探偵ミュラー(シュミット)のもとを、イングリッド?バーグマンと名乗るブロンド美女(ルドニック)が、失蹤した戀人の捜索依頼に訪れる。翌日ミュラーは新聞で、美女の正體は大富豪の娘であり、しかも殺害されたと知るのだが…。というハードボイルドな枠組みからあれよあれよと逸脫し、80年代感たっぷりなアレンジのミュージカルナンバーと、有名アメリカ映畫のパロディが次々投入される、オーストリア國內で當時大ヒットしたコメディ。1988年日本公開。 

ハンガリー映畫アーカイブの埃っぽい棚から:『ミュラー探偵事務所』――ウィーンの霧に包まれたノワール?ミュージカル、軽やかに踴る影の戯れ

ああ、皆さん、こんにちは。私はハンガリー國立映畫基金(Hungarian National Film Fund)の映畫アーカイブ、つまりあの古びたフィルム?リールが山積みになった、埃っぽい部屋で日々を過ごす研究員、ヨージ?コヴァーチと申します。1957年に設立された私どものアーカイブは、1901年のハンガリー初の映畫『A tncz(踴り)』から、革命の炎に焼かれたフィルムまで、すべてを慈しむように保存してきました。 ハンガリー映畫の黃金時代、1960年代のヤーノシュ?ファヴラの敘事詩から、現代のイシュトヴァーン?サボーの內省的なドラマまで、私の手は絶えずフィルムの脈を辿ります。でも今日は、少し國境を越えて、オーストリアの寶物に手を伸ばしましょう。1986年、ニキ?リスト監(jiān)督の『Mllers Bro(ミュラー探偵事務所)』――原題の響きだけで、まるで古いタイプライターの叩く音が聞こえてきませんか? ウィーンの霧深い路地で繰り広げられるこのミュージカル?ノワール?パロディは、ハンガリーの私たちにとっても、隣人の陽気な悪戯のように愛すべき一作です。なぜなら、オーストリアとハンガリーは、かつてのハプスブルク帝國の影を共有し、ウィーンは私たちのブダペストと同じく、ヨーロッパの心臓部で息づく街なのですから。

では、さっそくこの映畫の骨子を、軽やかなステップで辿ってみましょう。物語の主人公は、マックス?ミュラー(クリスティアン?シュミット演じる)、典型的な落ちぶれた私立探偵。オフィスはウィーンの裏通り、機の上には空のウィスキー瓶と埃っぽい煙草の吸い殻が転がり、壁には「失蹤人捜索、料金安め」の看板が寂しく揺れています。彼の日常は、経済的に苦しく、助手ラリー(アンドレアス?ヴィタセク)と一緒に、チープなジョークを交わすくらいしか楽しみがない。そこへ、美しい謎の女性イングリッド?ベルクマン(イルム?ヘルマン)が現れます――名前の響きからして、イングリッド?バーグマンのオマージュ丸出しで、思わずニヤリとしますね。彼女の依頼はシンプル:失蹤した婚約者を捜してほしい、と。だが、もちろん、ノワール映畫の掟通り、事態(tài)はすぐにドロドロの渦に変わります。ミュラーとラリーは、ウィーンの地下世界へ潛入――怪しげなバー、煙に満ちたクラブ、妖艶な女性たち、そしてギャングの巣窟。手がかりは、トップのギャングボスが売春婦を殺す瞬間を捉えた、決定的な寫真。失蹤者はその寫真の鍵を握り、街中の悪黨どもが彼を追う中、ミュラーたちは歌い、踴り、撃ち合いながら真相に迫ります。

このプロット、皆さん、耳にタコができるほどおなじみでしょう? ダシール?ハメットのハードボイルド小説、『マルタの鷹』のサム?スペードを思わせるキャラクター設定――ミュラーは一時、自分を「サム?スペード」と名乗り、ラリーは「マイルズ?アーチャー」と偽るシーンは、爆笑必至です。 しかし、ここがニキ?リストの天才的なひねり。普通のノワールなら、雨の路地でモノローグを呟く探偵が、突然ミュージカル?ナンバーを歌い出すのです! 「Schiess los!(撃てよ!)」というセリフで、隠れた暗殺者が本気で撃ち始めるパロディ?シーンは、言葉遊びの極み。セックス?シーンさえユーモラスで、ポスト?セクシャルなベッドトークが、突然の銃撃に変わるなんて、まるでコメディの神様がウィンクしたよう。 キャストは豪華:シュミットのミュラーは、クールぶったダメ男の魅力に満ち、ヘルマンのイングリッドはミステリアスな美女として輝き、ヴィタセクのラリーはコミカルな相棒役で笑いを誘います。他に、バルバラ?ルドニックの妖婦役や、スー?トーバーのセクシーな脇役が、ノワールのステレオタイプを軽快に崩します。音楽はフレディ?ギーゲレ、ペーター?ヤンダらの手によるスウィング調で、歌詞はリスト自身。ダンス?シーケンスは、フィルムノワールのシャドウをミュージカルに溶かす、視覚的な快楽です。

