δ筏渴滞螭?、敵ながらさすがというべきだが、自分は善人であると思いこまされたまま、処刑された7人だけに責(zé)任を負(fù)わせてあとは頬被りし、70有余年を無為に安穏をむさぼって來たわれわれ一人ひとりの罪は重い。

死者(先人)とのかかわりを切り捨てて、現(xiàn)世を欲望の赴くままに(拝金主義)「正義の戦爭よりも、不正義の平和」を貪って生きていく限り、自分の未來を描くことはできないし、そうした人々が多數(shù)を占めている間は、我が國の未來も、見えて來ないといわねばならない。
……

確かに、占領(lǐng)政策(洗脳支配)はものの見事に成功した。しかし、いつまで洗脳され続ければ気が済むのか!マッカーサーも、GHQも、とっくに’時(shí)効’だ。他人(他國)のせいにせず、日本人自らが、『大戦の総括』をきっちりとしない限り、永遠(yuǎn)に’真の獨(dú)立’を果たすことはできないだろう。

日本人は、その伝統(tǒng)が物語るように世界でも稀な民族といえるかもしれないが、島國であるがゆえに、常にまわりに合わせることで生き殘る道を選んできた歴史があり、そのためか、外國人の目には「気が変わりやすくて信用できない」國民と映っているらしい。

…例えば、殘された婦女子(民衆(zhòng))を標(biāo)的にした東京大空襲や広島?長崎の原爆投下は、明らかな戦爭犯罪なのに、それを弾劾するでもなく、その犯罪國の「オバマ大統(tǒng)領(lǐng)が広島に來てくれてうれしい」というのだ。そのオバマは、広島訪問の後の戦勝記念式典で、原爆投下の映像に、ガムをかじりながら拍手を送っていた。その陰で、そっと十字を切っているのは、意外にもプーチンであった。……
しかし、現(xiàn)実に目を転じると、(米大統(tǒng)領(lǐng)選挙の不正で揺れ、第3次世界大戦前夜を思わせるような様相を呈している現(xiàn)狀下で)神の思し召しに従い、正義を重んじ、家族を守るために勇気をもって(愛國心に燃えて)立ち上がっているアメリカ人一人一人の姿は、’愛國心’という言葉さえタブー視される風(fēng)潮の中のわが日本人には非難する資格などないのではないかと、とつくづく反省させられる。

犠牲者への思いをいち早く捨て去り、ひたすら今を楽して暮らせればいいという剎那主義に陥ったまま、徒に時(shí)をむさぼっている現(xiàn)代の日本人は、なんという不思議な人種なんだろう!と。
知日派の外國人なら、「いやそんなはずはない、サムライはまだどこかにいるはず。目覚めよ!」と、奮起を促しているに違いない。
もう少し、行く末に希望の燈が見えてから(日本人としての誇りをもって生きる姿を見據(jù)えてから)、おさらばしたいものだが、果たして…?(だんだん頑固になる、末期高齢者のつぶやき…。)


***過日、ささやかな寄付の禮にと、『ブーゲンビル島戦75年記念桐木平武二氏(奇跡的に生還)スケッチ畫集』が寄贈(zèng)されてきた。平和な時(shí)代の島の生活に続いて、補(bǔ)給艦が撃墜された後、蟲?トカゲ?巨大二枚貝、蝙蝠、、、で飢えをしのぎつつ、「自分がやられるか、敵を倒すか」のいくさを繰り広げた末に、散っていった先人たちに、涙を禁じ得ない。

***「おーい!水だ!」湧き水に走り寄る初年兵、海水を敵の目を逃れまがら炊いたわずかな’塩’を分け合う兵士たち、、、。

(こんな悲慘な日々を余儀なくされた末に、命を絶たれた人々(若者)と、何も知らずに(知らないことにして)踴り狂っている現(xiàn)代人の映像は、どう重ね合わせればいいのだろうか?

****昭和は、遠(yuǎn)くなりにけり。令和の時(shí)代は、こうした先人たちの尊い犠牲の上に成り立っていることを、決して忘れてはなるまい。あの世で、平和ボケの現(xiàn)代人の姿を、どんな思いで見ておられるのだろうか。
◇見た目よりも「音がよければいい」という方に ぜひ使っていただきたいと願(yuàn)う!「復(fù)元したことに価値あり」と認(rèn)めてくださる方が一人でもおられるなら年寄り冥利に盡きるというもの。こんなうれしいことはない。
◇これからギターを始める方 再挑戦する方にも うってつけのギター。
◇格安の新品を入手したいとお考えの方にも これらの古いけれども質(zhì)の高いギター(材質(zhì)と匠の心意気)をお求めになることをお?jiǎng)幛幛工?!YAMAHAが臺(tái)灣で HOFNERが中國で生産されている時(shí)代になりました。同価格でも品質(zhì)は比べものにならない。日本人のモノづくりは作品として匠の魂を宿らせるところにあるのだろうか。

◇この他に説明不足や誤りがあるかもしれませんし畫像にも限界があります。ご不明な點(diǎn)疑問がありましたらどしどし質(zhì)問してください。わかる範(fàn)囲でお答えし納得のいくお取引をとなるよう努力してまいりますのでノークレーム?ノーリターン厳守!でよろしくお願(yuàn)いします。
*上記の説明は 全て私の主観に基づくものであることを予めお斷りしておきます。また事実と異なる記述があった場合はご指摘ください。明らかにさせていただきます。
* 採算がとれないこともあるのですがこうした古いけれども価値ある作品に理解を示して下さる方に使っていただけるならこんなうれしいことはありません。このギターもきっと喜んで嫁いでいくことでしょう。(可愛がって名器にしてやってください。)
*私にとりましては勉強(qiáng)させていただく機(jī)會(huì)が與えられただけでもありがたいと思っています。何よりも楽しいのです!

<追記>師匠からの指摘です。ギターの奏法はいろいろある上に個(gè)人の癖もまちまちなのだから「萬人に通用するリペアはないことを心せよ!」と。
◇本作品もあくまでも私が弾きやすいことを基準(zhǔn)にしたリペアであることをお斷りしておきます。私は「クラシックが好きな1ギター愛好者」に過ぎませんのでこのことをお含みの上ご判斷いただければ幸いです。また客観的な「音がいい悪い」はないのであってただ「好きか嫌いか」「どんな音が欲しいのか」で判斷するしかないこともお斷りしておきます。
◇リペアは音響上問題にならない範(fàn)囲で(古いもののよさを生かして)済ませていますが完璧を求める方は入札をお控えください。また畫像は現(xiàn)物よりも綺麗に寫りますので割り引いてご判斷ください。

◆イタズラやルールを守らない(心無い)落札者による被害が多くなりました。評価の悪い方?新規(guī)の方の入札はお斷りさせていただきます。しかし誰であっても新規(guī)からスタートしなければなりませんから申し訳ない気がしますので質(zhì)問欄に意思表示をしてくださった方は大歓迎です。
☆ご落札後24時(shí)間以內(nèi)にご連絡(luò)をお願(yuàn)い致します。(事情がおありの場合は質(zhì)問欄に斷りを入れてください。)気持ちよくお取引させていただくよう努めますのでご協(xié)力の程よろしくお願(yuàn)い致します。
〇ダラダラ?長々の駄文ご容赦ください!