制作の裏側も、軽妙な逸話に満ちています。監(jiān)督のニキ?リスト(1956-2009)は、ウィーン生まれの異端児。1982年のデビュー作『Malaria』で早くもカルト的人気を博し、この『ミュラー』で一躍スターに。プロデューサーはヴェイトリヒ?ハイドゥシュカのWega Film――マイケル?ハネケの作品も手がける名門で、低予算5.5百萬シリング(當時、約77萬ユーロ)で大ヒット。1986年のベルリン國際映畫祭でワールドプレミア、64週間上映で44萬1千人の観客を動員、オーストリア史上3位のヒット作となりました。 撮影の一部は、1980年代のニューヨーク?ウィーン?ニューウェーブ?シーン拠點「ブルー?ボックス」で行われ、當時のアンダーグラウンド文化がにじみ出ています。編集のイングリッド?コラーは、テンポの良いカットでミュージカルとアクションを融合。ハンガリーの私たちから見れば、このウィーンは、ブダペストの裏通りと重なる――ハプスブルクの遺産が、両國に共通のユーモアのセンスを植え付けたのです。リストの作品は、2006年に続編『2 old 2 die』を計畫、2007年にはウィーン?メトロポルでミュージカル化。DVDシリーズ『Der sterreichische Film』で復刻され、今もカルトの座を保っています。

私どものアーカイブでこのフィルムを扱う時、いつも思うのです。ハンガリー映畫の文脈で、オーストリアのこの一作は、冷戦末期の東歐ヨーロッパの「軽やかさ」を象徴します。1980年代、ハンガリーではマールタ?メスチャロシュのフェミニズム?ドラマが花開き、ブダペストの映畫祭で國際色を帯びていましたが、隣のウィーンではリストのようなポップ?カルチャーが、ノワールの暗さをミュージカルで吹き飛ばす。共通するのは、抑圧された時代の「逃避」――ハンガリーの『The Witness(証人)』(1969年、ペーテル?バッチョー監(jiān)督)のように、社會批判をユーモアで包む技法です。 リストの影響は、ハンガリーの若手監(jiān)督、イシュトヴァーン?サボーの後期コメディにまで及ぶかも知れません。ウィーンとブダペスト、ドナウ川を隔てた雙子都市の、映畫的な共鳴です。

さて、解説の埃を払ったら、次は批評の時間。研究員の私は、フィルムをただ保存するだけでなく、その社會的文脈を抉るのが仕事です。『ミュラー探偵事務所』は、単なるエンタメの寶石か、それとも1980年代オーストリアの鏡か? 答えは、両方――そして、軽妙に、深く、笑わせてくれます。まず、ジャンルのミックスを讃えましょう。フィルムノワールのパロディとして、完璧。ハリウッドのクラシック(『マルタの鷹』や『ダブル?インデムニティ』)を、ウィーンのスウィングで解體。探偵のモノローグが歌になる瞬間、観客は「これは本気か?」と戸惑い、すぐに爆笑。リストの腳本は、ダシール?ハメットのテンプレートを逆手に取り、ギャングのボスが「トップ?ギャング」として描かれるのは、資本主義の風刺? ウィーンのアンダーグラウンドが、冷戦の影を映すのです。

音楽とダンスの批評家として言えば、フレディ?ギーゲレらのスコアは秀逸。スウィングとジャズの融合が、ノワールの陰鬱を吹き飛ばし、まるでブロードウェイの『シカゴ』がウィーンに迷い込んだよう。レビューでも、「Dead Man Don't Wear Plaid(1982年、スティーブ?マーティン)とTop Secret!(1984年、メル?ブルックス)のメランジュ」と絶賛されますが、私はハンガリーの視點から付け加えます――私どもの『Hyppolit, a lakj(執(zhí)事ヒッポリット)』(1931年、シュテファン?ティルデシュ監(jiān)督)の風刺コメディに似て、階級社會のギャップを歌で突くのです。 しかし、弱點も。3幕の結末は「大いなるミス」との聲が多く、急ぎ足の解決がミュージカルの高揚を臺無しに。 聲のダビングが粗く、アクターの歌聲が本物でない點も、1980年代の低予算の証左。批評家は「街角の役者で撮ったよう」と辛辣ですが、それがカルトの魅力――完璧すぎぬ、親しみやすさです。

1986年のオーストリア。冷戦の終わり際、経済成長の影でアンダーグラウンド文化が花開くウィーン――「ブルー?ボックス」での撮影は、當時のニューウェーブ?シーンを反映。 ハンガリーの私たちから見ると、これは「東歐の鏡」。1980年代、ハンガリーはゴルバチョフのペレストロイカに觸発され、映畫で社會批判を強めましたが(例:サボーの『Mephisto』、1981年)、オーストリアは中立國ゆえの自由で、リストはノワールを「逃避のミュージカル」に変える。女性像も興味深い:イングリッドはファム?ファタールだが、ユーモアで中和され、#MeToo以前のフェミニズムの萌芽? レビューでは「セックス?シーンが面白い」との聲ですが、それはジェンダーのステレオタイプを風刺するリストの技が浮かび上がります。

ハンガリー映畫史との比較で言うと、この作品は私どもの「ポップ?ノワール」の先駆け。1990年代のハンガリー映畫、例えばガーザー?ヘルタの『The Annunciation of Marie』(1984年)の実験性に通じ、ミュージカル要素が後年のイシュトヴァーン?サボーの『Sunshine』(1999年)の多文化主義を予感させます。 アーカイブの視點から、リストの死(2009年)後、このフィルムはオーストリア映畫の「失われた黃金」を象徴。ハンガリー國立映畫基金が2017年からアーカイブを強化する中()、私たちは近隣の寶を共有すべき――ブダペスト?クラシックス?フィルム?マラソンで上映したら、観客は歌い出すでしょう。

総じて、10點満點で8.5。カルトの輝きは不滅、軽妙な風刺は時代を超える。皆さん、埃っぽいアーカイブから飛び出して、ミュラーの歌を聴きに、ウィーンの霧へどうぞ。次はハンガリーの隠れた寶石を語りましょうか? 質問お待ちしていますよ、ヨージより。


(2025年 10月 11日 12時 02分 追加)
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